京阪電車の旧線を歩く(番外編)京阪池電柱の調査と昭和初期の駅を見る | 鉄道で行く旅

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「番外編」に入る前に京阪電鉄の土居~蒲生間の戦前に作られた高架複々線の画像です。

野江~京橋間の蒲生変電所前を行くリニューアル前の9000系です。(2001年頃)

 

野江駅を通過する1900系5連の私市行「準急ひこぼし」です。(2003年)

 

リニューアル前の9000系による淀快速「ターフィー号」です。(滝井駅付近) 2002年

 

土居駅付近を走る2600系5連の淀屋橋行「特急おりひめ」です。(2004年)

 

京阪電車の旧線を歩くの最終回(番外編)は守口市駅からのスタートです。

現在の守口市駅の画像です。

高架になる前の守口市駅(旧・守口)は島式ホームが2面で4線の駅でした。その頃は、大阪方の複々線がここで終わり、京都方面は複線でした。

 

昔の京阪電車の守口車庫跡に建っている京阪百貨店です。旧・守口市駅から線路が扇状に伸びていた地形のまま百貨店ビルになっています。そういう事情から、ビルの大阪方が窄(すぼ)まった形になっています。つまり、ビルの敷地は車庫線路があった時代の地形のままだということが言えます。

また、現在の三菱UFJ銀行守口支店は百貨店ビルに繋がった形で百貨店ビルの大阪方にあります。これは、元々は、守口市駅の北側の踏切の下り線側の一等地にあった「三和銀行守口支店」が移転したもので、以前の守口市駅前の一等地にあった支店の場所を死守したという感じになっています。

 

再び、大枝公園(京阪池の跡地)まで歩きました。

大枝公園の北側の道路です。

 

予想どおり「京阪池」の電柱がいとも簡単に見つかりました。しかも道路に沿って関西電力の「ケイハン イケ」の電柱が延々と連なっていたのです。

 

京阪バスの「西郷通バス停」と関西電力(関電)の「ケイハン イケ」の電柱番号です。これは関電の電柱番号が下にありますので関電の電柱ではないようです。

 

電柱番号を次々と確認していったところ、元京阪池から遠く離れた163号線と交差する「菊水通2」の交差点の手前まで「ケイハン イケ」の電柱番号が続いていました。正直に書くと、予想範囲を遥かに超えて「ケイハン イケ」の電柱が延々と続いていたために、調査の途中で心が折れそうになりました。

もはや京阪池跡から、かなり遠く離れた「菊水通2」の交差点です。なにしろ、すぐ東側(画像の右奥)に守口市の隣の市である門真市を通る「近畿自動車道(いわゆる中環)」が見えたぐらいですので、このあたりの守口市の最果てに近い場所でした。

この交差点の西側が「ケイハン イケ」の電柱番号の東端でした。

アズキ色の線が「ケイハン イケ(関西電力が中心・・・ただしNTTにもカタカナの電柱番号が存在する)」または「京阪池(NTTが中心)」の文字が入っている電柱番号の建植範囲です。東西方向は約1.3kmに及ぶ広い範囲でした。

また、大枝公園になっていて、今は完全に消滅している『池の名の京阪池』の場所も、この地図に貼っておきました。

今回の調査により、大枝公園の北側の道路の上下線とも「ケイハン イケ」や「京阪池」の電柱番号が入っている電柱が多数あることが確認できました。

 

京阪池の跡地(大枝公園)の北側の歩道から、やや東向きに撮った大枝公園です。道路の南側の電柱の多くは歩道の奥まった場所にあり、全ての電柱番号は車道側に取り付けられていますので、歩道の一番端に電柱があることが多い道路の南側よりも北側のほうが電柱番号の観察が容易です。(←誰が、そんなものを観察するのか?と疑問に思う方が大多数であるとは思いますが、ここでは少数派の方のための参考情報として書いておきます)

 

道路の北側の電柱です。関西電力が所有する電柱なので、上が「ケイハン イケ」の関電の電柱番号で、下が電柱を借用している別法人(NTT西日本?)の「京阪池」の電柱番号です。いわゆるダブルネームともに「けいはんいけ」でございます。この近くの電柱の中には、片方の非関電の電柱番号が「公園」だったりする電柱もありました。

 

「京阪池」の電柱の前を通過する京阪バスです。『京阪で近道!』

 

守口市の市章入りの大きな電柱番号が入っているトリプルネームの関電の電柱です。

 

関電の「ケイハン イケ」電柱の最西端は大枝公園の北西端まででした。ここから西の電柱番号は「高瀬」でした。

電柱の調査は、これにて「一件落着」です。

 

ついでに、昭和初期のデザインが今も残る京阪電車の土居~野江間のB線の駅を2駅だけ見ることにしました。

1つ目は滝井駅です。

京阪電気鉄道の土居~野江間のB線の駅は開業以来、何度かの改修を受けています。京阪の内部情報は知りませんけれども,、観察の結果から「昭和初期のデザインを大事に守りながら改修を重ねている」のだと思います。

 

滝井駅下りホーム下の階段の踊り場から見た改札口です。昭和初期のアーチ状のデザインが、そのまま残っています。

 

階段の踊り場から見た改札口側とホーム側の階段です。レトロでいい雰囲気です。

 

さらにホーム寄りからの撮影です。昭和初期を感じさせるデザインです。

 

滝井駅の下りホームから見た改札口と繋がる階段です。土居駅を除くと、戦前に作られた京阪電車のB線駅は「昭和初期としては近代的で重厚な駅だった」ことが参考資料にも書いてありました。たしかに、なかなか立派な駅舎です。

 

続いて、野江駅のアーチ状のデザインも紹介します。

野江駅の下りホームの下の階段です。滝井駅と同じようなデザインです。滝井~野江間の新駅開業は1931年10月14日でした。2018年10月で新駅開業から87年です。(土居駅は、その8か月後の1932年6月14日に開業)

 

床や階段は後年に改修されているような感じです。階段の手摺の下の柵のデザインも後年の改修のように思いますが、滝井駅と野江駅ではデザインが異なっています。

 

野江駅の下りホームの階段の踊り場で撮った画像です。

 

野江駅の上りホーム下の階段の画像です。

 

野江駅の高架下の駐輪場入口のアーチ状の柱です。

 

野江駅下りホームのホーム下の階段に続く通路です。右への通路は1999年に設置されたエレベーターに向かう通路です。この部分は壁面も新しいものです。

 

野江駅の下り線側にある改札前の柱です。元のアーチデザインを活かしつつ、新しいタイルが貼ってあります。

 

【思い出の京阪ミュージアムトレイン】

2010年の京阪100周年のときに土居駅で撮った「京阪電車開業100周年記念事業のミュージアムトレイン」です。昭和2年に日本最初のロマンスカーとしてデビューし人気を集めた、転換クロスシートの豪華車両「1550型」をイメージしたモスグリーンの塗装の2600系でした。

「1550型」の営業運転開始は1927年8月31日ですから、「1550型」のデビュー時は守口~蒲生間の旧線を走っていたことになります。

(おわり)