南海12000系運用の泉北ライナー | 鉄道で行く旅

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レールファンから注目されているのは「泉北12000系(黄金色)運用の特急サザン」ですが、その交換相手(反対側)の南海のサザンプレミアム編成による泉北ライナーを泉ヶ丘まで見に行きました。

 

この位置からは、午前は逆光になる和泉中央行の泉北ライナーです。これは、一応は撮っておくという程度の画像です。

泉北ライナーは朝および夕方から夜にかけての運行ですので、話題になっている南海本線の泉北12000系サザンよりも撮影は遥かに面倒です。

この日は現役ばりばりサラリーマン時代の通勤時間よりも1時間40分も早く自宅を出発しました。

 

泉北ニュータウンとサザンプレミアムの泉北ライナーです。

 

泉北の3000系と7020系です。

 

元高野線りんかん用の11000系による泉北ライナーです。この編成は、今回の交換(スワップ)イベントとは無関係です。

何となくですが、この11000系は以前に撮った塗装とは違っているように感じました。

 

特急「泉北ライナー」

2015年12月5日の泉北ライナー運行開始時の広告「スグナンバ」です。まだ11000系が「りんかん」塗装のままでした。

 

私には、この11000系の変化のほうが興味深いです。

特急「泉北ライナー」

2015年12月:南海高野線の「りんかん」塗装のままでデビューした「泉北ライナー」です。列車名はシールを貼っただけでした。かなり慎重な滑り出しだったと言えます。

 

泉北ライナー

2016年3月:泉北ライナー用の金彩(?)が施されたときの姿です。このときは、まだ短期での撤退を視野に入れていたのかもしれません。

 

2017年9月:幸いなことに泉北ライナーが好評だったため泉北ライナー用の新車「泉北12000系」もデビューしました。その後にダイヤ改正時の泉北ライナー増発で再起用された11000系も泉北12000系に近い塗色に変わりました。画像は11000系の泉北ライナー金色塗装の初期状態です。最新の画像と比較すると、このときの顔ヒゲ(青色)が無くなり、側面にあった「泉北ライナー」の文字が消えるなど、さらなる変化があった模様です。(←読者情報によりますと、11000系が一旦「りんかん」の運用に戻ったときに、この塗装が解除されて「りんかん」塗装になっていたということです)

南海11000系の本来の「りんかん」用の塗装です、11000系は橋本~極楽橋には入線できない大型車のため「こうや」の運用には入りません。それにしても『化粧直し』が多い11000系です。

ネットで『化粧直し』を検索したら『化粧直しが多い女性はモテない』という記事が出てきました。 ・・・ 『そんなこと、ほっといてんか!(笑)

 

泉北7020系「鉄道むすめ和泉こうみ」編成です。

「こうみ」の名前から、昔、大阪の京橋の知人がご馳走してくれた、京橋にある飲食店の香味野菜入り「香味(こうみ)鍋」を思い出してしまいます。

 

3000系です。泉北線は南海高野線の列車種別ルールに合わせているため列車種別が「各停」になっています。「普通」ではありません。

 

難波行の南海12000系サザンプレミアム編成による泉北ライナーです。代走でも運用されるため注目度もやや低いです。

 

泉ヶ丘駅の改札前の商業施設がリニューアルされていました。

 

泉北の泉ヶ丘駅から南海高野線の堺東まで画像の電車に乗車しました。泉北の5000系です。

 

堺東駅から方違神社まで歩きました。大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町です。

 

方違神社の説明です。

 

方違神社の境内から見た反正天皇陵古墳です。訪問理由は、少し前に百舌鳥古墳群を歩いたときに時間の都合で省いた古墳だからです。

 

反正天皇陵古墳の拝所です。

 

反正天皇陵古墳の説明です。

 

今回利用した堺東駅の東口です。主として近隣の住宅地に住む人や三国丘高校の生徒が利用している改札口です。

三国丘高校は旧制の堺中学校で、泉陽高校が旧制の堺高等女学校です。私は『よう知らんけど(笑)』、1948年の学制改革のときに「堺」の学校名称を巡って旧・堺中学校と旧・堺高等女学校で綱引きのような争いがありました。結果は、まるで大岡裁きのように「それではお互いに堺を名乗るのはやめよう」ということになり、三国丘と泉陽になったそうです。(ほんまかいな?)

三国ケ丘は「摂河泉(摂津・河内・和泉)」の中心というのか境界です。摂河泉という言葉を聞いて「大阪ダービー・摂河泉競争」を思い出している貴方はギャンブラーです。

 

南海の堺東駅の昔懐かしい渡り廊下を通って難波まで戻りました。

(おわり)