大阪ステーションシティの天空の農園に行ってきました。
ここは、当時の「JR大阪三越伊勢丹&LUCUA」の内覧会(2011年5月3日)のとき以来の訪問でした。
もちろん天空の農園を見ることが目的ではなく、梅田信号場(旧・梅田駅跡)の変化を知るためです。
天空の農園に向かう途中の階段の手摺にあった注意書きです。
現在の梅田(貨物)駅跡です。梅田駅(貨物駅)の痕跡は、ほぼ消滅していました。(2018年)
2011年5月の画像です。梅田(貨物)駅の廃止は、この2年後の2013年でした。
梅田(貨物)駅跡と特急はるかです。(2018年)
梅田(貨物)駅と特急はるかです。(2011年)
2009年に特急はるかの車内から撮影した梅田(貨物)駅です。
今になってみると貴重な体験だったと言えます。(2009年)
JR大阪駅の西側です。梅田運河跡の鉄道橋梁が見えました。
新淀川とJRの下淀川橋梁です。この帰りにJR神戸線の電車の窓から新淀川を見たら、もう8月4日の「なにわ淀川花火大会」の準備が始まっているようでした。
天空の農園のフロアから見た阪急電車です。京都線特急が写っています。
付録:思い出の画像(阪急電車)
たまたま2003年頃の画像を調べていたら阪急梅田駅で撮った画像が出てきましたので、それを貼っておきます。
「新・宝塚大劇場 10th Anniversary」ラッピングの阪急電車です。
宝塚歌劇のラインダンスの曲は色々あるそうですけれど、ごく単純にフレンチカンカンが思い浮かびました。
JR大阪駅の「時空(とき)の広場」に立ち寄った後、JR神戸線で帰りました。
昔の大阪駅とは別世界です。(2018年)
ということで小生の大阪駅のイメージです。
大阪駅の入換機だったEF14(吹二)です。(1970年)
1983年の大阪駅発の福知山線の列車です。牽引機こそディーゼル機関車になっていたとはいえ、まだ「汽車」のイメージが強く残っていました。
この翌年の1984年に福知山線にオハ50系客車が導入されましたが、オハ50系客車も非冷房車だったため、その1~2年後には冷房つきのオハ12系客車に置き換えられてしまいました。
福知山線では50系は撮っていないため奥羽本線弘前駅で撮った50系客車の画像です。(1985年)
福知山線の普通列車に使用されていた12系客車です。(1985年・福知山線の旧線の武田尾駅付近)
旧型客車を含む福知山線の普通客車列車が絶滅したのは福知山線の全線電化が完了した1986年のことでした。
大阪駅の画像に戻ります。
冬場は機関車に搭載されたSG(蒸気発生装置)により編成全体の車内を暖房していました。
今から35年前の福知山線の普通列車の画像でした。(1983年)
これは2003年頃の画像です。
当時の1・2番線ホーム(当時の環状内回り・環状外回りホームとは別のホームです)の『キヨスク』で夏季限定の冷凍みかんを販売していました。懐かしかったので撮影しましたが、今でも売っているのでしょうか。
(おわり)