良くも悪くも理論というのは理想にすぎない。なので、何かしら上手いやり方を探ろうと思い、理論を調べても「あまりに当たり前のことしか言っておらず」「抽象的なことしかわからない」ことが多い。
例えば、人のやる気(モチベーション)に関する理論の一つに、アトキンソンの期待価値理論という理論がある。この理論では、人のやる気は下記のように成り立つとされている。
モチベーション = 期待 × 価値
ここでいう期待とは、何かしらのことをした時に結果が得られそうだという期待のことをいう。価値とは、何かしらのことをした時に得られる結果そのものに対して本人がどの程度価値を感じるかをさしている。要は、この理論が述べていることをやや乱暴に言葉にしてすると二つのことを言っている。
・人は「頑張ったら結果がでそう」で、かつ、「その結果得られるものが魅力的」であれば頑張る。頑張っても結果が出なさそうだったり、頑張っても何の得もしないのであれば、頑張らない。
・掛け算なので、期待(頑張ったら結果がでそう)と価値(その結果得られるものが魅力的)のどちらかが欠けても人のやる気は促進されない。
さて、この理論を見てどう思うだろうか。僕は、「そりゃ、そうだ」と思った。当たり前である。なんて当たり前のことをさも真理かのように述べるのだろう、と思うかもしれない。
ただ、これが、理論なのだと思う。繰り返しになるが、理論とは理想であり、その多くは考えてみると当たり前のことなのだ。ただ、理想論に過ぎないので使えない、と言えるのかというとそんなことはない。
もちろん、理論を知ったからといって何かしら実用的なヒントが得られるのかというとそんなことはないものが多い。が、実用的、つまり現在自分が向き合っている課題を解決する具体的な打ち手を導き出すのは、そもそも理論の役割ではない。それは、その課題に向き合っている当事者の役割なのだ。
理論を知ることで、本来これはどうあるべきか?が明確になる。ある程度実証された理論はとりわけ貴重なあるべき姿を示してくれる。あるべき姿が明確になれば、現状とのギャップが分析できるようになるし、課題を設定できるようになるし、打ち手を明確にすることができる。あるべき姿を当事者の主観ではなく、客観的に捉えられるようになるのが理論のいいところなのだと思う。