西鉄の旅 | 鉄道で行く旅

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福岡の旅の最終回です。西鉄の甘木駅から西鉄福岡(天神)まで帰ります。

甘木駅から乗車したワンマンカーの西鉄7050形です。

 

7050形は3扉車ですが、ワンマン運転時は中央扉が閉鎖され2扉車として運行されます。

 

甘木駅を出て小石原川を渡っています。奥に見えている橋梁は甘木への往路で通過した甘木鉄道の橋梁です。

 

西鉄甘木線も菜の花を眺めながら宮の陣駅に向かって進みます。

西鉄甘木線の起点駅の駅名は「宮の陣」ですが地名は「宮ノ陣」です。

 

思い出の学校前駅が見えてきました。

 

1985年の訪問以来の西鉄「学校前駅」でした。

 

【思い出の西鉄200形】

1985年に学校前駅で撮影した画像です。まだ西鉄甘木線で活躍していたクラシック車両の西鉄200形です。この当時の甘木線の列車運用は大牟田線(現在の天神大牟田線)の花畑駅と甘木線の甘木駅を結んでいました。

 

甘木行の西鉄200形です。この車両が好きで、わざわざ西鉄甘木線まで見に行ったのです。(1985年)

さて、この「宮ノ陣」は、わが国の南北朝時代の「筑後川の戦い」のときに南朝の征西大将軍だった懐良親王(かねよししんのう)の陣があったところです。懐良親王は後醍醐天皇の皇子(親王)なので「宮さま(征西将軍宮:せいせいしょうぐんのみや)」であることから「ノ陣」と言ったのだと思います。つまり、たいへん由緒のある地名なのです。

この「筑後川の戦い」では北朝軍が敗れたのですが、その戦いのときに刀を洗った場所が地名として残っている「太刀洗」です。また学校前駅の近くにある「宮ノ陣神社」には、大将軍だった親王お手植えの「将軍梅」と呼ばれる紅梅などが残っています。

 

西鉄久留米駅で撮影した花畑発甘木行の200形+ク60形の2両編成です。(1985年)

ク60形は、JR香椎線の前身である旧・博多湾鉄道汽船のキハ1形ガソリンカーだった車両です。大川支線を経て、たまたま車体サイズが似ていた200形のTc(ク)に編入されていた珍車でした。

 

天神大牟田線と甘木線の接続駅の宮の陣駅(西鉄の本線格である天神大牟田線の急行停車駅)から電車は天神大牟田線に入っていきます。私は西鉄久留米駅で下車しました。一旦、西鉄久留米駅の改札外で軽食をとった後、西鉄久留米駅から西鉄福岡駅に向かいます。

 

退避する普通列車の6000形です。4扉車です。

 

天神大牟田線の花畑行の急行はクロスシート車の3000形でした。

 

西鉄福岡(天神)行の天神大牟田線(2000年12月以降の路線名)の特急に乗車します。結構混んでいました。

西鉄二日市駅でクロスシートに座ることができました。

 

筑後川を渡っています。現在の地名としての宮ノ陣は、この橋梁の右側(西鉄福岡側)です。

 

西鉄福岡(天神)駅に着きました。折り返しの大牟田行特急に表示が切り替わっています。

 

西鉄福岡駅構内にあった西鉄3000形のプラレールです。

 

改札口(集札)の上に、いま話題の「ザ レールキッチン チクゴ」の巨大広告が出ていました。

 

駅構内の窓から西鉄が「福ビル街区建替プロジェクト」第1期事業により建て替えを行う「福岡ビル(福ビル)」と「天神コアビル」を眺めました。

私には、これが見納めかもしれません。この工事のため、西鉄本社も博多センタービルへ移転しています。(西鉄本社は、天神の再開発後に天神に戻る予定です)

というのが、西鉄の世界にどっぷりと浸った、福岡の旅の後半でございました。

 

福岡空港から大阪空港に帰るところです。福岡空港のANAラウンジが、まるで倉庫の中のようだった暗くて狭い場所から滑走路が見渡せる広い場所に移転していました。

(福岡の旅 おわり)