姫路駅~手柄山駅跡(後編) | 鉄道で行く旅

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大将軍橋の跡地から手柄山に向かっています。

このあたりには支柱だけではなくPC軌道桁橋が残っていました。

 

こういうアングルですと、まだモノレールの車両が走って来そうに見えます。

 

手柄山駅跡が見えてきました。

 

姫路モノレール

思い出の手柄山駅です。(1969年11月)

 

2両編成の姫路モノレールです。(1969年11月)

これは家族で姫路まで出かけたときに撮ったものです。このときに姫路モノレールにも乗りました。モノレール車両に女性のアテンダントのような方が乗っていたことを覚えています。

 

2009年11月15日(日)の姫路モノレール車両特別公開時に配布された記念スタンプです。私は貰い忘れたため、このスタンプ台紙はSさんから頂戴しました。

 

手柄山駅のスタンプのデザインになっているのは、意外なことに「手柄山の遊園地」ではなく「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」でした。これは宗教団体や社会奉仕団体あるいは公営ギャンブル団体とは全く関係なく、地方自治体が自ら建立した塔です。

総務省のホームページにも「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」の案内があります。

『1947年(昭和22年)1月、当時の姫路市長・石見元秀(姫路モノレールを作ったのもこの市長です。かなり強烈な市長だったそうです)が全国で被災した113都市(東京都と112市町)に呼びかけ、全国戦災都市連盟(現在の財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会)が結成された。1952年(昭和27年)4月、恒久平和確立の象徴として慰霊碑建設が提案され、同年7月に建立場所として姫路市の手柄山を選定した。』とあります。

 

慰霊塔の近くに姫路市平和資料館があります。姫路市が平和行政に注力していることを初めて知りました。

手柄山公園内の施設は部分的に老朽化が進んでいるところがあるものの、新しい施設もあり、たいへん立派な大公園です。

 

今回の旅行目的は2018年3月に閉店予定の「手柄ポート(回転展望台の喫茶店)」を見ることでした。ところが、この日は臨時休業(本来は火曜日だけが定休日)だったのです。

「手柄ポート」は閉店しますが、姫路市民の強い要望で2018年3月以降も建物は保存されるそうです。(展望台の中に入ることができなくなります)

 

手柄山公園から見た「姫路城と山陽新幹線」です。

 

山陽電車の手柄駅まで戻り、再び山陽姫路駅へ。

画像は対向列車の阪急三宮行の普通電車です。

 

山陽百貨店の地階にある御座候「たんたん」で担々麺を食べました。御座候は回転焼きの一種である御座候の店舗ですが、地元の姫路にだけ担々麺の店舗があります。

 

昔の姫路駅です。姫路発岡山行の80系電車のようです。(1969年11月)

 

まだ工事中だった山陽新幹線姫路駅の高架ホームです。80系の初期型車両が写っていました。(1969年11月)

(おわり)