冬の函館(5)棒二森屋惜別編 | 鉄道で行く旅

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冬の函館の旅の最終回です。

五稜郭公園前から、またまた718号に乗車して函館駅前に向かいました。

この前日(祭日)に函館市電に乗ったときに地元の奥様方の多くがデパートの棒二森屋の紙袋を手にしていました。最近は棒二森屋が低迷していると聞いていましたので、疑問に思って奥様方の一人に聞いてみたところ「ボーニさん(棒二森屋の略称)が2019年1月末に閉店する」ということを教えてくれました。奥様方はわざわざ「ボーニさん」に出かけて名残の買い物をされたそうです。

 

函館駅側から見た棒二森屋です。手前がアネックス館で左側の奥が昔からある棒二森屋(本館)です。閉店理由は業績不振もあるのでしょうが、棒二森屋店の耐震化に必要な投資額を回収する見通しが立たなかったのではないかと思います。棒二森屋の前身は1869年(明治2年)に現在の函館市大町で北海道初の洋品店「金森森屋洋物店」として創業していますので、実に150年もの歴史に幕を下ろすことになります。その1869年は土方歳三が田本研造氏の写真館で肖像写真を撮った年であり、箱館戦争が終わった年でもあります。

 

棒二森屋店(本館)と函館市電です。1964年公開の日活映画「夕陽の丘」で浅丘ルリ子さん(映画公開時は24歳)が二役の片方として、この棒二森屋のエスカレーターガールの役をしていました。昔のデパートにはエスカレーターガールがおり、ハンカチのようなものでエスカレーターの手すりを拭くような仕草をしていたり、お客様のエスカレーターの乗降に対する注意喚起をしたり、販売フロアの案内をしていたものでした。

その当時はエスカレーターが設置されている商業施設が国内でも珍しかったのでしょう。

 

【懐かしい画像】

1986年に棒二森屋アネックス館前で撮った画像です。この年のセンバツ高校野球の北海道代表校は函館有斗高校でした。函館有斗高校は、このときの1回戦で奈良の智弁学園に勝っています。よく見ると「みんなの熱意で北海道新幹線の早期実現を」の垂れ幕も出ていました。第一勧業銀行は現在のみずほ銀行です。

 

1986年に函館駅前の電停で撮影した函館市電510号です。当時の旧型車(500形)のワンマンカー標識板(系統板ではない)の広告スポンサーが棒二森屋だったためワンマンカー標識には必ず「棒二森屋」のマークが入っていました。この510号は全般検査直後の試運転だったようで、排障器を含めて車両全体がピカピカの状態でした。「試運転」の標識も大きいです。

左に写っているのは、現在のビジネスホテルの場所に当時あった地元の電気屋さんの北斗電気です。これも懐かしいですね。北斗電気は1990年にケーズデンキに吸収される形で合併したため、この旧社名は消滅しています。

 

函館市電の「ガス会社まわり」や「栄町まわり」の標識も懐かしいです。(1983年2月)

 

まだ500形が大活躍していた頃の十字街の画像です。今見直すと悶絶ものの画像のような気がします。(1983年2月)

 

函館

(1986年2月の画像)

昔の函館市はデパートが多く、画像の左奥に1998年に閉店した「さいかデパート(1959年開業)」の看板が見えています。

 

(2002年12月の画像)

銀座和光とは何の関係もない地元資本の和光デパート(1968年~2013年)の在りし日の画像です。

銀座和光とは何の資本関係もなかったようですが、銀座和光にあやかったネーミングだったので命名前に銀座和光の了承を得ていたそうです。

また、函館市電の右側の2001号は、当時はハセガワストアの「やきとり弁当号」でした。

 

和光デパートの跡地に建っているキラリスと函館市電です。(2019年1月)

 

函館市電

2015年8月に撮影した丸井今井函館店です。

梁川町に1981年に開業した函館西武も2003年に閉店(現在はアミューズメントプラザのテキサス函館に業態変更)していますので、函館のデパートは、この丸井今井函館店だけになります。

 

「棒二(ボーニ)さん ありがとう」の垂れ幕です。大門地区の棒二森屋前です。(2019年1月)

 

2019.1.31 棒二森屋 閉店セレモニー(函館災害情報)

 

さよならボーニさん 函館 棒二森屋閉店 150年の歴史に幕(北海道新聞 どうしん動画ニュース)

 

150年の感謝を込めて。

 

平日の朝ですので、この日は空いていました。

 

ハセストのやきとり弁当もボーニの本館地階で売っていたのですね。

 

函館駅前から函館空港に向かう帝産バスのシャトルバス車内から見た棒二森屋店(本館)です。

 

帝産バスから見た大森浜の石川啄木像です。遠くに下北半島が見えました。

 

函館空港から大阪・伊丹行のANA737-800に搭乗しました。

 

西側上空から見た下北半島です。半島の左下の先端が大間崎です。

 

【追加画像】1986年11月22日に青函連絡船十和田丸に乗ったときの画像です。

十和田丸で青森港を出港しました。船内から撮影した画像の船は大雪丸です。

 

亀田半島(渡島半島の東側)です。右端は恵山でしょうか。

「恵山」の地名から条件反射的に「恵山モンテローザ」をふと思い出してしまうのは私だけでしょうか?

 

函館山です。ここまで来ると「函館に帰ってきた(?)」という実感が湧いてきます。

青函連絡船十和田丸の川重ライセンシー「川崎MAN製ディーゼルエンジン」の音が蘇ってくるような画像です。

 

懐かしい函館駅の旧駅舎です。(1986年2月)

(完)