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思うようにならなかった。
こんなはずじゃなかった。
なんで、こんな目に遭うんだ。
気がおかしくなりそう事が起こる。
すると『自分は壊れてしまった』んじゃないか?
或いは『あの人が、こんな風になる』なんて
『壊れてしまった』のではないか?
そんな『想い』が湧き起こる。
『自分が、自分じゃない気がする』
『あの人が、あの人じゃない気がする』
こんな人じゃなかったのに。
あんな人じゃなかったのに。
そんな『想いを馳せる』瞬間は生きている限り
何度も何度もありました。
身近でなくとも、身内だったり様々でてした。
『話が噛み合わない』のはもちろんの事。
『会話にならない』
『関わりたくない』
逃げたくなる状況なのに『逃げられない』
そして『自分自身を追い詰める』
あー、自分までおかしくなってしまった。
これは誰にでも起こり得る状況です。
誰に聞いても、誰に相談しても
『答え』は見つからない。
話しても無駄だ。
もう何にも話したくない。
誰にも言いたくもない。
そんな心境になりますね。
『心療内科』でも『当たり障りのないありきたりの言葉』
投薬で『誤魔化そう』とするのが見え見えで嫌になる。
あー『治せない』『治らない』のだな。
そうです。『悪化の一途』『悪循環』を感じる。
壊れちゃうんだな。
壊れちゃったんだな。
『楽になる方法』を探し、『楽になれるモノを探し』
更に『自分自身を誤魔化そう』とする。
違うモノに目を向けてみる。
好きなモノに打ち込んでみる。
その時は一時的に楽になった気がする。
でも『現実』を突き付けられ『更に落ち込む』
逃げ場がないんだな。
すると『現実逃避』を探し出す。
見ないようにする。
感じないようにする。
そんな事を長時間続けると『本当に壊れていく』ので
『後の祭り』になった人も多く見てきた。
自分は不幸で、どうしようもない人生なんだ。
って、思っていた時期も経験しました。
自分の限界がMAXなんだって分かっても
『どうしたらいいか分からない』
『自分の事まで分からない』
『自分の事が分からない』
『自分が分からない』
そんな時に『周りの事なんて分かるはずもない』
なのに『しっかりしろ』とか『大丈夫?』とか
マジ勘弁!って思っていた。
人の笑顔、人の優しさが嫌な時期もあった。
なんで、こんな人生なんだろ?
『人生について知りたい』
『この世界の仕組みを知りたい』
『この世には秘密が有るのか?』
そんな経験をしたからこそ
『この世界の構造を知ること』
が出来ました。
『不安定でも壊れていなかった』
『迷ったけど欠陥ではなかった』
そう言えるのです。
物語は好き?
僕も好きです。
子どもの頃に出会った『小説』『漫画』『アニメ』
よく『没入』して『感情的』になったものです。
『絵本』でも『本気で恐れた』り『夢を描いた』
ストーリーによっては『共感』し『主人公そのもの』に
なりきれる面白さ。
ドラマ、映画、アニメ、子供向け番組、CM、漫画、小説
本気で『本当に有る世界』だと思うほど。
泣いて、笑って、怒って、恐れて、悲しんだり
時には『逆転人生劇場』なんて『スッキリ』『ワクワク』
心が躍る!って、そんな物語が好きでした。
『悪』『悪魔』は本当に存在して『正義の味方』のように
『倒すべき』そんな思いを馳せながら生きてきた。
そうすると『そんな物語の影響』は『無意識に影響』し
実際の人生でも『似たような事』が起きる。
『腹立たしいこと』『悲しいこと』『悔しいこと』
『寂しいこと』『嬉しいこと』『恐ろしいこと』
起きていることに感情が揺さぶられる。
すると『起きるかも知れない不安、怒れ』で
消極的になる。
ネガティヴ感情が優先して、『不安通り』になる。
『予感が当たった』なんて思ったりしてね。
そんな時って『親に言われこと』を何度も何度も聞かされ
『戻らない時の事まで責め立てられる』
繰り返し繰り返し経験した事が『染み付いてしまう』
『沼にハマった』ように抜け出せない。
決まって『自分は悪くない!』『周りが悪いんだ!』
『親が悪いんだ!』『先生が悪いんだ!』『学校が悪い』
『社会が悪い!』『アイツが悪い!』
責任転嫁のプロになってしまっていた。
そんな時『世直し』しなきゃ!って思ってしまうまで
それほど『時間は必要なかった』
『反抗期』ですね。
みんながしているから同じ事ようにしなさい!
って言われながら育つと『反発心が育つ』のです。
幼い頃から『人と同じようにしろ!』って言われると
『なんで同じじゃないとダメなの?』が先行した思い
だったので『自分自身が認められていない』
『ダメ人間なんだ』と『萎縮した思考しかない』
そんな学生時代まで『異種扱い』『変わった子』でした。
社会人になって『車を知りたい』思いで『トヨタ自動車』
へ入社。社会見学で工場見学した時目にした『車の検査』
行けたらいいなぁ、の思い通り『品質管理部』へ。
車の構造、仕組み、製造過程、検査過程、品質管理業務
設計、不具合調査解析、設計変更、再発防止、他業種
関連業社との打ち合わせ、報告会などに携われた。
この時から『構造』『改善』『解析』『設計』『修正』
『設計』など『構造を考え、見て、解析、改善』の
基礎を学ぶことができたと思います。
子供の頃によくある『虐め』も、される側、する側の
両者を経験し、常識に縛られる窮屈さ、常識破りの反動
変化する為に壁を壊す恐ろしさをトコトン味わう。
事件、事故、離婚、結婚、戸建住宅購入、売却、借金
転職、無職、引越し屋、介護職で認知症、風俗業界
製鉄所のゴミ処理、イベント会場作り、小型モーター製作
タクシー乗務員など様々な仕事を経験、色んな人の人生を
垣間見たり、関わり、人間関係、人を見る機会があった。
その結果、分かった事があります。
誰もが『人生は物語』だと思っている。
上手くいかない人、上手くいくる人、ズルばかりする人
高飛車な人、謙虚な人、劣等感の人、自慢する人
イライラな人、ネガティヴな人、流されているだけの人
それは全部『自分で選択している』
自分の人生の脚本に基づいて生きて体験している。
『現実を見ろ』は『現実として呑み込まれている』
でも『それを楽しんでいる(味わっている)』だけ
なんだ思うようになりました。
この世界は
『自分という人生の脚本で味わう』
舞台装置に過ぎないんだ。
それぞれの関わる人達は『役割を果たす』登場人物
人は幸せを求めて2000年余り変えようとしてきた。
『哲学』『宗教』『道徳』『学問』『医学』『経済』
『科学』
分離して専門的に取り組み続けてきた結果が今現在です。
『歴史は繰り返す』と言われてるのに『何故繰り返す』
のか『分からないまま』未だに繰り返している。
解き明かそうすると『邪魔するモノ』も存在する。
『利権』ですね。
でも『その利権も舞台装置』
全部『舞台装置』に過ぎない。
それぞれの人がそれぞれ味わいたい事を体験する為の
『舞台装置』です。
では『変える方法はあるのか?』と問われれば
『ある』です。
ただし『ゴールは決められない』
『あなたの人生の脚本を書き換える作業』は
『簡単ではない』のです。
『目的を知る』『目的を果たす』のが『必須条件』で
それは『あなたの想い次第』なのです。
知っても『興味ない』『決断できない』『理解出来ない』
などの要素は『今じゃない』のです。
さらには『知る事も出来ない』人の方が圧倒的に多いのも
確かなのです。
『頭じゃない』分からなくても出来る人は出来る。
『心じゃない』心は嘘をつく。殆どの人は自分自身に
嘘をつきながら生きているから。
『魂(無意識・潜在意識)』知りたい気持ちが鍵。
僕自身も長い間、自分自身に嘘をつきながら生きてきた。
だからこそ『辛さが分かる』『真実の扉の前』まで
来れたのだと理解しています。
人生の舞台装置の構造を解き明かせるのは『ここだけ』
で、『模倣したしとしても上部だけの偽物』です。
覚悟のある人だけに発信しています。
人生の物事は『起きている』と思い、感じています。
誰もが『そのように教わった』から。
時系列に纏めて理解する。
説明する。
認識する。
その結果『我々は現実は起きている』と認識せざるを得ないように『プログラミング』され、疑う事のないように『ノイズ』を仕込み続けられている。
『型(かた)』に嵌められ、制限を掛けられている。
同時に『自らも制限を掛ける』事までしている。
無意識にしている事なので『無自覚』です。
『潜在意識』とも言われています。
そうです。
『言われている』だけです。
バイアスの掛かった認識、理解が『正しい』と
思い込み、思い込まされてる。
無意識で無自覚なので分からないのです。
人は証明出来るモノ、再現性のあるモノしか
信じようとしない。
科学万能、共有、共感出来るモノだけしか信じない。
そこから抜け出せない『偏見』=『常識』と言う名の
『呪詛』『呪い』です。
その世界しか知らない人達の言動を見ていれば
分かると思います。
『その世界の常識』は『他の世界の非常識』
つまり『通用しない』のです。
そこでしか『通用しないルール、法則』
抜け出してみないと分からないのに
抜け出す事が出来ない事ばかり。
これは『全人類に言える』
そんな風に思った事ないですか?
だから『簡単に洗脳』されて『支配』されている。
『安心』を求めるから『利用されている』という
『捉え方』を考えた事もないのです。
『正しい』という『思い込み』は『偏見』である。
『正義』と『悪』の『対立』は『何を生み出し』
『何を学んだ』?
争いを生み出し、騙す側と騙される側、搾取する側と
搾取される側、利用する側と利用される側。
格差の元凶でしかなったのに根深くて根強い思想に
囚われてしまい苦悩し続ける人類史。
しかも『それが当たり前』だと諦めたり
無駄に方向違いの蟠りで暴徒が席巻して
世の中を騒がせている。
『根源が分からない』まま、言動を制しようとしても
出来ない状態が世界中で起きている。
起こした人々を責めることしか出来ない。
世の中が悪いみたいな風潮で終わるのでしょうか?
変わらないままで『人類は進歩した』『文明が進んだ』
『〇〇が古い』『新しい〇〇』だなんて
おかしな話、だと思いませんか?
理解、認識が浅く、狭い領域の中にいて『比較する』
『無知の知』が出来ない『愚の骨頂』。
でも、悪い訳じゃなくて『そこの世界に生きていく』と
決めた人達の『生き方は正しい』。
それぞれの体験したい目的は果たす権利は尊重します。
この世界は、何をしても自由な世界。
やってはいけない。というのは『他人が決めたモノ』
『戒め』『道徳』『法律』などなどあります。
また『それを破りたいのも自由』です。
行動の話ではなくて『思考』の話です。
極論過ぎて『神経質』『感情論』になるのは
『即ち行動』だと思考する癖なので仕方ないです。
クレーマーの如く『時間搾取』『エネルギー搾取』
『人格搾取』行為は浪費し、させられるので
離れましょう。
『感情を揺さぶる』『共通認識』『集団意識』を大いに活用、巧みに利用して『思考癖を作られた』なんて思ってもみなかった事でしょう。
情報過多で『何が正しい』のか分からない事が、あまりにも多い。
そのように言う人も多いし、鵜呑みにして信じ切っている人も多いです。
その『正しい』は『何を基準』にしたかで『真逆』になります。
誰もが『自分は正しい』と信じてます。
自信がないから『共感者』を求めます。
『即断即決』『最速最短』で決めさせるのは『罠』です。
見事にまんまと騙されてきました。
騙された時の特徴は『騙されていない』『自分は正しい』と信じて疑わない『意識』です。
『幻想の中の人生』に気付く事などないでしょう。
でも『正解』なんです。
そのように『選択した張本人』なのです。
自分で自分の生き方を選択した結果です。
その『選択』には『脚本(シナリオ)』が存在しています。
誰もが忘れていますが『自分が生まれる前に書いた脚本(シナリオ)』に基づいています。
『親ガチャ』とか言って『親のせい』にする。
『不幸』『不公平』『差別』『騙された』など『ネガティヴ感情』の出来事として『起きた、起きている』事を『自責』ではなく『他責』として『感情の起伏』を味わっている。
『自分は悪くない』から『悪いのは周り全て』だとする。
周りを見渡しても、過去の自分、今現在の自分自身、未来図を想像しても『過去、現在、未来』を否定、拒絶しています。
その状態なので『変えたくても変わらない』『同じ事の繰り返し』になっていませんか?
あなた自身が望んだ脚本(シナリオ)です。
望み通りの人生だったとは『気付かなかった』事でしょう。
こんな説明されても『拒絶』するんでしょうね。
こんな事など望んでなどいない!
殆どが『そう言われる』『そう思う』のです。
だから『思う存分楽しんでいる』『心底感情を味わえている』
分からない人には分からないので気にしないでください。
分かる人には分かるので、もう少し深掘りしていきましょう。
『間違い』も『正しい』も無いのです。
どれを選択しても正解です。
どのように行動しても正解です。
だって『自分で体験したいことを脚本に書いて、演じて、周りも役者に演じてもらって味わえている』
望み通り『百点満点』の人生だったんですよ。
そして『これから』も『自己採点で百点満点』です。
つまり『演じている』だけです。
脚本家であり、監督であり、キャスティングして精いっぱい演じて、精いっぱい体験して、精いっぱい感情を味わい尽くしている(きた)。
同時進行でリアルタイムにストーリーも変わっていく。
だから『現実に怒っている』と認識している。
そうとしか思えないのです。
解説してみると『画面』『スクリーン』に投影しながら『見て、聞いて、感じている』だけです。
そこに『自分の身体』を映っているし、感じている。
これは『現実』だと認識している。
生まれた時から、ずーっと繰り返し、繰り返し、体験してきたから『現実だと思い込んでいる』
地球上の生物、全部に言えることです。
この世界は『舞台装置』でしかなかった。
『変われた人』は『認識は違えどシナリオ変更』出来たから『人生変わった』『成功した』反対に『地獄を味わうことになった』場合もあります。
どちらにせよ、『自分で書いた脚本(シナリオ)』が全ての源になっています。
この世の中で『こんな話は、されていない』です。
怪しい、疑う、信じられないのは、ごもっともです。
信じなくても『正解』、信じても『正解』です。
ただ『演じている』だけなのだから。
どんなに人にも『人それぞれ人生の脚本がある』
その『脚本通りの人生』だと分かれば
やる事、やれる事は思い浮かんでくる。
そう思っています。
世の中を変える必要などなく、人を変える必要もなく
『演じ切ればいい』し『飽きるまで経験したらいい』
役が終われば場面は変わる。
1つの場面の幕は閉じる。
新しい場面の幕開けとなる。
これは『新しい人生哲学』である。
『学問』は『切り分け』『分類』して『噛み砕き』
理解できるようにしたモノ。
分離し過ぎて『統合』出来なくなって『真理』が
見えてこなくなっている。
方向を間違えても『そのまま進めてしまう』のが
『学問』の弱みである。
『スピリチュアル』も『上辺だけをなぞる』ので
『分離』のままである。
『宗教』も『支配野多目都合よく解釈する』ので
『支配されてしまう』面が往々になっている。
今までの考え方、捉え方、解説、解釈では
解き明かせなかった理由である。
分かる人には分かり、分からない人には分からないのも
理由がある。
『人生っての脚本に無いモノは登場してこない』
のだから『仕方ない』のである。
分かる人にだけ分かればいい理由である。
『起きている』のではなく『演じている』
『飽きるまで演じる』
『役割』でもある。
脚本家、主役、演出家、監督、プロデューサー
忘れてはならないのが『観客』である。
『観客』のままでいたのが『今までの人生』
ドラマ、映画、舞台、小説、漫画
エンターテイメントを観ている側でしか
『感じられなかった』から『没頭、没入』
出来たとも言える。
『出来事』として『捉える』のか?
『素材』として『捉え』て活かすのか?
全く違う感じ方になる。
全て『同時進行』で『立ち位置』『捉え方』『認識』で
『視点が変わる』なんて『誰も教えてくれなかった』
誰も知らなかったから。
思いもしなかった、考えた事もない。
真面目に選んできた。
間違ったことは、していないはずだった。
それなのに、なぜか人生が重たくなっていく。
『捉え方』を知らないと『無限ループ』に陥ります。
この世界の構造を知らないと『壁が大きく立ちはだかる』
としか思えないから『更に、そうなる』無意識だから
分からないのも無理もないです。








