処女塚(おとめづか)古墳と西求女塚古墳 | 鉄道で行く旅

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先日、神戸市内に所用で行くついでに阪神沿線の古墳を訪問しました。

最初に石屋川駅で下車しました。たかさご万灯祭ヘッドマークつきの山陽5000系が通過していきました。

 

石屋川と阪神電車の石屋川駅です。

 

石屋川駅から南西に進むと処女塚(おとめづか)古墳が見えてきます。

 

周囲の道路は古墳を削って作られたようです。このため古墳の端が石垣になっています。

 

かなり古い石碑があります。

神戸市教育委員会の説明です。田辺 福麻呂(たなべのさきまろ)は奈良時代の万葉歌人で、百済系の渡来人の一族だといわれています。

 

処女塚古墳の階段です。

 

処女塚古墳の前方部から後円部を見たところです。

 

その逆に後円部から前方部を見たところです。

 

あまり期待していなかった古墳でしたが、意外にも古墳らしさを感じました。

 

かなり傷んでいますが、処女塚古墳が1984年に整備されたときの説明です。宮崎辰雄市長の時代だったようです。

 

石屋川駅から阪神電車に乗り西灘駅で下車しました。

 

西求女塚古墳を訪問しました。発掘調査により「前方後墳」であったことが判明しています。

 

西求女塚古墳の後方部から見た前方部です。

 

西求女塚古墳の説明です。この古墳から邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から贈られた鏡ともいわれる三角縁神獣鏡7面などの文化財が出土しており、それらは国の重要文化財に指定されています。

 

西求女塚古墳の前方部から見た後方部です。

 

西灘駅から阪神神戸三宮に阪神電車で移動しました。画像は西灘駅を通過する山陽5000系です。

 

そごう前のフラワーロードです。

 

神戸

1978年に撮影した同じ場所です。

 

神戸市役所前にある「日本マラソン発祥の地」の碑です。

明治42年(1909年)3月21日に神戸の湊川埋め立て地から大阪の西成大橋東端までの約32キロの「マラソン大競走」が開催されました。これが我が国では初めて「マラソン」の名を冠したレースでした。

なお、群馬県安中市も「安政遠足(あんせいとおあし)」というマラソンのような行事が1855年(安政2年)に行われており、「マラソン」の名ではありませんでしたが、安中藩主板倉勝明公が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせたという記録が残っています。このため、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられているそうです。

「安政遠足(あんせいとおあし)」の故事を知って、あくまでも個人的な連想ですが、剣道部の走り稽古というのか、「俺は男だ」の森田健作氏(小林弘二=小林クン)が剣道着を着て砂浜を走っている姿を思い浮かべてしまいました。

↓「俺は男だ」の舞台だった江の島付近の画像を貼っておきます。

「俺は男だ」の学校ロケ地は現在の藤沢翔陵高校だったそうです。

♪さよならは誰に言う さよならは悲しみに

♪青春の勲章は くじけない心だと

鎌倉

♪友達よ行くんじゃない みんな君の味方

 

一貫楼で昼食をとった後、元町一番街に入ってみると。

なんということでしょう、元町一番街がイニエスタ一番街になっていました。

(おわり)