第25日 霊の論理

 

霊は、霊そのものと、霊的なものに分けられます。

霊には、人、動物、自然界、神等です。霊的とは、現象が霊に依るものと推定されるものです。

しかし、現実には、世俗的な霊なるものは存在しません。ここで、世俗的といったのは、霊を個人の意識の中の存在ととらえた時、存在を否定できないためです。つまり、人の五感を制御しているのは脳であり、現実には存在しないものでも、脳は見たり聞いたりすることが出来るのです。脳内に想像した霊がつくられるのです。(意識下の霊の実体化=仮想霊)

霊の発生は、原始、人類は自然界に理解できない不可思議な事象に遭遇した時、神々の仕業としました。社会の発展とともに、複雑な人間関係が起こり、怒り、憎しみ、恨み等の負の感情が過激になりました。予期せぬ病気や災難、災害を、神の仕業ではなく、殺された人間や他の生き物の復讐と結びつけたのです。そう考える根底には、加害者(または要因者)としての、負い目(本能に反した不正な行為等)が有るからです。その復讐をするものが霊(霊魂)としました。また反対に、思わぬ喜びを得ると、神とともに様々な霊の加護と考えたりしました。

人々は不可解な事象を、神の仕業と、霊の仕業と区別しました。霊も良い霊、悪い霊があると考えたのです。

霊という考えは、人々にとって様々な解釈が広げられました。

神も霊も、眼に見えないものです。神は想像物であり、霊は人間や生き物等の実体物の魂が発生源です。ある意味、霊は人間と神の間に存在するといえるかもしれません。

霊の存在を信じる人には、体験した人がいます。現実には、存在しないものを、体験することはありません。つまり、体験したと思い込んでいるのです。体験者の話を分析すれば明白です。

・意識はあるが、日常的対応をしていない。

その場において、異常状態の強い認識がなく、本人自身は茫然としている。

霊のほかには、UFO(空飛ぶ円盤等)や妖精・小人等の目撃。この時の脳は、部分的に一時、機能停止や休眠状態になっていると推測されます。

・証言者は本人だけで、物理的証拠はない。

別の人も見たというが、その人の実証言はない。心象的証拠は見間違いや思い違い、勘違いの可能性大なのです。

写真や音は、トリック、自然現象の一つとも考えられます。

生まれ変わりや幼児期の記憶(母や家族に刷り込まれた記憶)は、反証できないが実証も不可能です。

金縛り(レム睡眠中に起こる幻覚)を霊の仕業と思い込む。

思い込みでつくられた、脳の記憶は、情報(不確実、不正確な発言や出版物)の蓄積によって、より強固な記憶になります。その人の脳は、「霊は理解できない存在」として、存在したのです。つまり、脳の非論理化(感情脳)です。

霊界や天国・地獄とは、非論理的・非合理的な空想の世界です。