思い出の四所駅タブレット授受風景 | 鉄道で行く旅

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1987年7月に当時のJR宮津線(現在の京都丹後鉄道)の四所駅で撮った画像です。まだ宮津線の、この区間の信号保安システムが非自動(タブレット閉塞式)の時代でした。なお、国鉄時代は「通票閉塞式」と呼ばれていましたが国鉄民営化時に制定された鉄道事業法では「タブレット閉塞式」と呼びます。

JR化の初年のため、まだ国鉄時代と同じ海水浴臨が走っていました。

1970年代の「はしだてビーチ」号の名残りのようなものですね。

 

四所駅は当時でも貴重な存在の駅で、非自動の単線区間で列車交換設備(閉塞区間の境界)があり、しかも特急や急行の通過駅だったのです。

 

タブレット(通票)の見本です。中央のタマが通行手形にあたるタブレットです。隣接する2つ以上(接続駅などの場合の最多で4つの閉塞が隣接)の閉塞区間では必ず違う形のタブレット(タマ)を使うため、〇△□と「楕円」の4種類のタブレットが存在しました。

国鉄時代に機関士や運転士が「通票サンカク!」とか言って確認していたのは、このタマの形が進路の閉塞区間の所定のタマの形を一致していることを確認していたものでした。外側のケースはタブレットキャリアというもので、タブレットの持ち運びや授受をしやすくするための運搬具です。

 

さて、昔の四所駅です。駅の助役さん(画像)に撮影許可をいただいて撮影しています。

当時でも、助役さんによっては、撮影不許可のときがあったと思います。(宮津線ではない他の線の助役さんですが、原則どおりに集改札時間以外は通過列車が通るため乗客のホームへの立ち入りを禁止していました。つまり、通過列車の撮影は助役さんの好意に甘えていたような感じです)

四所駅の当時の助役さんからは「もしもタブレットが飛んできたら、撮影をやめて逃げてください」という注意がありました。

急行列車の通過です。運転士とは別人の運転助手が乗っています。

 

四所駅までの閉塞区間のタブレット(通行手形)をタブレットキャリアごとタブレット受柱(通票受柱)に投げ入れます。

 

それでは急行列車の通過時の一連の様子です。

四所駅までの閉塞区間のタブレットをホームに差し掛かったところにあるタブレット受柱に返却します。

 

ホームの進行方向の先端にセットされている四所駅から先の閉塞区間のタブレットをタブレット授柱(通票授柱)から受け取ります。授受の直前です。

 

車両に備えられたタブレットキャッチャーでタブレットキャリアごとタブレットを捕獲(笑)します。

なお、タブレットの受け取りに失敗したら、運転士が列車を停止させた後、運転助士が列車から降りてタブレットを拾いに行くことになります。

 

無事にタブレットをキャッチしました。「急行丹後」だと思っていましたが画像をスキャンしたら「急行はしだて」でした。

なお、車両についているタブレットキャッチャーを使わずに、自分の手(腕)でタブレットを受け取る運転助士の方もいました。当時の四所駅の助役さんは、「自分の手でタブレットを取っているのは宮津線では2人だけやな!」とおっしゃっていました。

 

続いて「特急あさしお」の通過です。くどくなるので説明は省略し、画像だけを貼っておきます。

カメラはフィルムカメラの時代ですので、ニコンF3にモータードライブを取り付けて撮影しました。

今は鉄道の信号保安システムの自動化が進みJRではタブレットの授受風景を見ることができなくなっています。

 

【宮津線の思い出の1枚】

1971年3月に旧宮津線の四所~西舞鶴で撮影した9600形牽引の貨物列車です。