千本釈迦堂の大根焚き(2017年) | 鉄道で行く旅

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2年ぶりに千本釈迦堂(大報恩寺)の「大根焚き」を食べました。

午前中に東福寺を拝観した後、京阪電車に乗って出町柳駅まで移動しました。(東福寺の様子は次回に投稿します)

京阪の2600系のファーストナンバーでした。

 

しかし、ちょっとばかり違和感がありました。違和感の原因は連結面の窓が2つあることです。

改造前の2000系時代の初期車は、この部分の窓が1つしかないはずです。早速、スマホで調べてみたら、2000系から2600系への改番は「改造順だった(詳細は未確認)」らしく、必ずしも古い車体が若番ということではないということです。それは知りませんでした。

 

京都市営バスで上七軒に移動しました。

1,000円で「大根焚き券」を買ってから長い行列に並びます。

 

「ぼけ封じ」などと言われているとおりで、年配者が圧倒的に多いです。

ここでは、私なんかは『若造』に過ぎませんでした。(笑)

 

今回は撮影が難しかった大根焚きの大鍋です。「お揚げさん(*)」が浮きやすいようです。

(*)←上に「お」をつけたうえで、下にも「さん」をつける関西弁です。・・おくどさん、おかゆさん(おかいさん)、お豆さん、おいもさんなどです。

 

大根焚きの椀です。揚げが1枚と大根の輪切りが3つ(大根とお揚げさんのたいたん)です。今年は、今までの中でも一番絶妙な煮具合でした。ああ、おいしかった。

 

千本釈迦堂大報恩寺は鎌倉初期の安貞元年(1227年)に義空上人によって開創された寺です。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営(東軍の細川勝元・西軍の山名宗全)から手厚い保護を受け、奇跡的に災禍をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されています。山名宗全が率いる西軍の陣の中心部(『西陣』といわれる地域名の由来地)にあったのが、この千本釈迦堂・大報恩寺です。

 

千本今出川から、なぜか欧米人で超満員の京都市営バスに乗って東山三条付近まで移動しました。バスから降りるときに「パルドン! ごめんやっしゃ!」と言いながら、なんとか市バスから降車しました。

 

前回、手抜きして平城京で代用した平安京の大極殿関係の建築物を撮影しました。(探索できさえすれば自宅に画像があるはずなのですが、それが面倒なのです)

平安神宮は「1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。」もので、分かり易く書くと「内国勧業博覧会のパビリオン」のようなものだったわけです。

画像は「平安京の大内裏朝堂院の應天門(おうてんもん)」を模した応天門です。

 

平安神宮の大極殿です。

これは「平安京の大内裏朝堂院」の正殿大極殿を模したものです。前庭にお決まりの「左近の桜」「右近の橘」が配置されています。

 

ここまで来たら、やっぱり立ち寄ってしまう京都市電の保存車です。(追記:今はありません)

 

続いて、ロームシアター京都へ。

この年は、南座が耐震工事中のため、顔見世興行がロームシアター京都で行われました。

 

南座とは違い、静かな環境の中の「まねき」です。

 

続いて二条通を西に歩きました。

 

以前から気になっていた河原町通の「柿渋」屋さんです。玄関周りの木の部分に柿渋が塗ってあります。(お店の正式名は「柿渋店水谷」または「渋新老舗」さんです)
「柿渋」は、戦前は日常必需品として、投網や漬物樽、渋紙、渋うちわ、合羽、漆器などを作る過程で、それらの商品に柿渋を塗り、渋が固まってできる塗膜が防水・防腐・防虫の効果を発揮していたというものです。

なお、現在は趣味用が中心で、布染めや紙染めに柿渋が用いられるということでした。

 

寺町通の東側の夷川通です。ここまで来ると、もう緑茶の濃厚な香りが漂っています。

 

一保堂さんで煎茶を購入しました。どうでもいいことですけれど、左から2番目の暖簾が裏向きのような気がしました。

 

京阪の三条駅前のドトールでバリューくじ(2017年12月25日まで)を引いたらドトールコーヒービーンズチョコ(岡山市のカバヤ食品製)が当たりました。

早速、帰りに乗車した京阪特急プレミアムカーの車内でいただきました。