阪神淡路大震災から20年の節目を記念して、阪神大石駅付近で震災前に撮っていた画像を公開します。
1982年頃に知人グループの旅行会の幹事を引き受けました。そのときに兵庫県内の温泉で泊まった翌日に「灘の酒蔵」を見学しようということになり、事前に下見で「沢の鶴」と「菊正宗」の2社の酒蔵を訪問しました。「沢の鶴」は一人でも見学させてくださいましたが、「菊正宗」は事前の予約がないと入れないということでしたので下見のときには酒蔵に入ることができませんでした。(注:菊正宗さんも、この時に予約を入れたグループ旅行時には懇切丁寧に案内してくださいました)
当時の阪神大石駅です。旧塗装の山陽3000系が停車していました。
大石駅から都賀川(大石川)に沿って「沢の鶴」まで歩きました。
1982年当時の沢の鶴資料館です。震災で倒壊する前の建物「昔の酒蔵」です。現在の資料館の建物は1999年に再建されたものです。
井戸と「揆(はね)つるべ」です。
当時の沢の鶴の商標です。沢の鶴は元々は米屋だったため、昔の商標は米印でした。
1991年のCI導入により、商標が現在の鶴の羽のマークに変わっています。
年輩の技術者の方に、丁寧に説明していただいたことを覚えています。
「沢の鶴」の近くにある住吉神社(岩屋の敏馬神社の御旅所)です。ここも、この社殿が震災で倒壊し、今は新しい社殿に変わっています。
当時はまだ使われていた神戸臨港線の軌道です。この画像は都賀川から西側(神戸港・湊川方面)を眺めたところです。遠くに六甲山系が見えます。
この場所が、神戸港方面と摩耶埠頭方面の2地点の折り返し機能を持っていた灘浜埠頭信号所です。
都賀川から東側(神戸製鋼<KOBELCO>の神戸製鉄所)の神戸臨港線の軌道です。
灘浜町から眺めた摩耶山方面です。
最後の1枚は、阪神の大石駅から眺めた都賀川(大石川)の下流方面です。
左奥に、震災の時に校区内で大きな被害があった西郷小学校の当時の校舎が写っています。