高知・徳島の旅の最終回です。
徳島から大阪まで帰ります。
午前7時過ぎに徳島駅前から徳島市営バスに乗って徳島港の南海フェリーターミナルへ。
南海フェリーのオリジナルキャラクター「高野きらら」と「阿波野まい」です。
南海フェリーの徳島~和歌山間の普通運賃は2,200円ですが、「好(す)きっぷ」という割引切符を買うと南海電車沿線まで2,200円で行けるので、難波までの「好(す)きっぷ」を購入しました。この『好きっぷ』というネーミングは、ホームページを見ただけでは正しい読み方が判りませんでした。(運賃は2019年10月1日改定の新運賃に書き換えています)
徒歩客(非クルマ客)の乗船口です。行列ができていましたが、明石海峡大橋がなかった頃とは違って、行列が短かったので行列には並ばずに待合室の椅子に座って乗船口が開くのを待ちました。
乗船したフェリーは総トン数2,604トンの「つるぎ」でした。
慌てなくても、窓側の座席を確保することができました。普通席(一般席)の座席部分です。
昔、よく利用した(ひたすら寝ていた)カーペット席もあります。
今回は利用しなかった前方のグリーン席です。
徳島港午前8時発の出航の模様です。『さらばぢ(笑)ゃ、徳島!』
『眉山(びざん)も、さらばでござる!』
眉(まゆ)の如(ごと) 雲居に見ゆる 阿波の山 かけてこぐ舟 泊(とまり)知らずも
『万葉集』巻6-998 船王(奈良時代の皇族で「ふねのおう」または「ふねのおほきみ」)
南海フェリーは、徳島港の港外に出てました。ここから大海原を進んでいきます。この日は波も静かで平穏な船旅でした。
今はない南海の高速船にも何度か乗りましたが、波が高いときは大揺れに揺れていたことが懐かしい思い出です。酔ったことはないものの、本当に気分が悪くなるような高速船でした。下手に窓から海を眺めようものなら、それはもうエレベーターの上下移動の往復をビデオの早送りで見ているようなものですので余計に気分が悪くなりました。そのため、絶対に窓外を見ないようにして、じっと船内の前の壁を見続けていたものです。
徳島~和歌山の所要時間はフェリーの2時間強に対して高速船は1時間ほどでした。
今回の南海フェリー「つるぎ」の船室です。南海フェリーには鉄道連絡船の面影が強く残っています。
この日のこの時間は全国高等学校野球選手権大会で地元の徳島県立鳴門高校の試合がテレビ放送されていました。
高校野球には、それほど興味がないため、前夜に徳島駅ビルの書店で買っておいた村松友視さんの「北の富士流」を船内で読みました。
現役時代からよく知っていますが「北の富士(第52代横綱、元18代・陣幕親方)」さんの魅力を再認識しました。
中間地点で南海フェリーのデッキから周囲の様子を確認しました。静かな船旅です。(午前9時頃)
和歌山港到着10分前のフェリーのデッキからの眺めです。もう和歌山港の防波堤を通過しています。
後方の大きな工場は日本製鉄株式会社和歌山製鉄所です。昔の『住金』ですね。
和歌山港に着岸しました。和歌山港のボーディングブリッジが降りてくるところです。定刻の午前10時10分でした。
南海電車和歌山港駅から見た南海フェリー「つるぎ」です。
南海フェリー「つるぎ」と和歌山港の特急サザンです。しかも貴重な和歌山港駅始発の特急サザンです。
和歌山市駅で、初めて「ハニワ駅長」電車を目撃しました。
後日に撮影した「百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録決定記念」南海ラッピング列車(別名はハニワ駅長電車)です。
1970年頃に撮影した昇圧前の南海11001系による特急四国(特急サザンの前身)です。和歌山港方の2両が指定席車でした。中央部分の窓下に指定席のサボが取り付けられていました。(和歌山市駅)
この時代の帰省シーズンは特急四国も南海フェリーも満席でした。年末年始の帰省シーズンには高野線用の「新こうや号(注:20000系の時代)」が臨時特急で南海本線を走っていたと思います。
全般検査終了後と思われる南海貴志川線(現在は和歌山電鐵)用の1201形が国鉄のC58に牽引されて和歌山駅に向かうところです。
まだ紀勢本線が未電化でした。(1971年)
和歌山市駅の機回し線に転線する前の折り返し線で撮影したC58です。(1971年)
電気式(ディーゼルで発電し電動機で駆動する方式)のディーゼル機関車だったDF50が懐かしいです。(1971年)
この頃は「電気式ディーゼル機関車」は古い技術と思われていました。その後のパワーエレクトロニクスとマイクロエレクトロニクス技術の発展などは、まだ想像すらできない時代でした。
函館貨物駅で撮影した最新の電気式ディーゼル機関車「DF200」です。(2017年8月)
最後の夏を迎えている「みさき公園」です。
♪走る電車は緑の電車 なーん なーん 南海電車 南の海を走ってく
1959年に作られた、このCMソングを知っているというのは結構な年配者だと思います。
11001系の昇圧改造後の初代1000系による特急四国です。(1983年頃の新今宮駅)
ということで無事に難波駅に着きました。昼食は、当然のことながら難波駅の「南海そば」です。
(おしまい)