初めての宇和島 | 鉄道で行く旅

鉄道で行く旅

鉄道旅行を中心としたブログ記事を投稿しています。

今回は宇和島駅に着いたところからです。

宇和島駅です。

 

宇和島駅で見た青春18きっぷのポスターと牛鬼です。初訪問の宇和島ですが、前勤務先の先輩社員(高知県の「いの町」関係者とは別人)の奥様が宇和島出身(たしかスワローズやメジャーリーグのレイズなどで活躍した「何苦楚(なにくそ)魂」の氏と同じ宇和島東高校卒)でしたので、その先輩から土産の「宇和島じゃこ天」を何度かいただいた記憶があります。

 

今回は宇和島駅の駅ビルにあるJR四国の「JRホテルクレメント宇和島」に宿泊しました。

 

駅前にある蒸気機関車のレプリカです。宇和島出身で「♪汽笛一声 新橋を」で始まる鉄道唱歌を作詞した大和田建樹の鉄道唱歌誕生100周年を記念して作られたものです。

この機関車の原型は宇和島鉄道(宇和島線を経て現在の予土線の一部)の国有化前の軽便鉄道時代(開業時は宇和島~近永)の機関車でドイツのコッペル製のケ220です。

予算内で上手く作られているとは思ったものの、レールファンの視点で見ると、この足回りでは駆動しないことがはっきりしすぎています。

♪嘘が 嘘が 言えずに ・・ 本当にごめんね~~

 

ホテルにチェックインした後、夕食までの時間を利用してホテルから宇和島城まで歩いてみました。

現状の右脚では、この石段を登る気にはなれませぬ

 

ところが宇和島城には天守台までの距離は長くなるものの、スロープで迂回する道が作られていたのでした。

そのスロープを利用して『匍匐前進(嘘です)』していきます。

 

スロープだけで、ここまで天守に接近することができました。

 

さすがに天守台だけは石段を登っていかなければなりません。宇和島城まで来る機会がそうはないため、少し無理をして天守に向かいました。

 

現存する宇和島城の天守は寛文2年(1662年)から寛文11年(1671年)に2代目藩主伊達宗利が建て替えたものとされているようです。

宇和島伊達家の藩祖は伊達秀宗(伊達政宗の側室の子)です。伊達秀宗は大坂冬の陣の功績により、徳川秀忠から幕府直轄地(藤堂高虎・7万石→富田信高・10万石→富田氏の改易後は幕府直轄)だった宇和10万石を与えられ国持大名格になりました。このため、宇和島伊達家は仙台伊達家の分家ではなく独立した大名家(仙台伊達家とは血縁上だけ総家と支家の関係)でした。

 

宇和島城の天守から見た宇和島駅方向です。

 

宇和島港です。

 

宇和島城を後にして和霊公園に向かいました。

宇和島線の国有化(軽便からの改軌)以来、宇和島線を中心に活躍したC12259号機が和霊神社に保存されています。

残念なのは放置状態だったことです。

この機は、保存蒸気としては1969年という、やや早い時期に、この和霊公園に保存されました。このC12も「鉄道唱歌の作詞者大和田建樹の生誕地」を顕彰する意味での保存だったそうですが、西暦2000年に、その座を宇和島駅前のコッペルのレプリカ機に奪われたためか、やや悲惨な状態です。

 

C12259号機の横の模擬駅名標です。これは1969年当時の予讃本線(現在の予讃線)の両端駅と宇和島線(現在の予土線の一部)の両端駅の駅名です。こういう駅名の意味も、今では分かり難くなっています。

 

ホテルの部屋から見たライトアップされた宇和島城の天守です。

 

夕食はホテルのレストランを利用しました。

比較的安価な会席の郷土料理コースをいただきました。

何度か食べたことがある宇和島じゃこ天ですが、この宇和島じゃこ天は奥深い味でした。名品と言っても過言ではないと思います。

フロアスタッフの方に聞いたところ、宇和島では有名な「薬師神かまぼこ」のじゃこ天ということでした。

 

宇和島名物の鯛めしです。これも美味しかったです。

旅行前は北海道旅行の代替地に過ぎなかったのに、意外なことに満足度の高い旅でございました。

(過去形で終わっていますが、四国の旅はまだまだ続きます)