新宿西口のヨドバシカメラ(1982年) | 鉄道で行く旅

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昨日の続編です。1980年代前半の上京時に立ち寄っていた場所は、秋葉原の石丸電気レコードセンターと神保町の書泉グランデ、そして今回の新宿西口のヨドバシカメラ西口本店(当時)の三カ所でした。

聖橋から見た秋葉原方面です。石丸電気の赤い看板が目立っていました。(1986年)

 

♪丸い緑の山手線 真ん中通るは中央線 新宿西口駅の前 カメラはヨドバシカメラ カメラはヨドバシカメラ  

↑早朝なので、まだ開店していませんが、1982年当時のヨドバシカメラ西口本店です。どちらかというと小さい店でした。フィルムを冷蔵庫に入れて売っているところが当時としては斬新でした。映像コーナーのカメラも8mmや16mmのフィルムカメラです。

この当時の西口本店は、現在の「ヨドバシカメラ新宿西口本店マルチメディア館東館」です。

 

【淀橋の地名】

旧「淀橋区」が四谷区や牛込区と合併して新宿区になったのが1947年です。その後の淀橋浄水場の閉鎖が1965年でした。そして新宿区淀橋の住居表示が新宿区西新宿になったのが1970年のことでした。そのときに地名としての淀橋が消滅しています。ところが、それ以前の1967年7月に「淀橋写真商会」の名で淀橋(現在の西新宿)に進出してきた「淀橋写真商会」が、1974年に「ヨドバシカメラ」に社名を変えながらも「ヨドバシ(淀橋)」の名を残したのです。

 

【新宿西口のヨドバシカメラの思い出】
ヨドバシカメラは1980年代までは、その名前のとおりカメラや写真用品の小売店でした。その後の大規模なマルチメディア系の新店舗とは異なり、いかにもディスカウントショップという感じでしたが、高級機を含めて店頭にカメラのデモ機が置いてあり、いつでも新機種に触れることができる点が超魅力的でした。当時は、そういうお店は少なく、普通のカメラ小売店は、まるで貴金属店のような雰囲気でしたので、よほどの得意客でもない限り、カメラを買う勢いのようなものがないことには、店頭のカメラに触れることができなかったのです。

個人的なヨドバシカメラの一番の思い出は、1990年9月にヨドバシ30周年(初期の渋谷時代を含む)を記念してペンタ部に「YODOBASHI」の自社名を入れたフィルム一眼レフカメラ(その名も「ヨドバシカメラ」)の販売があったことです。たしか、ヤシカ108マルチプログラムという機種に「YODOBASHI」のネームとThe 30th Anniversaryの文字を入れたカメラでした。(この頃はヤシカのブランド名は原則では京セラの海外向け機種にだけ使われていましたが、ごく一部は国内でもヤシカの名前でそのまま販売されました)

 

 

↑ ヨドバシカメラの昔の紙袋

1982年頃の大阪にはヨドバシカメラがありませんでした。その時代のヨドバシカメラは新宿西口と新宿東口に各1店舗があるだけでしたので、関東圏以外では知る人ぞ知るヨドバシカメラだったのです。

東京駅で、帰りの0系新幹線の網棚にヨドバシカメラの(昔のデザインの)紙袋を乗せようとしたら、隣の席の見知らぬオジサンの土産と思われる自由が丘・亀屋万年堂の紙袋が先に網棚に乗せてあったことも懐かしい思い出です。

 

1978 ヨドバシカメラ (ksoik)

 

1980年代ヨドバシカメラCMまとめ  (昭和TV)

 

【CM】ヨドバシカメラ 1990~1995年 (Vintage CM Mania)

 

【CM】ヨドバシカメラ 1996~1997年 (Vintage CM Mania)

 

【CM】ヨドバシカメラ 1998~1999年 (Vintage CM Mania)

 

2005年頃のCM ヨドバシカメラ 年末セール (zaruemon channel 02)

 

大阪1983年

現在のヨドバシ梅田の場所には、まだ大阪鉄道管理局がありました。(1983年)

 

現在のヨドバシカメラは、昔とは違って高級店であり、価格勝負の店ではなく、サービスの高さが「売り」になっています。

ヨドバシカメラが秋葉原(または大阪の日本橋など)に昔からあった老舗の電気店とは違って、今も生き残っている理由は、ネット社会に合わせて柔軟にビジネススタイルを変化させていった点です。ヨドバシカメラの場合は、実店舗利用とネット利用をうまく共存させているように思います。

 

JRの大阪駅との接続デッキが完成したヨドバシ梅田です。(2017年)

なお、「ヨドバシ梅田」は商業施設全体を指すもので、「ヨドバシ梅田」の中の家電量販店部分を「ヨドバシカメラマルチメディア梅田」と言います。

(おわり)