神に試されているわけでもない。
自分自身が
役者であり
脚本家であり
観客でもある。
そう捉えた瞬間、
「正しさ」も「間違い」も、
「成功」も「失敗」も、
すべてが別の意味を持ち始めた。
このブログでは
人生を良くするための答えは教えない。
代わりに、構造の見方を置いていく。
委ねること。
エゴを切り分けること。
観ること。
引き受けること。
立ち止まること。
どれも即効性はない。
けれど、誤魔化しは効かない。
この場所は
信じる人を集めるためのものではない。
依存させるためのものでもない。
「もう十分やり切った」
「答えを追うのに疲れた」
そんな人が、
自分の人生を静かに取り戻すための
確認作業の場だ。
必要な人だけ、必要な分だけ、拾っていけばいい。
残らなければ、それまで。
残るなら、それもまた自然な流れ。
それだけの話。
全部『お芝居』だったのです。
今までも、これからも『お芝居』
人生は『お芝居』
主役は『自分自身』で、周りの登場人物も『役者』で
『役を演じている』だけ。
ストーリーの脚本も『自分自身で書いている』
しかも『選択の度に変更する』ので『リアルタイム』
だから『芝居とは感じない』から『分からない』
何故そんな事をしているのか?
それは『体験したい』と願って生まれてきたから。
嫌なことは『否定』『拒絶する』から『違うと思う』
こんなのは『望んでいない!』
この『想い』が『罠(トラップ)』であるが故に
『気付かせない』為の『鍵』だった。
この仕組みは『ベースになる構造』でしかない。
要所要所にも『仕掛け』は存在している。
見極め、切り分け『突破する』為の技術が完成したので
必要な人だけに『伝授』したいと思っています。
ただ『知った』『理解した』『認識した』だけでは
『地雷』は回避出来ないほど巧妙に出来ているので
『安易に真似しても自爆する』事だけは知っておいて
頂きたいので『コピペしても無駄』だと宣言しておきます。
『正解』は有ります。
人それぞれ違うので『万能な技法』『万人通用する法則』
など存在しない事を知りましょう。
正しく生きれば救われる。
学べば分かるようになる。
けれど現実は、どれも中途半端に当たっていて、決定打にはならなかった。
私は、いじめる側といじめられる側の両方を経験し、
信じる側と疑う側の両方を通り、
宗教、仕事、人間関係、愛情、挫折、喪失を一通り味わってきた。
品質管理、運輸、接客、介護、清掃、製造、風俗業界。
職種も立場も極端に違う現場を渡り歩きながら、
一貫して見てきたのは「人が苦しむ構造」だった。
誰かが悪いわけじゃない。
正しさが足りないわけでもない。
ただ、この世界は
思っているよりもずっと構造的で、
思っているよりもずっと残酷で、
同時に、驚くほど自由だった。
多くの人は
「正しさ」や「成功法則」や「安心できる答え」にすがる。
それが悪いとは思わない。
そうしないと、生きていけない時期もある。
けれど私は、そこに違和感を覚え続けた。
なぜ同じことを学んでも、救われる人と苦しみ続ける人がいるのか。
なぜ正しいはずの教えが、支配や依存に変わっていくのか。
なぜ「良くなりたい」という思いが、逆に人生を縛るのか。
その問いの果てに辿り着いたのが
人生は「神芝居」であるという認識だった。




