話を個人に戻す。
以前も一度書いたことがあるが、僕は時々うらやましく思う。過ぎ去りし高度成長期の日本で働いていた日本人は、とても幸せだったのではないかと。
それは非常にシンプルな論理の中に生きられたからこそ感じられた幸せだったともいえるだろう。多くの人が同じベクトル(日本を世界的に豊かな経済大国にしたい)へ向かい、ゆるやかではあるものの一体感があった。そして、どうすればそこにたどりつけるかも比較的明確だった。そして何にどれだけ貢献すれば、どのような見返りが受けられるかも明確だった。
つまり、「皆と一緒に頑張れば望む生活が手に入る」という極めてシンプルな論理のもと、一心に努力をすることができた時代だった。
またグローバルな視点で見ても、急成長する日本市場で働くことはある意味世界の注目を集める市場で働くことでもあり、それはとてもエキサイティングなことだっただろう。
しかし、それに比べると現代はどうか?高度経済成長期のような保証(とにかく頑張れば幸せになれる)はどこにもありはしない。組織の寿命も短命化し、様々な局面で何が最適かを判断しなくてはならない時代だ。僕らは不安を抱えながら、極めて複雑化した情報の中で、無数にある選択肢の中から(もしくは選択肢すらない中から)自ら最適な選択を選び、判断し、行動することが求められる。自律性が求められるとは、すなわちこういうことなんだろう。
とはいうものの、この状況は全く悲観すべき状況ではなく、むしろ社会として次のステージに進むべき段階が訪れたと捉えるべきだと僕は思う。これまでのような画一的なキャリア(生き方)観にとらわれることなく、あるときは自己実現、あるときは夢と呼ばれるものを包括的に含む本質的な豊かさを個々人が本質的な豊かさを追求することで、社会が豊かになる-そんな時代の訪れであると思えてならない。これまでで最も人間の個が解放される時代と言ってもいいのかもしれない。
社会的に悲観的な価値観が拡がっているけれど、これも新しいステージへ向かう過程で現れる現象でもある。人が、そして社会が新しいステージへ向かうとき、これまでのステージを踏みつけ、否定する、苦しい道のりが必ず存在するものだから。
■本質的な豊かさを求めて
人が人生を通して追い求める豊かさとは何なのか?
【本質的な豊かさを求めて①】人は過程からこそ幸せを感じる
【本質的な豊かさを求めて②】求める価値とは?
【本質的な豊かさを求めて③】「自律」とは何か?
【本質的な豊かさを求めて④】組織の成長と個人のキャリア形成力の相関性
【本質的な豊かさを求めて⑤】複雑性とキャリア形成の必然性の高まり。
【本質的な豊かさを求めて⑥】3つの発見による深化。
【本質的な豊かさを求めて⑦】怠けずに生きる。欲し、求める。深く、広く。
金は僕らを豊かにしない。