人生の物事は『起きている』と思い、感じています。
誰もが『そのように教わった』から。
時系列に纏めて理解する。
説明する。
認識する。
その結果『我々は現実は起きている』と認識せざるを得ないように『プログラミング』され、疑う事のないように『ノイズ』を仕込み続けられている。
『型(かた)』に嵌められ、制限を掛けられている。
同時に『自らも制限を掛ける』事までしている。
無意識にしている事なので『無自覚』です。
『潜在意識』とも言われています。
そうです。
『言われている』だけです。
バイアスの掛かった認識、理解が『正しい』と
思い込み、思い込まされてる。
無意識で無自覚なので分からないのです。
人は証明出来るモノ、再現性のあるモノしか
信じようとしない。
科学万能、共有、共感出来るモノだけしか信じない。
そこから抜け出せない『偏見』=『常識』と言う名の
『呪詛』『呪い』です。
その世界しか知らない人達の言動を見ていれば
分かると思います。
『その世界の常識』は『他の世界の非常識』
つまり『通用しない』のです。
そこでしか『通用しないルール、法則』
抜け出してみないと分からないのに
抜け出す事が出来ない事ばかり。
これは『全人類に言える』
そんな風に思った事ないですか?
だから『簡単に洗脳』されて『支配』されている。
『安心』を求めるから『利用されている』という
『捉え方』を考えた事もないのです。
『正しい』という『思い込み』は『偏見』である。
『正義』と『悪』の『対立』は『何を生み出し』
『何を学んだ』?
争いを生み出し、騙す側と騙される側、搾取する側と
搾取される側、利用する側と利用される側。
格差の元凶でしかなったのに根深くて根強い思想に
囚われてしまい苦悩し続ける人類史。
しかも『それが当たり前』だと諦めたり
無駄に方向違いの蟠りで暴徒が席巻して
世の中を騒がせている。
『根源が分からない』まま、言動を制しようとしても
出来ない状態が世界中で起きている。
起こした人々を責めることしか出来ない。
世の中が悪いみたいな風潮で終わるのでしょうか?
変わらないままで『人類は進歩した』『文明が進んだ』
『〇〇が古い』『新しい〇〇』だなんて
おかしな話、だと思いませんか?
理解、認識が浅く、狭い領域の中にいて『比較する』
『無知の知』が出来ない『愚の骨頂』。
でも、悪い訳じゃなくて『そこの世界に生きていく』と
決めた人達の『生き方は正しい』。
それぞれの体験したい目的は果たす権利は尊重します。
この世界は、何をしても自由な世界。
やってはいけない。というのは『他人が決めたモノ』
『戒め』『道徳』『法律』などなどあります。
また『それを破りたいのも自由』です。
行動の話ではなくて『思考』の話です。
極論過ぎて『神経質』『感情論』になるのは
『即ち行動』だと思考する癖なので仕方ないです。
クレーマーの如く『時間搾取』『エネルギー搾取』
『人格搾取』行為は浪費し、させられるので
離れましょう。
『感情を揺さぶる』『共通認識』『集団意識』を大いに活用、巧みに利用して『思考癖を作られた』なんて思ってもみなかった事でしょう。
情報過多で『何が正しい』のか分からない事が、あまりにも多い。
そのように言う人も多いし、鵜呑みにして信じ切っている人も多いです。
その『正しい』は『何を基準』にしたかで『真逆』になります。
誰もが『自分は正しい』と信じてます。
自信がないから『共感者』を求めます。
『即断即決』『最速最短』で決めさせるのは『罠』です。
見事にまんまと騙されてきました。
騙された時の特徴は『騙されていない』『自分は正しい』と信じて疑わない『意識』です。
『幻想の中の人生』に気付く事などないでしょう。
でも『正解』なんです。
そのように『選択した張本人』なのです。
自分で自分の生き方を選択した結果です。
その『選択』には『脚本(シナリオ)』が存在しています。
誰もが忘れていますが『自分が生まれる前に書いた脚本(シナリオ)』に基づいています。
『親ガチャ』とか言って『親のせい』にする。
『不幸』『不公平』『差別』『騙された』など『ネガティヴ感情』の出来事として『起きた、起きている』事を『自責』ではなく『他責』として『感情の起伏』を味わっている。
『自分は悪くない』から『悪いのは周り全て』だとする。
周りを見渡しても、過去の自分、今現在の自分自身、未来図を想像しても『過去、現在、未来』を否定、拒絶しています。
その状態なので『変えたくても変わらない』『同じ事の繰り返し』になっていませんか?
あなた自身が望んだ脚本(シナリオ)です。
望み通りの人生だったとは『気付かなかった』事でしょう。
こんな説明されても『拒絶』するんでしょうね。
こんな事など望んでなどいない!
殆どが『そう言われる』『そう思う』のです。
だから『思う存分楽しんでいる』『心底感情を味わえている』
分からない人には分からないので気にしないでください。
分かる人には分かるので、もう少し深掘りしていきましょう。
『間違い』も『正しい』も無いのです。
どれを選択しても正解です。
どのように行動しても正解です。
だって『自分で体験したいことを脚本に書いて、演じて、周りも役者に演じてもらって味わえている』
望み通り『百点満点』の人生だったんですよ。
そして『これから』も『自己採点で百点満点』です。
つまり『演じている』だけです。
脚本家であり、監督であり、キャスティングして精いっぱい演じて、精いっぱい体験して、精いっぱい感情を味わい尽くしている(きた)。
同時進行でリアルタイムにストーリーも変わっていく。
だから『現実に怒っている』と認識している。
そうとしか思えないのです。
解説してみると『画面』『スクリーン』に投影しながら『見て、聞いて、感じている』だけです。
そこに『自分の身体』を映っているし、感じている。
これは『現実』だと認識している。
生まれた時から、ずーっと繰り返し、繰り返し、体験してきたから『現実だと思い込んでいる』
地球上の生物、全部に言えることです。
この世界は『舞台装置』でしかなかった。
『変われた人』は『認識は違えどシナリオ変更』出来たから『人生変わった』『成功した』反対に『地獄を味わうことになった』場合もあります。
どちらにせよ、『自分で書いた脚本(シナリオ)』が全ての源になっています。
この世の中で『こんな話は、されていない』です。
怪しい、疑う、信じられないのは、ごもっともです。
信じなくても『正解』、信じても『正解』です。
ただ『演じている』だけなのだから。
どんなに人にも『人それぞれ人生の脚本がある』
その『脚本通りの人生』だと分かれば
やる事、やれる事は思い浮かんでくる。
そう思っています。
世の中を変える必要などなく、人を変える必要もなく
『演じ切ればいい』し『飽きるまで経験したらいい』
役が終われば場面は変わる。
1つの場面の幕は閉じる。
新しい場面の幕開けとなる。
これは『新しい人生哲学』である。
『学問』は『切り分け』『分類』して『噛み砕き』
理解できるようにしたモノ。
分離し過ぎて『統合』出来なくなって『真理』が
見えてこなくなっている。
方向を間違えても『そのまま進めてしまう』のが
『学問』の弱みである。
『スピリチュアル』も『上辺だけをなぞる』ので
『分離』のままである。
『宗教』も『支配野多目都合よく解釈する』ので
『支配されてしまう』面が往々になっている。
今までの考え方、捉え方、解説、解釈では
解き明かせなかった理由である。
分かる人には分かり、分からない人には分からないのも
理由がある。
『人生っての脚本に無いモノは登場してこない』
のだから『仕方ない』のである。
分かる人にだけ分かればいい理由である。
『起きている』のではなく『演じている』
『飽きるまで演じる』
『役割』でもある。
脚本家、主役、演出家、監督、プロデューサー
忘れてはならないのが『観客』である。
『観客』のままでいたのが『今までの人生』
ドラマ、映画、舞台、小説、漫画
エンターテイメントを観ている側でしか
『感じられなかった』から『没頭、没入』
出来たとも言える。
『出来事』として『捉える』のか?
『素材』として『捉え』て活かすのか?
全く違う感じ方になる。
全て『同時進行』で『立ち位置』『捉え方』『認識』で
『視点が変わる』なんて『誰も教えてくれなかった』
誰も知らなかったから。
思いもしなかった、考えた事もない。
