旧大阪市交通局の保存車両など | 鉄道で行く旅

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今回の記事は、2019年8月19日に「た・こ・や・き (ゆうちゃん)」さんから頂戴したコメントのご希望を参考にして作成しました。しかしながら、現役当時の車両を撮っていないため、大阪市交通局(現在のOsaka Metro)の施設公開などのときに撮影した画像を公開します。

↓2代目の100形が存在したため旧100形と呼ぶのが正しいのですが、煩雑なため初代の(旧)100形を「100形」とします。

大阪市営地下鉄1号線(現在のOsaka Metro御堂筋線)は、昭和8年(1933年)5月20日に梅田~心斎橋間の区間で営業を開始しました。
この開業時の車両が緑木検車場に保存されている100形です。戦前の開業のときから取り付けられていた、今見ると先進的といえる「安全たたみ垣(現在は一般的になっている転落防止用外幌)」が外観の特徴でした。私の少年時代の1号線(現在の御堂筋線)は7両編成(現在は10両編成)でしたので、この「安全たたみ垣」が連結部分で実際に活用されていました。

 

(デジカメ付属の安価な標準レンズで撮影したため球面収差がハッキリと出ています)
この開業当時のアイボリーとブルーの車体塗装は、昭和33年(1958年)新製の1200形からクリームとオレンジに変わっています。
その1200形登場直後から、在籍車両も、写真の塗色からクリームとオレンジに塗り替えられていきました。
100形の台車はKS-63L形です。第三軌条用集電靴(コレクターシュー)は、GE社の図面を基にして国内で設計製作されました。

 

100形の車内です。蛍光灯ではなく白熱灯でしたので、現役時の白熱灯の車内は薄暗い感じがしました。
100形の引退は昭和44年(1969年)8月5日でした。100形引退当時の1号線(御堂筋線)の営業区間は新大阪から我孫子まででした。

緑木の105号

乗務員室の手前の天井下の壁のところに開業時に使われた電動式の「次の停車駅の自動表示器」があります。これは車両保存時に開業時の状態に復元されたものです。

「故障が多くて放送設備設置時に撤去された」という話を交通局関係者から聞いた覚えがあります。

 

昭和10年(1935年)難波延伸時に増備された200形です。(写真は、その200形車両の大型模型です)
このアイボリーとオレンジの塗装は、戦後の1200形登場以降の塗装(1958年以降)ですので、昔の市立電気科学館で展示されているときに、この模型も新色に塗り替えたのだろうと思います。
もちろん実車の100形~600形も、この塗装に塗り替えられましたが、塗り替え途中の新旧塗装が混在した編成を幼少時に見たことを覚えています。この200形の実車は、市立電気科学館が竣工した昭和12年(1937年)当時の最新車両ですから時代的にも一致します。
1号線(現在の御堂筋線)の天王寺までの延伸と300形の登場は昭和13年(1938年)でした。

大阪市立科学館(下の画像)には、先代の施設にあたる大阪市立電気科学館(四ツ橋にありました)で使われていたプラネタリウムも保存されています。

このプラネタリウムは1937年にドイツから輸入されたもので、戦前のイエナのカール・ツァイス社製のカールツァイス2型25号機です。

このプラネタリウムの購入価格は当時の小学校の建設費の2~3校分に相当するぐらい高価なものだったそうです。現存するカールツァイス2型のプラネタリウムは世界で3台だけということです。

大阪周辺の出身者は、このプラネタリウムが投影する星空に感動した経験を持つ人が多いと思います。その中でも、手塚治虫氏と田嶋一雄氏(旧ミノルタの創業者・1899年~1985年)が影響を受けた人物として特に有名です。

その田嶋一雄氏が事業の一つにしたミノルタ製プラネタリウムは1957年に初製品が完成し、1958年に阪神パーク(現存せず)のイベントで国産初のプラネタリウムとして公開され好評を博しました。ミノルタのプラネタリウム製造は現在のコニカミノルタプラネタリウム(株)に引き継がれています

 

大阪地下鉄開業当時の駅のデザインを残していた2005年頃の心斎橋駅です。

 

大丸心斎橋店本館

大丸心斎橋店本館

大丸心斎橋店本館

思い出の大丸心斎橋店の旧店舗です。(2015年)

 

1998年に撮影した旧・戎橋と道頓堀の夕景です。
旧・戎橋(1925年完成)も今は姿を消し、平成19年(2007年)に現在の戎橋に架け替えられました。
なお、戎橋の名は今宮戎(いまみやえびす)神社の参道として賑わったことに由来します。
この戎橋の北側が心斎橋筋で、南側が戎橋筋です。

 

2007年10月末に閉館(その後に解体)した戎橋の北東角にあった建築家・高松伸氏設計のKPOキリンプラザ大阪です。年配者には懐かしい「キリン会館」の跡地に建築された画像のKPOキリンプラザ大阪は1987年の開業でした。(2007年撮影)

 

ここからは2005年の大阪市交通局(現在のOsaka Metro)森ノ宮検車場の公開時の画像です。

右側が中央線色の30系3042号の静態保存車です。

 

堺筋線60系の静態保存車6014号です。

 

引退時の装飾のまま静態保存されている千日前線色の50系5085号です。

 

偶然ながら『今日はチンチン電車の日』でした。

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大阪市電の保存車である801形(左)と大阪市電ワンマンカーの青帯が懐かしい2201形(右)です。大阪市電の中ではワンマン運用車は少数(2201形と2601形の一部)でした。その青帯のワンマンカーに乗ったときは、その当時の国鉄1等車(現在のグリーン車)に乗ったような気分になったものです。

左側の801形は前回の東京オリンピック1964の前後に引退しているため、私の年齢でも801形が走っているところを見た記憶がありません。

また、中央の「境川町」の電停標識は、この「境川町」が旧・大阪市交通局の本局庁舎前の市電の電停であったために、自局関係者の意見により手際よく保存されたものと考えられます。

 

2013年の大阪市交通局の市電霞町線開業100周年記念イベントのときに新世界の通天閣前(霞町車庫跡)に展示された大阪市電2201形です。

大阪市電2201形

大阪市電2201形

大阪市電2201形

大阪市電2201形

ワンマン運転の系統だった23系統(港車庫前~川口町~北浜二~京阪東口~東野田~都島本通~都島車庫前)が方向幕に表示されていました。

 

2005年の森ノ宮検車場の画像に戻ります。

旧大阪市交通局の無軌条電車(トロリーバス)の保存車両200形255号です。トロリーバスの廃止は市電廃止の1年後の1970年でした。大阪駅前~神崎橋の1号線と大阪駅前~森小路~守口車庫前の2号線に乗ったことがあります。

 

復刻ゼブラバスではない、昔のゼブラバスの保存車が展示されていました。

1964年(昭和39年)式の日野BT11です。おそらくブルーリボン系のバスだと思います。

 

日野BT11のゼブラバスの後ろ姿です。

バスの後部にある「しずかに」マークの意味ですが、これは1958年から1970年頃まで大阪市の市民運動(条例のような強制力はない)として行われていた「町を静かにする運動」のマークです。私の記憶では、当時の大阪市交通局の市バスや市電、清掃局(現在の環境局)のゴミ収集車などにまで、このマークがペイントされていました。今は中国や韓国の人たちが「日本の道路や交差点は静かだ!」と驚いていますが、実は、1960年代までは日本国内でも交差点でクラクションを派手に鳴らしていたのです。

 

大阪市電の保存車の大阪市章入りの「しずかに」マークです。(右下)

 

ゼブラバス

1974年頃に大阪駅前で撮影した大阪市営バス(現在の大阪シティバス)です。左側が当時の新塗装車で右側が旧塗装のゼブラバスです。

左側のクルマは2代目コロナマークII(1972年~1976年)のセダンだと思います。

 

【乗合用の緑色ゼブラバスの画像から加工により再現した大阪市営の貸切バスの塗色です】

画像は再現なのですが、私が小学生のときは大阪市営バスの貸切バスというものがありました。それは、ゼブラの色が緑色(乗合)ではなく赤色(貸切)のゼブラバス車両でした。小学校1年生の春のときに、赤色の貸切ゼブラバスで大阪城公園まで遠足に出かけた思い出があります。

 

1975年頃の大阪駅です。

 

2008年3月に運行を終えた大阪市営バス(当時)が所有していたネオプラン社製の2階建て定期観光バス車両の「にじ号(5号車)」です。

この定観バスの運行終了により70年の歴史(戦争中は中断)を持っていた大阪市営の観光バスが消滅しました。(2008年2月・大阪駅前)

 

1975年頃の大阪市役所です。(1982年に取り壊された旧庁舎)

 

大阪市電の廃止直前に架け替え前の大正橋で撮影した2601形です。(1969年3月)

 

国鉄湊町駅前(現在のJR難波駅の地上時代)で撮影した1801形です。(1969年3月)

 

1972年に広島電鉄白島線で撮影した広電900形(元大阪市電2601形)です。(撮影地は縮景園前か?)

モノクロ画像のため分りにくいのですが、この当時は大阪市電時代のワンマンカーを示す青帯が残っていました。また、正面には広電で入れられた菱形(黄色)の警戒色が塗られていました。

 

緑木検車場拡張前の一般公開時には屋外に展示されたこともあった大阪市電3001形の保存車です。(1990年代に撮影)

(おしまい)