Neo Scrap and Build | Work , Journey & Beautiful

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オルタナティブな学びを探求する

「私はこの都市(フィレンツェ)の移り気なことをよく知っている。だから、50年以内にメディチ家は追放されるだろう。だが、私がやらせた建築はそのまま残るだろう」

ルネサンスを支えたパトロン、メディチ家においても、積極的に芸術活動に投資をしていたコジモ・ディ・メディチが晩年に語ったというこの言葉一つを取り上げても、西洋文化において「永遠」が重んじられていることが読み取れる。

 

※実際に、メディチ家はコジモ没後30年でフィレンツェを追われるが、コジモが支援した芸術作品や建築した家は現代に残っている。写真は、コジモがミケランジェロに発注して建築したPalazzo Medici Riccardi (画像参照元:wikipedia

 

永遠(あるいは永遠に残るもの)を重んじる文化の背景には、領地争いと戦争と破壊を繰り返してきた歴史に裏打ちされたアイデンティティがあるのかもしれない。そう考えると、争いすら超越するような「価値あるもの」を生み出すことで、永遠を手にしようとするアイデンティティこそが、様々な芸術作品を生み、現代にまでその価値を受け継いできているようにも見える。

 

いきなりルネサンスの話を持ち出したのは、こうやって対比することが、自分達のことをよく理解するきっかけになることがあるからだ。日本の場合、近代まで外部からの侵略はほとんど起きてこなかった。そして、地震をはじめとした自然災害の中を歩んできた。

 

だからなのだろうか。都市設計においても、建築においても、芸術においても形あるものを壊しては新たに創る、つまり「Scrap and Build」を通して伝統を受け継いでいく傾向にある気がしてならない。その最たる例は、1300年にも渡ってScrap and Buildを繰り返す伊勢神宮の式年遷宮だろうか。

 

(画像参照元:warabikazuo.com

 

あるいは、今の東京の都市設計もScrap and Buildの賜物だ。皇居という空間を中心におき、西洋のような放射線状(中央集権的)な都市ではなく、環状線状(円環状)の都市構造を築いているが、この形態は縄文時代から日本国内に見られた集落構造である。その間、都市の規模、人数は大きく変化し、建築物は何度も作っては壊されてきたが、根本的な都市設計の思想は受け継がれてきている。

 

形あるものは儚く、いつかは滅びる。であるならば、積極的に物質的なものを解体しては、また新たに作り上げながら、目に見えない精神的な価値を受け継いでいこうとする。これは建物や都市に限った話ではない。例えば、伝統芸能である「能」も、現在のような形になったのは戦後で、650年間の歴史の中で革新を繰り返してきた。ただ、形は変われど、幽玄、つまりあの世のものを人の想像力を掻き立てることによってこの世にあるかのように表現する思想は世阿弥が能を確立してから不変だ。

 

新潟県 薪能(佐渡島)©Yoshiyuki_Ito  クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)

 

非連続的な革新を通して、精神的な価値を受け継ごうとする背景には、島国の中、つまり他に肥沃な大地を求めて移動することが容易ではなかった環境の中で過酷な自然環境に適応しながら生きながらえてきたアイデンティティがある。これは、根本的に西洋的なアイデンティティとは異なるものだ。

 

アイデンティティが違うから、日本は西洋の真似をする必要がない、などということをこのグローバル社会で述べるのはナンセンスだろう。例えば、西洋文化に見られる、一千年を超えるコンテキストを言語化・体系化し、何をもって「価値あるもの」とするのか(永遠に残すべきものであるかどうか)を評価しようとする姿勢は、価値あるものを長期的なビジョンをもって未来に受け継ぐ上で大いに取り入れるべきものではないだろうか。あるいは、何をもって「価値あるものか」を評価するために、現存のものを批評的に捉え、新たな概念を評価し続ける思考態度なども大いに取り入れたいものだ。

 

では、西洋的な長期的なビジョンとコンテキストを取り入れつつ、また、技術が発達することで「より壊れにくい」都市設計が可能になりつつある中で、僕らが受け継いでいく精神的な価値やアイデンティティとはどのようなものなのか?それらをどのように受け継ぎうるのか?あるいは、これからの時代におけるScrap and Buildとは何なのか?

 

その問いに対する、僕なりの解が今回立ち上げるJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLだ。

 

 

JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLを立ち上げるにあたっての僕の想いは、MISSION & MESSAGEに記載している通りなのだが、僕は物作りに携わる人たちに対する羨ましさと憧れを感じ続けている。より具体的に言うと、物を作るということを通して彼・彼女が無意識的に受け継いでいる精神的な価値観、アイデンティティがかっこいいと思う。本家の酒蔵のエピソードをMESSAGEに書いたけれど、要は酒造りを営みながら、「流域との共存共生」というアイデンティティを受け継いでいることに、ガツンとやられたのだ。

 

そして、生産プロセスを支える道具、つまり本家の酒蔵の場合は甑が作られなくなるかもしれないことに対する違和感を感じたのも、同じ理由だ。合理性だけを考えれば、温度調節がしやすいテクノロジーがあれば、本家の酒造りの品質は保たれるだろう。しかし、甑作りをしている物作りの現場にはその現場なりのアイデンティティがある。何より、本家の酒蔵には流域との共存共生というアイデンティティがあり、それらが途切れてしまうことになる。また、地の縁ではなく商いの縁で繋がれたもの同士(エコシステム)の共存共生を考えていくこともまた、本家の酒蔵が時代に合わせて受け継ぐべきアイデンティティなのではないか。

 

とはいえ、自分はものづくりへの憧れを抱きつつ、分家筋で酒造りに携わったこともなければ今後もおそらく携わることはないだろう。何より僕は酒も飲めない。そんな僕に何ができるだろうか?とくすぶり続けた結果が、教育や場作りを生業としてきた僕が仕掛ける「ものを作らない、ものづくりのアイデンティティを次代につなぐScrap and Build」それが、JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLというプロジェクトだ。酒を作らない僕が、本家の酒蔵が代々受け継いできたアイデンティティを次代につな業とするプロジェクトなのだ。

 

この他にも、神田錦町において活動しているPlayful streetも、近代都市というストラクチャーを活かしつつ、これまで合理化と効率化を重んじて作り上げてきた都市的な働き方や暮らし方に対する遊ぶという行為を通したScrap and Buildであり、よりCollective(集合的)でCultivative(相育的)な都市作りのプロジェクトだ。また、これからいくつかの地域で立ち上げていくそれぞれのプロジェクト、あるいはミテモという会社のあり方ひとつとっても、根本的には「これからの時代における僕らだからこそのScrap and Buildとは何なのか?」という問いへの解だと思って、仕込み、創り上げていきたい。