山陽3000系復刻車撮影記(後編)多木化学の巻 | 鉄道で行く旅

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尾上の松駅から別府(べふ)駅に向かいました。

尾上の松駅付近を通過する山陽5000系の阪神梅田行「直通特急」です。

 

今回は時間の都合と暑さのため旧国鉄高砂線尾上駅跡には行きませんでした。

2002年の元旦に訪問したときの画像を入れておきます。

尾上駅跡(2002年)

まだ阪神8000系が旧塗装でした。

山陽電鉄と国鉄高砂線の立体交差部分の跡地です。

 

このときの目的は、この年の初詣でした。

尾上の松で名高い尾上神社です。(2002年)

 

国宝の本堂がある鶴林寺です。(2002年)

そういえば、兄が加古川事務所勤務のときに、手土産で加古川名物の「鶴林寺せんべい(長谷川銘菓堂謹製)」をもらったことがありました。

 

↓鶴林寺は2015年1月にも訪問しています。そのときの記事(鶴林寺やC11保存機などを撮影)です。

2015年1月の「加古川」のブログ

↓2002年に取材した「別府鉄道の廃線跡」の記事です。

別府鉄道の廃線跡を歩くのブログ

↓2015年3月の旧高砂線高砂駅付近を歩くの記事です。

旧高砂線高砂駅付近を歩くのブログ

 

1967年頃の加古川市内の国鉄高砂線沿線の地図です。

 

今回の旅に戻ります。尾上の松駅から山陽の普通電車で別府(べふ)駅に移動しました。

加古川市内の別府(べふ)では多木化学(株)の関係施設の周辺を歩きました。

多木化学の本社前です。現在はタクシー部門なども手放しており、不動産管理会社として存続していると聞いている別府鉄道(株)の社名が今も残っています。

多木化学の投資用不動産については、所有している多木化学がアセットマネジメント(AM)を担当し、別府鉄道がプロパティマネジメント(PM)を担当しているのではないだろうか(?)と思っています。実際の業務は外部にアウトソーシングしているのかもしれません。

 

別府店ではなく「イトーヨーカドー加古川店」が入居している多木化学の不動産事業の一つである「グリーンプラザべふアリオ加古川」です。

 

多木化学は広大な土地を所有しています。この「グリーンプラザべふアリオ加古川」は、昔の鉄道用地よりも西側にある同社の不動産でした。現在の地図に、かつての別府鉄道の路線を重ねたのが、この地図です。

追記:「グリーンプラザべふ」は2021年10月28日にアリオ加古川としてリニューアルオープンしています。

 

1983年に土山駅で撮影した別府鉄道の車両です。

別府鉄道も多木化学と同じで、田畑を耕すための鋤(すき)を図案化した社章を使っていました。

 

客車のハフ7にも社章が入っていました。(1983年)

これは、鉄道撮影を休止していたときのことでしたが、所用のための姫路からの帰りに、たまたま土山駅に停まっている別府鉄道の車両を目にして途中下車した覚えがあります。

 

今回の旅に戻ります。

多木化学の本社の建物の北側です。

 

多木化学の前身の「多木製肥所」は日本で最初の近代的な肥料会社です。

本社の建築年は不詳ですが、昭和初期の建物と推定されているそうです。

画像のように、建物には同社の社章が並んでいます。建物も大切に使われており、見た目も綺麗でした。

 

多木化学の本社事務所の入口です。

 

本社事務所から南に歩き、別府川まで来ると、その下流に少し異様な感じもする洋館が見えてきます。

右奥の森が別府住吉神社で、左側の洋館が「多木浜洋館 (同比閣)」という多木化学の迎賓館だった建物です。

 

南西側から見た「多木浜洋館 (同比閣)」です。

 

【兵庫県教育委員会による、この建物の説明の引用です】

加古川の南端にある別府港に面して「あかがね御殿」が、堂々とした威容でたたずんでいます。他に類をみない建造物で、いつのころからか「あかがね御殿」と呼ばれています。別称「多木浜洋館」とも呼ばれています。現在は、国の登録文化財にも登録されている貴重な文化財です。

4階建てのこの洋館は、多木化学の創始者、多木久米次郎氏が、賓客を迎えるための別荘として大正7年(1918)から着工し、昭和8年(1933年)に完成させたものです。現在は記念館となっていて会議などに使われています。内部は非公開となっていますが、所定の日時のみ見学会が実施されています。

 

東側から見た「多木浜洋館 (同比閣)」です。

 

「多木浜洋館 (同比閣)」の玄関です。

 

この建物にも、至るところに多木化学(旧・多木製肥所)の社章が取りつけられています。

内部公開日ではありませんでしたので、ここから山陽電車の別府駅へ引き返しました。

 

復刻車の別府駅到着3分前というギリギリの時刻に別府駅に帰り着きました。隣接地を走っている博多行の山陽新幹線があっという間に飛び去っていきました。

 

天気が良すぎて光線状態が悪いです。それでも復刻車両の山陽3000系を撮っておきました。

 

別府駅から東二見駅まで乗った普通電車はラッキーなことに5000系4連のセミクロスシート編成でした。

しかしながらアンラッキーだったのは東二見から阪神梅田駅までの直通特急が、朝の往路と同じ8000系の全車ロングシート車でした。しかも車番まで朝と同じ編成でしたので、東二見駅に近づいてきた車両の車番が見えた瞬間にガッカリしました。

その電車に阪神梅田駅まで乗ったのは、出かけたついでに梅田で買い物をするためです。

(おわり)