新池ハニワ工場公園(後編) | 鉄道で行く旅

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高槻市の新池ハニワ工場公園訪問記の後編です。

新池ハニワ工場公園へは摂津富田駅から高槻市営バス利用が便利です。

 

カマボコ状の半円ドームがありました。

 

それが「ハニワ工場館」という施設です。

 

「ハニワ工場館」の内部です。新池遺跡最大級の18号窯(530年頃)を覆屋で保護し、出土した埴輪3点が展示されていました。

 

もう一度、再現ハニワを見て回りました。

一番右のハニワは「狩人」です。「♪私は私はあなたから 旅立ちます」

 

これは以前に紹介した同じ高槻市内の今城塚古墳から見つかった武人ハニワを再現したものです。

武人ハニワは「大魔神」のモデルです。

 

新池ハニワ工場公園を後にして、他の古墳も見ながら摂津富田駅まで徒歩で帰りました。

新池ハニワ工場の南西にある番山古墳です。これは5世紀中頃の古墳です。

 

番山古墳は直径が56mで高さが7mです。一見すると円墳のようですが、調査により「帆立貝式前方後円墳」であることが判明しています。

 

続いて、名神高速道路の下を南側にくぐり抜け、茨木市内にある太田茶臼山古墳C号陪塚にたどり着きました。

 

C号陪塚から、その近くにある太田茶臼山古墳をぐるっと一周して拝所に入りました。

 

太田茶臼山古墳は、拝所があるように、宮内庁により「三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)」として第26代継体天皇の陵に治定されています。5世紀半ばの古墳のようです。

茨木市内から高槻市内に戻り、高槻市営バスのバス停の時刻表を見たら、バスの時刻が中途半端だったため徒歩で摂津富田駅まで帰りました。

 

ちょうど正午前になりましたので、そば処「朝日屋」さんで昼食をとりました。結構、おいしかったですが、昼食時間帯のためほぼ満席でした。

 

JR摂津富田駅から大阪駅まで帰りました。

摂津富田駅で双頭レールのメーカー名を再確認しました。

↓画像の上部は兵庫県立歴史博物館企画展「線路はつづく」で知ったDARLINGTON IRON Co70 IGJRの陽刻です。

今回は、それとは別の場所でも新橋~横浜間の鉄道開業時の双頭レールの陽刻を確認することができました。

ここでも「DARLINGTON IRON」と思われる文字が残っていました。

(おわり)

このところ雨の日が続いているため、ブログ投稿の頻度が下がりそうです。