第27日 ウソ(嘘)についての論理

 

ウソ(嘘)は、広い意味で、全ての生物の生きる為の本能といえます。

食餌や身を守るための擬態やオトリもウソといえます。

生きる為のウソは、知恵の一つなのです。

人類にとっては、ウソは生きる為に必要な本能であり、否定できません。つまり、ウソは知恵でもあり、悪(心身を傷つけるという意味で)でもあります。

知恵と悪との見極めは、みる立場によって判断が逆転するのです。

人のウソが成立するには、ウソの認知が必要です。個人が認知しますが、気付かない場合、ウソは成立しません。しかし、他の人が認知することで、ウソは成立します。

人のウソは、事実や真実、目的・意図を隠すことです。誇大誇張、でっち上げ、焦点ずらし、ピンポイント情報、無視、情報非開示・隠滅、権力濫用等。

ウソの対象は、自己と他人があります。自己にウソをつくとは、先入観、思い込みや願望によるもの等です。

ウソの発信理由は善意と悪意に分けられます。ウソの発信は、発信源が当事者である本人発信と、情報による本人以外の媒介発信があります。また、意図的発信と一般的発信があります。

人がウソをつくのは、本来、生きる為でしたが、人類社会の拡大発展とともに、自己防衛と欲望達成に使われるようになりました。

ウソの発信は言葉と媒介物があります。媒介物とは、文書、テレビ、ラジオ、色々なモノ(物)等です。

大きなウソに歴史書があります。歴史は常に勝者の視点(正当な支配者として論拠の証明)で書かれています。過去の歴史も、現在の勝者の立場から書き直されたり、解釈を変更されたりしています。歴史のウソを見つけることは、ほとんど不可能といえます。そして、現在も新しい歴史のウソが作られています。

巧妙なウソに、部分的事実をもって全体とみなすがあります。一部少数の意見を取り上げて全体の意見とする手法で、権力者側の立場をとるメディアが世論誘導に活用しています。又、科学的論拠の意図的誤用や説明や論点削除による世論操作があります。

ウソを見抜くのは不可能であり、従って、真実を知るのも不可能です。ウソの証拠は歴史の中で事実と化します。しかし、ウソを推定することは、不可能ではありません。その方法は、強者に対しては、その全てを疑い、そして徹底した論理を積み重ねることです。(弱者のウソを追求するのは、相対的に強者のウソをより強くします)

正義や倫理といったものは、人類社会において、極めて個人的なものです。ウソによって社会が成立している以上、正義や倫理を問うのは無意味で、現実世界は、正義や倫理を無視するか、捻じ曲げたウソの正義や倫理によって動いています。