第24日 暴力の論理

 

暴力とは、自分以外の人(他者)より、苦痛を強いられると定義します。

暴力には肉体的暴力と精神的暴力があります。

また、他者の立場からみて、意識的と無意識的(本能的反射行為)に分けられます。

意識的暴力には、善意的と悪意的があります。

善意的暴力とは、救命や医療行為や訓練・教育的行為等です。(暴力の枠に入れるのは、不適当と思われますが、定義に解釈的例外は設けません)

悪意的暴力とは、戦争、誹謗中傷、差別的行為、差別的法令、差別的議決、弾圧、取締り等です。

暴力の根源は、動物本能の食餌の獲得の様々な手段の行為のひとつです。原始人類は、脳の発達とともに、高度な狩猟と農耕栽培技術を考案し、人類の繁栄をむかえました。人口の増加は、家族集団から地域・村・国へと生活集団を拡大しました。人間個々の心も、家族や身の回りの単純な関係だけから、集団や組織の複雑な関係を意識することになりました。

人が自分の立場を堅持する最も有効な手段は「力」です。個人の肉体的力には限度があり、それを補うために、より強くするために、複数の人々の合わせた力が考えられました。複数人のまとまりは集団となり、集団は指導者と複数の従う人々で成り立ちます。その組織的構図(上下関係)をつくるのは力です。そして、その力の象徴が暴力です。

原始人類の暴力は、生きるために必要な力の本能的行使だけでした。親が子への指導、外敵からの防衛、自己や家族の防衛等、主として、身の回りの防衛のみでした。(原始純粋論理)

原始人類の多くは、(猿人の延長として、必要以上に他者を攻撃しない)平和人でした。人類の増加に伴い、争いは激化し、暴力的勝者が生き残りました。平和人は争いを好む戦争人(遺伝子情報の闘争系因子の活性化)に変化していきました。

争いや戦争に適応した戦争人には、暴力を自身のみ防衛から、さらに逸脱し過剰に拡大し発展させました。

集団の指導者は自己の正当性(善)を示す為、社会や大衆に対して、不正で暴力的な敵(悪)が必要となり、敵憎悪の感情を作り上げ、過剰な暴力行使を納得・正当化させたのです。

こうした戦争人の暴力行使の論理は、自ら創作した敵を論拠(仮定論拠)としているため、自己中心の閉鎖的世界でのみ成立つ不完全な論理です。つまり、敵の立場からの論理では、当然、善悪が逆転しています。

原始本能(原始純粋論理)では、人間同士を敵としていません。DNA遺伝情報の闘争系因子の異常な活性化が、脳の成長に影響したのです。