京阪大津線(1968年~1970年) | 鉄道で行く旅

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多忙なため、手抜き企画ですが、昔の画像を編集し直して公開します。


京阪大津線

梅小路蒸気機関車館で撮影した8620形8630号です。(参考画像:1994年)

京阪大津線

まだ、機関区として使われていた頃の梅小路機関区です。(1970年5月)

撮影当時、梅小路の8620形は28698と88638が在籍していました。

ただし、28698は休車に近い状態でした。この88638は、この撮影直後に、奈良の48635とトレードされたと思います。この88638は四国の松山時代の1950年にお召列車を牽引した経歴を持っていました。88638は、奈良の次に紀伊田辺に異動し、1972年に、その生涯を終えたようです。


京阪大津線

1968年に膳所駅構内で撮影した28698です。113系の窓から撮影したためブレています。

私の記憶では1968年9月末(昭和43年10月1日の「ヨンサントウ」ダイヤ白紙大改正まで)は、膳所駅構内、石山駅構内で梅小路のハチロクが貨車の入換を行っていました。また、梅小路のハチロクは、この膳所駅の北西側から江若鉄道(こうじゃくてつどう)の浜大津まで、京阪電車の石山坂本線の3線軌条(※当時は標準軌と狭軌を併設していた)の上を走っていました。

「ヨンサントウ」以降は江若鉄道が廃止される1969年11月までハチロクに代わってDD13が貨物を牽引していたようです。

※歴史的には、東海道本線の旧線時代の大津駅が今の浜大津駅あたりにあり、膳所~浜大津間は、その東海道本線の旧線だったのです。そこに、後で開業した石山坂本線(京阪の前身の一つの大津電車軌道)が乗り入れていたという状態が、1969年10月末まで続いていたということになります。


小田急
3線軌条の見本です。(小田急が乗り入れる箱根登山鉄道線。小田急が狭軌で、箱根登山鉄道が標準軌。注:今は運行形態が変わっています。 1985年撮影)


京阪大津線

1968年に浜大津駅付近で撮影した京阪石山坂本線の260形です。まだポール集電でした。

この付近は3線軌条区間が終わっった後です。左端が江若鉄道に接続する狭軌のレールです。


京阪大津線

当時の京阪電車浜大津駅東口ホームから撮影した江若鉄道の浜大津駅付近です。(1969年4月)


京阪大津線

錦織車庫の60形「びわこ」号です。これは現役時代末期の姿です。もう運行本数は少なくなっていました。(1969年4月)

京阪大津線
京津線(けいしんせん)の山科駅で撮影したポール集電時代の260形の急行です。(1969年4月)
※京阪電気鉄道の「大津線」は京津線と石山坂本線の総称です。

石山坂本線の通称は「いしさかせん」ですが、大津弁では「いっさかせん」という発音になります。