冬の函館(4)五稜郭タワー編 | 鉄道で行く旅

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函館1泊の旅の2日目です。この日は事前の予定はなく、現地で色々と考えた末に五稜郭タワーに登りました。

函館駅前のコインロッカーに荷物を預けるために函館市電で函館駅前へ移動しました。画像は函館市電8600形らっくる号です。

 

この日の朝、湯の川温泉から函館駅前に向かうときに、対向電車で函館市電500形530号が営業運転しているところを目にしました。これは衝撃的でした。その530号は駒場車庫行でしたので、そのまま駒場車庫に入庫するため追いかけませんでした。撮影こそできませんでしたが、営業運転中の500形を何十年ぶりかで目撃したわけです。

【懐かしの函館市電500形】1986年に撮影した500形の画像です。

 

函館駅です。

 

函館市電の五稜郭公園前から五稜郭タワーまで歩きました。

旧五稜郭タワーには2~3回ぐらい登っているはずですが、新・五稜郭タワーは今回で2回目でした。

 

【昔の五稜郭タワー】1983年2月撮影

現在の五稜郭タワーは2006年4月1日にオープンした新しいタワーですが、それまでは画像の旧タワーでした。

現在の新タワーの展望台の床高は90m(函館空港との距離関係による航空法の制限で避雷針の先端が107m)です。旧タワーのときの展望台の床高は45m(避雷針の先端が60m)でした。

 

1983年2月に旧タワーの展望台から撮影した五稜郭です。展望台の高さが低いうえに、ズームレンズの一番ワイド側が35mmの焦点距離でした。

 

現在の五稜郭タワーから見た五稜郭です。レンズの焦点距離はフルサイズ機換算で24mmです。

このときに中国人観光客の30名程度の団体がタワー展望台に入場してきましたが、真冬ですので全体としては空いていました。

 

展望台から四稜郭の方角を眺めました。

2016年4月に訪れた四稜郭です。

 

今回の旅の画像に戻ります。

函館山の方角です。

 

下北半島を見ることができました。

 

展望台の2階に画像の銅像がありました。以前にも見たはずなのですが、たしか、そのときは土方歳三と一緒に記念写真を撮る日本人観光客が多くて、撮影をあきらめたと思います。

中国人の方々は土方歳三を全く知らないため、今回は、ご覧のように単独撮影が可能でした。

土方歳三の写真を基にして函館出身の彫刻家の小寺眞知子氏が2年がかりで制作された土方歳三のほぼ等身大の銅像です。(2005年2月4日に公開)

彫刻作品ですので、写真のままの土方歳三の風貌ではなく、すでに時勢を達観した内面が表情に出ているように感じました。

 

五稜郭タワーの1階のアトリウムにある「五稜郭に立つ土方歳三」の銅像(2003年12月1日に公開)です。こちらの像は、生まれながらの武士よりも武士らしいと言われた土方歳三の凛々しい姿です。『燃えよ剣』のイメージに近い像です。

この像も函館出身の彫刻家である小寺眞知子氏の作品です。大きさは等身の1.2倍ぐらいのサイズです。

これらの土方歳三像の制作は、函館生まれで函館育ちの小寺眞知子氏が土方歳三の像を作りたかった(それを作るのが夢だった)というところから始まったものだということです。

 

小寺眞知子(1950年~2012年)氏は五稜郭の近くにある旧・函館東高校(統合後の函館高校)の出身、北海道教育大学美術科彫塑課程卒業、1980年に彫刻を学ぶためにイタリアに留学、ローマ美術アカデミー卒業、たいへん惜しいことに2012年に移住地のローマで早世されました

 

函館

2015年8月に2度目の訪問をしたときの若松町の「土方歳三最期の地(一本木関門)」です。

最後の最後まで戦っているところが土方歳三です。この場所での戦闘は孤立している弁天台場を救援するためでした。それは、弁天台場を新政府軍に奪われたのなら、もう箱館政権(蝦夷共和国)が新政府軍を巻き返すことが不可能になるからです。

童門冬二氏の「名将に学ぶ人間学」に書かれているとおり「土方の魅力は、こういう鬼の役に徹して、ひとこともグチをいわず、しかも多くの脱落者(近藤勇でさえ途中でコケた)が出た中で、最後の最後まで組織目的に忠実だった生き方」を貫いたという点です。

時勢こそ達観していたけれども、土方歳三は、最後の最後まで、自暴自棄な突撃ではなく味方を救援するための行動をしていたといえるでしょう。

 

碧血碑(2002年12月撮影)

函館山に明治8年(1875年)5月に建立された戊辰戦争(中でも箱館戦争)における旧幕府軍(箱館政権軍)の戦死者のための慰霊碑です。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っています。

 

五稜郭タワーの1階の玄関付近で見た土方歳三の写真とヒジカタ君です。

土方歳三の写真は明治2年(1869年)に写真師だった田本研造氏が撮影しました。

田本研造氏は明治元年(1868年)に叶同館(現在の函館市元町の東本願寺にあった外国人接待用の公館) 付近で露天写場を開業し、明治2年(1869年)に会所町(現在の函館市末広町の八幡坂付近)に本格的な写真館を開業しています。これが北海道で初めての営業写真館であり、わが国の写真館発祥地3カ所のうちの1つとされています。写真館の開業年は長崎が1862年、横浜が1862年、箱館(当時)が1869年でした。

(つづく)