『ファンタジスタ神芝居メソッド』の創始者です。
まだ誰にも知られていない手法で、斬新過ぎて理解し難い部分があると思うので、説明していきたいと思います。
ファンタジスタ紙芝居メソッド理論
▫️『水鏡で読む人生のサイン』
人生の中で、ふと胸の奥が冷たくなる瞬間がある。
このまま続けても幸せには届かない気がする。
なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのだろう。
何をしているのか、自分でもわからなくなる。
何の為にしているんだろうと思う。
何を我慢しているんだろうと思う。
何故、周りを気にしちゃうんだろう。
何故、人から言われるんだろう。
何故、責められるんだろう。
何故、窮屈な思いをしているんだろう。
何故、自分の時間が無いんだろう。
何故、自由じゃないんだろう。
何故、人よりも幸せを感じないんだろう。
次から次へと問題ばかり、やってくる。
よく分からないんだけど『何かが変』な気がする。
ちゃんとした『理由』『仕組み』がある。
こうした「違和感」は、多くの人が“問題の前兆”として扱う。
けれど本当は、まったく逆だ。
違和感は「人生の物語が壊れた印」ではなく、
“新しい分岐点に来ている” というサイン。
ここを誤解しないことが、次の人生の扉を開く鍵になる。
■ 外の出来事は“鏡”に映った像にすぎない
自分への疑問、他者への苛立ち、虚しさ、不満。
こうした感情は、外で起きた出来事に反応しているように見える。
しかし実際には、
内側にあるものが外側に投影されて見えているだけ。
映った像を自分そのものと勘違いすると、
外の世界に振り回され、感情が暴走し、
本来の自分を見失ってしまう。
あなたが見ているのは、「外の現実」ではなく、
内側の状態が写った水鏡の反射だ。
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■ スクリーンの中に入り込むと物語は複雑になる
起こっている出来事は、巨大なスクリーンに映し出された映像のようなもの。
その映像に感情が反応するのは自然なことだけれど、
反応に呑み込まれると、現実は一気に“大ごと”に変わっていく。
小さな出来事が、心の中で何倍にも膨れ上がる。
それは現実が重くなったのではなく、
感情が増幅されただけ。
本当のところは、
ただ起こっているだけ。
ただ映っているだけ。
あなたがスクリーンに入り込む必要はない。
■ 感情は“水鏡”の揺れであり、凪が本当の姿を映し出す
感情は水面のようなもの。
怒れば波が立ち、
悲しめば濁り、
焦れば暴れ、
不安ならざわつく。
水面が揺れれば揺れるほど、鏡としての働きは弱くなる。
歪んで映るのは、世界が歪んでいるからではなく、
水鏡が揺れているから。
しかし、感情を無理に抑える必要はない。
むしろ大切なのは、感情を味わい切ること。
波が収まり、凪が訪れると、
水鏡は本来の透明さを取り戻し、
世界はありのままの姿を映し出す。
その瞬間、自然と気づく。
「ああ、私はこれに気づくために経験していたんだ。」
気づいた時点で、その出来事は役割を終え、静かに消えていく。
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■ 違和感とは、人生が仕掛けた“気づきの装置”
違和感は、人生が壊れたサインではない。
あなたの内側がステージを変え始めた時に必ず現れる、
精度の高い指標だ。
水鏡が揺れる時に見える現象は、
あなたを脅すためではなく、
「そろそろ次へ行く時だよ」
と告げている。
現象に巻き込まれず、
水鏡が静まるのを待ち、
その奥にあるメッセージを受け取る。
その先に、自分の人生の主導権が戻ってくる。
■ ファンタジスタ紙芝居メソッドの核
このメソッドが伝えたいのは、たった一つ。
あなたはスクリーンの中の登場人物ではなく、
スクリーンを眺める側の存在である。
起こる現象はあなたを脅すためにあるのではなく、
次の物語に進むためのヒントとして置かれている。
違和感は恐れるものではなく、
新しい人生の入口を示す“最初の光”だ。
どれも『望んでいた通り』だった。
『なんとなく、そんな気がしていた』
そんな感覚。
まるで、決まっていた、なんとなく思っていた通りに。
自分で決めていたんだ。と、思う人もあれば、違うと
思う人もいる。
どちらも『決まっていた』物語の一部である。
忘れていただけである。
『人生の脚本』を意識して振り返り、思い出してみると
繋がる部分がある筈なのだ。
『デジャブ』を感じる時も『そう』なのである。
『予感』がら働く時もあれば、サプライズの如く
突然やってくる事もある。
それも『脚本』通りなのだ。
聡明な『あなた』なら気付いていたかも知れない。
でも『まさか』って『消してしまう』のも『脚本』に
従っただけだとしたら?
『主導権』は『自分自身』ではなかった『自分の人生』
ところが、やっと『自分の人生の主導権を取り戻す』
事が出来る『刻(とき)』が、やってきたのである。
『シナリオ』だから『変更可能』である。
だけど、気付かなかった、見えなかった
『見えないモノを見よう』とすればするほど
『見えなかった』『気付けない』
静かに感じられたら『そこ在る』









