グリニッジからウェストミンスター橋まで | 鉄道で行く旅

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フランスと英国旅行の最終日の模様です。

ホテルでベルボーイに荷物を預けてからチェックアウトし、19時発の帰国便までの時間にロンドン市内を観光しました。

アンダーグラウンド(ロンドン地下鉄)のバンク駅でドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)に乗り継いでグリニッジに向かいました。ドックランズ・ライト・レイルウェイは通勤者でカナリーワーフ(高層ビル街がある新都心)までは満員でした。

今回のロンドンの都市交通利用では10年前に買ったオイスターカード(ICカード)を持っていたので、デビットカードを使いませんでしたが、私も所有している国際共通デビットカードであれば、ロンドンの都市交通を利用することが可能になっていました。英国ではデビットカードの普及が進んでおり、スーパーマーケットでもデビットカードの利用者が圧倒的に多かったです。

この地下鉄の画像は参考画像です。(2009年に撮影)

 

奈良公園ぐらいの規模があるグリニッジ公園です。テムズ川のクルーズ船に乗る前の時間を利用してグリニッジ天文台まで歩きました。

 

坂道を登り切ったところがグリニッジ天文台の前です。

 

グリニッジ天文台の公開開始時間が10時のため、中に入ることができないのは承知のうえで、ここまで歩いています。

赤い矢印を入れたところがグリニッジの子午線です。かつては、標準時であるGMT(Greenwich Mean Time ・・・ 平均太陽時による世界標準時)の基準になっていました。夢のない話を書きますと、現在は原子時計によって決定されるUTCが使用されていますので、この子午線が世界標準時だったのは昔の話です。

 

グリニッジ天文台の近くにある展望台から見たテムズ川です。手前の建物は「海事都市グリニッジ」にある17世紀に建てられたクイーンズハウスです。奥の高層ビル群が昔の運河港の場所に建っているカナリーワーフの新都心(新金融街)です。日本でいうと西新宿のような場所です。

 

グリニッジ公園からテムズ川の近くまで降りてきたところにある海洋博物館です。スコッチウイスキーのブランド名になっているぐらい有名なカティサーク号(19世紀に中国から英国まで紅茶を運んだ快速帆船)をそのまま博物館に使っています。

 

テムズ川のグリニッジ桟橋からシティクルーズの船に乗船しました。この船でウェストミンスター橋に向かいます。

 

前半は、それほど見どころのないテムズ川クルーズです。

 

前半部分では、ブルネル(父)が作ったテムズトンネルの上を通過したのが有難かった程度のことでした。下の画像は、川底にテムズトンネルがあるところの近くから撮影したタワーブリッジとザ・シャードです。

見どころはタワーブリッジでした。

 

20年前に内部を見学したことがあるタワーブリッジの下をくぐりました。

 

周囲は聞き取ることができない言語を話す欧州の高校生と思われる団体客でした。初めてロンドンを見たようで、かなりハイテンションでした。

 

これも20年前に入場したことがあるロンドン塔です。

 

シェイクスピアのグローブ座です。英語の案内放送がありましたが、アッパーデッキでこれを撮影していたのは私だけでした。

この撮影のときには、ロンドン特有の、ごく短時間の激しい雨が降っていました。

 

乗船客が一斉に撮影していたロンドンアイです。

 

終点のウェストミンスター橋が見えてきました。国会議事堂(ハウス・オブ・パーラメント)のビッグ・ベンはまだ工事中でした。

 

2009年に撮影した国会議事堂(ハウス・オブ・パーラメント)です。

 

ウェストミンスター橋とナイチンゲールゆかりの聖トーマス病院です。旧型(動態保存用のヘリテージ路線)の2階建てバス「ルートマスター」がたまたま走っていました。

パブでの昼食休憩です。このパブは、トラファルガー広場の近くにあるホワイトホールのパブ「シルバークロス」でした。

 

ロンドン観光の最後は私がロンドンで一番好きな場所に行きました。

それが、セント・ジェームス・パークの北側にあるヨーク公記念碑です。

ヨーク公は王室で今も使われている伝統的な公爵位名(王族の第二子の公爵位)ですが、これは第11代ヨーク公(英国王ジョージ3世の第二子)の記念碑です。

また、往路のANA便の機内で見た映画「英国王のスピーチ」の主人公で、兄のエドワード8世が結婚問題で国王を退位したために国王になったジョージ6世(ジョージ5世の第2子であり女王・エリザベス2世の父)も王子時代の公爵位は、当然ながらヨーク公でした。

追記:常識の範囲なので、書くまでもないと思って省略しましたが、ジョージ6世(アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ)の兄のエドワード8世(エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ)の王子(皇太子)時代の称号は、もちろん「プリンス・オブ・ウェールズ」です。

ウェールズは1536年にイングランドに統合され、その反乱を抑えるための懐柔策として、現在の連合王国(英国)の皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗る慣例が定着し、それが現在に至るまで続いています。これは、名称の上での「ウェールズ皇太子」が必ず次期の英国王になるという意味のものです。

 

この後、移動手段のANA便でヒースロー(ロンドン)→羽田(東京)→伊丹(大阪)の経路で帰りました。

(完)