主観性を解き放ちたい。 | Work , Journey & Beautiful

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オルタナティブな学びを探求する

 
舞台に明け暮れる大学生活を送っていた僕が、社会人になったのは2004年のこと。僕はとある採用のコンサルティング会社に入社した。求人広告を販売しながら、さながらその企業の人事部の一員として採用計画や採用フローを設計したり、その一部を支援するというのが僕の社会人としてのはじめての仕事だった。
 
その会社はとても小さく、色々と苦労はあったが、人と組織をうまくマッチングする仕事には面白みがあった。特に、一般に知られていない会社、仕事の魅力を引き出し、求職者に伝えていくという活動は楽しかった。しかし中にはクライアントとのやりとりの中で情報を装飾したり、あるいは、あえて分かりにくくしたりすることがあった。そうせざるを得なかったのは自分の力不足であり自分を責めるとともに、そういう虚像を作る仕事をしている自分に違和感を積もらせていた。はじめは仕事だからある程度は仕方がない、と言い聞かせていたが、ある決定的な仕事がきっかけで、その仕事に取り組み続けることが自己表現としてどうしても許せなくなった。
 
ちょうどその時、大好きだった祖父が亡くなった。社会人になり、奈良の実家を出ることにした時、祖父に自分の人生の指標にするから、と短冊にメッセージを書いてもらった。そんなことを頼んだのは、僕の人生において後にも先にもこれ以外にない。その言葉は未だに僕の家にある。その短冊にはこう書かれていた。「誠の道を歩かざれば、命の珠は輝かじ」
 
祖父が亡くなった時、一生分かもしれないほどに涙が出たが、その涙は祖父との別れが辛かったのか、それとも祖父との別れ際に自分が胸をはって仕事をしていないことが申し訳ないと感じたのか。きっとその両方だったんだろうと思う。
 
結局、僕は三年間でその仕事を辞めた。
 
そして、研修や人事・組織コンサルティングを手がける会社へと転職した。転職中、他の業界を見てみようとは思わなかった。虚像を伝えなくてはならないのは、その会社が働く人にとって魅力的じゃないからだ。であれば、その会社を働く一人一人にとって、社会的にもよりよい会社にする仕事をしよう。そんな問題意識から、僕は研修や人事・組織のコンサルティングに可能性を感じていた。
 
転職後、僕は人と仕事と組織と社会の“正しい"関係性とは何か?を模索することがテーマになった。どうすれば人は成長するのか、どうすれば人は仕事にもっとやりがいを見出せるのか、どうすればやりがいを感じながら組織や社会にとってもよりよい結果につながるような働き方ができるのか。その答えを見つけたくて、相当量の仕事と理論の学習に時間を費やすことになる。周囲からは、たかが研修なのにやりすぎ、こだわりが強すぎて澤田の案件はやりにくい、などと言われることもしばしばあり、ジレンマを感じたが、そのテーマを追いかけることで安心できる自分がいた。
 
今思うと、当時の僕を突き動かしていたのは、真理を見出したいという純粋な探究心ではなかったのだろう。むしろ「虚業だと自分が思ってしまう仕事をしてしまうのではないか」ということが怖くて仕方がなかったのだと思う。
 
そうして仕事に打ち込み、知見を拡げる5年の時が流れ、30歳になった時、僕はミテモという会社を経営することになった。2012年3月のことだ。当初ミテモは、親会社の研修プログラムを映像化/eラーニング化する制作会社として2011年6月に設立された。その設立のきっかけを作ったのが僕だった。そろそろ誰かがきちんと経営をしなくてはならない、であればきっかけを作った澤田に任せてみよう、という理由で僕はその経営を任されることになった。よく人から社内ベンチャーを立ち上げたのですか?と聞かれるのだが、どちらかというと会社の箱が先にできて、経営する人が必要だったので僕が充てがわれた、という方が実態に近い。とはいえ当時、僕は、クラスルームの中でのみ行われる学びに限界と飽きを感じていたこともあり、単に研修を映像化する/eラーニング化すること以上の価値を生み出したいと考えていた。
 
しかし、その一方で僕はそれまで企業内研修という既存の領域の中で「虚業になるまい」と思いながら仕事に打ち込んできただけで、これといってゼロから生み出したい学びのビジョンがあるわけではなかった。誰に何を提供すべきなのか、何を生み出すべきなのか、何が正しいのか。ゼロから何かを生み出すというのは、こんなにも暗中模索なものなのか、と途方に暮れたのをよく覚えている。
 
僕はまず色々な人の話を聞くことにした。教育領域で活動している人、地域で活動している人、様々な新規事業を立ち上げるべく活動している人、とにかくこの人は面白いのではないかと感じた人に会いに行き、話を聞き、自分と対比しては自分は何をすべきなのかを考え続けた。    
 
色々な人の話を聞いてみると、教育という領域で新しいことに取り組もうとしている人たちは多く、それぞれにアプローチこそ違うが、あるコンセンサスがあることがわかってきた。例えば「21世紀はかつてなく不確実性が高く答えのない時代だから、従来のようにすでにある知識を教える教育よりも、個々人が自身のテーマを探求し、創造する力を育むことが必要である」といったもの、「社会の変化に既存の教育システムは適応しておらず、システムとしての変革をもたらす必要がある」といったコンセンサスだ。それらのコンセンサスは、僕自身少なからず既存の枠組みに感じていた違和感とも合致するものだった。そのことに気づいた当初、僕は、あぁ、自分が感じている違和感は多くの人が感じていたことなのだ、と安堵した。この道を歩けば、虚業にはならないだろう、と。
 
ただ、その安堵はあまり長く続かなかった。eラーニングや映像を活用した反転授業、探求型のスタディツアー、大企業の理念浸透プロジェクトなどを手がけながら、様々な人と関わりながら話をする中で、僕はまたもや違和感を感じていった。
 
その違和感の一つは、こと教育という領域で色々な人と話している際に「新しいパラダイムか、そうではないか」という対立的な構造を感じたことだ。僕は親も祖父母も教師(父親は予備校の講師だが)であり、年季の入った彼らには僕が取り組んでいることが受け入れられないようにみえた。また一方で、自分の周囲にも既存の教育システムを「古いパラダイム」「イノベーションを起こそうとすると旧体制の人から敵対視されるもの」と表現する人も少なからずいた。僕は、どうしてもその新旧という分け方にリアリティを感じられなかった。一人ひとり紐解けば、その人なりの熱意と創意工夫があり、例えば一斉授業か参加型かなどのように二元論にあてはめてしまうにはそれぞれが多様であるように感じられた。
 
また、何より、自分が探求型の教育に人生をかけて取り組むということにもリアリティを感じられなかった。これがとても重要な違和感だったように思う。学びの場をデザインする技術、ファシリテーターとして学びを促す技術、それらを磨けば磨くほどに、参加者は能動的な気づきを得るようになり、時には驚くほどの変化が生まれる瞬間にも立ち会えた。決して、自分がやっていることが無意味だとも、虚業だとも思わないし、むしろ、有意義だと感じている。なのに、どこか物足りない、100%全身で自分の魂が乗っかっている感じがしないそんな違和感を感じ続けていた。
 
転機が訪れたのは、ミテモを経営して4年が経った2016年の夏からの一年間。その一年間、僕はそれまでとは全く異なる仕事をすると決め、自分が本当に面白いと感じられる仕事をゼロから作ろうとトライし、いくつかのプロジェクトが形になった。詳しくは触れないが、その中の2つのプロジェクトが特に印象に残っている。一つはクライアントからのオーダーを受けたプロジェクト、一つは地域の仲間たちと立ち上げたプロジェクト。目的もプロセスもアウトプットも異なるものだったが、自分がとことん面白いと思うことを突き詰めながら、到底自分一人では思いつくことも形にすることもできないであろうことを多様な人と一緒になって作り上げるということは共通していた。僕自身、そのプロジェクトが面白くて熱中していた。気づけば、色んな人とエネルギーが集まっていたし、関わってくれた人たちもとても熱中していたのが伝わってきた。それまでに自分が感じたことのない充足感と手応えを感じていた。
 
その経験を経て、僕はこう思った。
 
「リアリティを感じない」とか「100%自分の魂が乗っかってる感じがしない」などという感覚は極めて主観的なものだが、むしろ、この主観性こそが極めて重要なんじゃないか?と。こんなにも多様な世界で最大公約数はどんどん小さくなっている中で、虚か実か、正しいかどうかといった客観的な意味づけなど、どれだけの価値があるのだろうか?と。
 
また、こうも思った。
 
合理化、効率化が重んじられる環境下では、主観性はむしろ余分なものだと捉えられる。これは何も会社勤めをしている立場かどうかといった立場の違いによるものではなく、ありとあらゆる立場の人が主観性を抑え込むようにして生きているのではないか。であるならば、そんな枠組みを取り払おう。主観性を解き放とう。順番が大事だ。まずは自分達が、面白い、リアリティを感じる、100%想いが乗る、といった主観性を何よりも大事にしながら価値を生み出す。そして、その取組みに色んな人を巻き込み、関わった人の枠組みを取り払う。
 
◯◯から主観性を解き放つ、これこそがミテモを通して僕が表現したいテーマだ。◯◯には、色々な言葉が入る。都市、組織、業界、恐れ、過去の成功体験、思い込み。僕は、こういったことが面白くて仕方がない。共感しなくていい。迎合しなくていい。あなたはどう?何を面白いと思う?そんな問いをミテモという会社の働き方、プロジェクトやプロダクト、会社のあり方を通して一つ一つ具体的に形にしていく。教育、ソーシャルイノベーション、人材開発、組織開発、地域活性など様々なジャンルの取組みは、あくまで具体的な形として社会に表現していくためのインターフェースに過ぎない。それぞれのジャンルに好き好んでこだわることはあっても、とらわれない。