今日は、自宅の内装修理で、工務店の方が自宅に来る予定だったため、仕事を休みました。
そこで、時間が余ったついでに、先日取材した関西鉄道桜ノ宮線の廃線跡の探索結果を紹介します。
明治44年(1911年)の地図を引用したものです。このときの城東線(現在の大阪環状線)と桜ノ宮線は国有(鉄道院)化後です。また民営の京阪電気鉄道も開業済みです。
片町線は、浪速鉄道により片町~四条畷が1895年に開業しましたが、関西鉄道と合併後に放出(鴫野駅がまだない時代です)から分岐して桜ノ宮駅経由で大阪駅に乗り入れるために延伸した路線が桜ノ宮線でした。
なお、理由は不明ですが、引用した地図には「網島線」と書いてあります。(部分開業時の線名のままか?)
おおさか東線の関連工事のために鉄橋が新設され、旧橋梁が一旦撤去されているようです。
片町線の寝屋川の旧橋梁の橋脚です。左側部分が嵩上げされた形跡がありますので、下部は浪速鉄道時代の橋脚なのかもしれません。
片町線と城東貨物線(おおさか東線)の分岐部分です。おおさか東線化のための複線化工事が進められてます。
城東貨物線から分岐して淀川貨物駅(廃止)に向かう貨物線の廃線跡です。この部分は旧桜ノ宮線のルートです。
国道1号線です。奥の橋梁が城東貨物線の橋梁です。かつては、画像の手前の道路上に淀川貨物線の踏切があった場所です。
淀川貨物線跡は右側の遊歩道ですが、桜ノ宮線は左の国道1号線(当時は存在せず)に沿っていたようです。
そのまま西に歩くと、ローマでもないのに「真実の口」があります。大阪環状線の高架下の東側にある商店街のモニュメントです。
2018年6月にイタリアのローマで見た本物の「真実の口」です。
「真実の口」とは反対側の大阪環状線の高架部分です。右端が国道1号線を乗り越す橋梁です。
そして画像中央の小さな橋梁が桜ノ宮線を乗り越す橋梁だったはずです。
橋梁の西側部分です。何かの工事中だったために見ることができました。
大阪環状線の車内から見た桜ノ宮線乗越橋梁です。
【桜ノ宮線の歴史】
1898年:放出~網島が開業
1901年:網島~桜ノ宮が開業
1907年:国有化
1913年:網島~桜ノ宮(桜ノ宮線の全線)を廃止