ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第8章:意識していた終焉 | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回は「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第7章:アイドルブーム到来と意識の変化」です。


2013(平成25)年、日本ではアイドルブームが始まっていた。
AKB48を筆頭に、さまざまなアイドルがテレビやネット上を賑わせていた。
AKB48グループは、私は最初はほとんどわからなかったが、2012(平成24)年に前田敦子さんが卒業した時は印象的だった。

その年はハロコンには参戦しなかった。
正月から仕事で、2日の皇居新年一般参賀には行ったものの、3日からはまた仕事という日程だった。


私は3月で退職し、転職をしようと決めていた。
そしてその間、日本を離れオーストラリアに短期留学しようと考えた。

前年、衆議院総選挙が行われ、与党だった民主党は大敗北した。
アベノミクスで経済と雇用の回復を政権公約としていた安倍総裁率いる自民党は圧勝した。
その頃から、雇用情勢は大きく変化し回復傾向だった。

今から転職活動を開始すれば、雇用情勢も徐々に回復していくかもしれないと思ったのである。

当初はワーキングホリデービザを取得し、オーストラリアでも働いて職歴を付け、日本での新しい仕事を探そうと考えたが、費用の面、それに日本での就職を最初から考えいたため、オーストラリアでは就労せず、語学学習のみとすることにした。

 

2月、私は短期ビザであるETAS(電子入国許可登録システム)を申請した。
行きの航空券は片道にした。ETASは3ヶ月間までの就学が可能だが、現地到着後にそれ以上滞在したくなれば、学生ビザに切り替えようと考えていたのである。

 


そして3月末、私は退職し、オーストラリアのシドニーへと出発した。

出発の直前、横浜アリーナで開催された「Hello!Project 春の大感謝 ひな祭りフェスティバル 2013~Berryz工房10年目突入スペシャル~」に参戦した。
モーニング娘。の歌った「One・Two・Three」「The 摩天楼ショー」などで高まり、Juice=Juiceのフレッシュな姿に、ハロプロの変化を感じていた。
メインだったBerryz工房のステージには貫禄さえ感じられてしまっていた。
すでにハロプロは大きく変化し、時代もまた変化したと感じていた。

さらにZepp Tokyoでの「藤本美貴10周年記念!大感謝祭ライブ!『一夜限定!完全復活!ミキティー』に参戦した。


藤本美貴さんの単独ライブはもちろん初めてであった。
「ブギートレイン'03」は爆音やハロプロナイトでのヲタ芸を懐かしく思い出し、「会えない長い日曜日」はハロプロを知り、ハマっていった高校生の頃を思い出させてくれた。
ゲストは元モーニング娘。中澤裕子さんと新垣里沙さんだった。中澤裕子さんのMCをここまでじっくり聴けたのは、
実に安倍なつみさんを推していた頃以来、10年ぶりくらいで、本当に懐かしく感じた。
そして「ロマンティック 浮かれモード」では、もう全力でのヲタ芸だった。

当日はミキティの夫でお笑い芸人の庄司智春さんが会場に来ており、途中客席からは「庄司コール」が流れた。
ミキティは、2007(平成19)年、庄司との熱愛発覚でモーニング娘。を脱退したという過去がある。

それでも庄司智春さんは「ミキティー!!」とコールに応えてくれた。
後に、ファンに感謝の気持ちを述べてくれた庄司さんだったが、私もまた当時を振り返り、時代が変わりハロプロが変わったことを実感した。

そんなライブ途中、私は、明後日のこの時刻は、もうオーストラリアのシドニーにいるのか…と考えていた。

私の中で期待と不安も高まっていった。
どこか、大学院に入学するときに似ていた。あの時もBerryz工房のさいたま新都心でのライブの後だった。
大学を卒業して大学院に入学する当時よりも、仕事を退職して留学することの方が、本来なら不安が大きいはずである。

それでも今の方が、期待の方が大きいと感じていた。


翌日、最後の荷造りをして夜行便で旅立つために、成田空港へ向かった。
成田空港では、当時お付き合いしていた人が見送りに来てくれていた。仕事の帰りに成田まで来たということだった。
「離れても一緒だよ」なんて言っていたことは、今でも思い出すことである。

成田発シドニー行きのカンタス航空の飛行機で、私はオーストラリアに向かった。
ハロプロの曲をポータブルプレーヤーに入れて持参していたが、無性に「桜→入学式」と「サクラハラクサ」が聞きたくなった。


翌朝、飛行機の窓から、朝焼けで赤く染まる夜明けのオーストラリアの大地が見えてきたとき、長い旅の始まりを感じていた。

シドニーに到着すると語学学校で入学の手続きをした。その後、外国人専用寄宿舎に案内され入居した。
いよいよ授業が始まるが、語学学校では基礎的な文法ばかりだった。とはいえ日本で習うものとは少し違っていた。文法中心の学習もネイティブでは違うと感じていた。

週末には、クイーンズランド州のブリスベン、南部のアデレードにも夜行列車で旅行した。
ただ、ウルル(エアーズロック)に行けなかったことは悔やまれた。

語学学習と同時に、日本での転職活動も始めていた。
「7Network」というテレビ局のニュースでは、日本経済が回復傾向であるということが報じられていた。
少しの安堵感を持って転職の応募をしていた。


シドニーのHyde Parkからシドニータワー近くにあるマーケットストリートには、CDショップが複数店舗あり、日本のCDも発売されていた。
ハロプロの歌は日本で売られているものと同じものが販売されていて、少し懐かしく感じた。

そのような中、モーニング娘。から田中れいなさんが卒業するというニュースがネットから流れてきた。
モーニング娘。やハロプロからメンバーが卒業するということ自体は、よくあることとも感じていたが、異国で知るそのニュースは、どこか時代の変化を深く感じさせるようであった。


語学学校での課程が終了し、私は日本での就職の最終面接のため帰国することにした。

帰国が1週間後になった日、私はコールセンターの会社の面接が決定した。


思い出深い寄宿舎を後にする日、ふと藤本美貴さんと松浦亜弥さんのユニット「GAM」が2007年にリリースした、「THANKS!」が頭の中で流れていた。
帰りの飛行機は大韓航空で、韓国のソウル経由東京行きだった。

 


帰国しすぐに面接、そして私はコールセンターでの就職が決まった。
久しぶりの日本語ばかりの生活に少し戸惑い、仕事が始まっても、しばらくは日本にいるのかオーストラリアにいるのかわからない不思議な感覚のまま、研修がスタートしていった。

 

実際の業務が始まると、フリーダイヤルでつながるコールセンターは全国から電話が入ってくる。
全国の電話口のお客様と対応していると、ここが東京なのか、日本の別の都市にいるのか、それともオーストラリアにいるのかがわからなくなる感覚が長く続いた。

しかし私は、独り身に戻っていた…
オーストラリアに出発するときにスマホにインストールしていたLINEは、日本語版に変えると、全く当時お付き合いていた女性とは連絡がつかなくなった。再インストールしたのでトーク履歴も消えていた…
「既読スルー」の悲しさを初めて実感したのもちょうどこの頃だった……

物事に始まりがあるように、終わりが存在することを最初に意識したのもその頃だったのかもしれない。


日本に帰国してから、ハロプロはナルチカ公演などは注目していた。
そしてハロプロはアイドルからアーティストへと転換を図っていたように感じていた。
これは長く芸能活動を続けていくための戦略だったように思ったが、そのダンスパフォーマンス力の向上には目を見張るものがあったと思われた。
同時に、アイドルとしてのハロプロからの路線転換もまた感じ始めていた。

また最初はわからなかったAKB48グループも、「恋するフォーチュンクッキー」で指原莉乃さんがセンターになると、自分の中でのイメージも変わっていった。
そしてNMB48やHKT48、乃木坂46がメジャーデビューすると、その繊細な歌詞とハロプロに匹敵するダンスパフォーマンスに魅了されるようになった。

秋元康さんはつんく♂プロデューサーも手本としていたほどのアイドルプロデュース力があった。
その頃から自分の中で「作詞の秋元氏、作曲のつんく♂氏」という意識も感じていた。

渡辺麻友さんがソロデビューした「ラッパ練習中」やNMB48の歌、HKT48の「メロンジュース」なども良く聞くようになり、
AKB48の歌も好きになっていった。


ただ私には、今のAKB48が、いわばアイドルをブームにしていると思っていた。
それに呼応するようにハロプロはアーティスト路線になる。
アイドルがブームになれば、その終わりも確実に来る。ブームはいつか去っていくと感じていた。
そしてこの頃から、いつまでもこの状況が続くことはないのかもしれないと思うようになった。

2011年にキャナァーリ倶楽部の活動が実質的に終わた時、そして2012年にはTHEポッシボーが解散の危機にあったことを現場で体感し知っていた。
ブームというのは黄金期が過ぎ去れば消えていく。消えていくから一時代を作ったとして伝説になっていく。
そのような存在なのかもしれないと。


6月に入社した私だったが、4ヶ月が過ぎるころには業務に次第に慣れてきた。

コールセンターで受電する電話口の地方在住お客様の声に、かつてハロプロライブで旅した街とハロプロの楽曲の思い出が重なった。
この街にも確かに、ハロプロの歌が生きているとも感じていた。


そんな中、Berryz工房の日本武道館での公演が決まった。
メンバーの念願でもあり、いつか武道館という話を聞いていたので、ようやくこの日が来たかという想いがした。

そして、2013(平成25)年11月29日。
「Berryz工房10周年記念 日本武道館スッペシャルライブ2013 ~やっぱりあなたなしでは生きてゆけない~」が開催された。

自分には一つの節目を感じていた。転職して初めて有給休暇を取得したのはこの日だった。

(セットリスト)

1.OPENING
2.あなたなしでは生きてゆけない(メンバー紹介映像)
3.ROCKエロティック
MC1
4.メドレー(1)(ゴールデン チャイナタウン⇒アジアン セレブレイション⇒Loving you Too much)
5.ジンギスカン
MC2(熊井友理奈ソロ)
6.笑っちゃおうよ BOYFRIEND(清水佐紀・須藤茉麻・夏焼雅)
7.秘密のウ・タ・ヒ・メ(菅谷梨沙子)
8.友達は友達なんだ!(嗣永桃子・徳永千奈美・須藤茉麻・熊井友理奈)
MC3
9.サヨナラ ウソつきの私
10.もっとずっと一緒に居たかった
11.ジリリ キテル
MC4(℃-ute登場)
12.がんばっちゃえ!(Berryz工房×℃-ute)
13.ライバル(Berryz工房×℃-ute)
14.愛ってもっと斬新(℃-ute)
MC5
15.彼女になりたいっ!!!(ハロプロ研修生 他)
MC6
16.ももち!許してにゃん♡体操(ももち with ハロプロ研修生 他)
MC7(夏焼雅ソロ)
17.あいたいけど・・・(夏焼雅)
18.メドレー(2)(BOMB BOMB JUMP⇒素肌ピチピチ⇒世の中薔薇色⇒夏わかめ⇒かっちょええ!⇒すっちゃかめっちゃか~)
19.スッペシャル ジェネレ〜ション
20.一丁目ロック!
MC8
21.cha cha SING
アンコール1.ENCORE:なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?
アンコール2:MC8
アンコール3:友情 純情 oh 青春

 


2014(平成27)年には、つんく♂氏によるハロプロのプロデュースが終了する。
首都圏では大雪が降り、私の地元は積雪1.7メートル越えで観測史上最大となった2月、
私はライトファンながら、AKB48グループでは小笠原茉由さん、HKT48では宮脇咲良さん推しとして応援することを決めた。
AKB48グループも応援することになったのである。

3月には「Hello!Project ひなフェス2014~Fullコース~『メインディッシュはBerryz工房です。』」へ参戦する。
ひなフェスは一年ぶりで、直後に行ったオーストラリアでの生活が鮮やかに思い出された。
Berryz工房の歌もパフォーマンスも、一年前には違って見えた。
新たな出発点を感じると共に、一つの時代の変化を感じた瞬間でもあった。

6月には、中野サンプラザでの「アップアップガールズ(仮)1st全国ツアー アプガ第二章(仮) 進軍~中野サンプラザ 超決戦~」に参戦した。
アプガもまた成長していて、成長と時代の変化をそこでも感じていた。


私にとっても大きな変化のあった1年であったが、それ以上にアイドルブームは進化を遂げ、
その意味では、日本を離れて帰国したわずか数カ月の間に、まるで日本文化が大きく変化したようにさえ感じた。



これからどうなるのかと考えていた、2014(平成26)年8月。
運命の日はやってきてしまう。


私も参戦していた東京お台場の「TOKYO IDOL FESTIVAL 2014」の会場に衝撃が走った。
Berryz工房の無期限活動休止、実質的な解散の一報が飛び込んできたのである。

私にとっては、その2年後の天皇陛下退位のお気持ち表明の時の衝撃が、その時すでに感じてしまったようであった。

衝撃はベリヲタやハロヲタだけではなかった。
TIFに出演するアイドルにも衝撃は広がっていたのである。

翌日のスポーツ紙はお台場ですべて購入した。現在も記念に保管している。

それでもその日を、私はオーストラリアにいたころ辺りから、いやそれ以前の意識はしていた。
2011年くらいから少しずつ意識はしていたし、その頃に活動休止でも違和感はなかった。
私にはどこか、震災があり、後輩グループがあり、アイドルブームの中で新たなファンも増え、ナルチカライブも成功してきた。
そのような中で、時期を見定めていたような気もしていた。

意識の中でBerryz工房は永遠であるが、その活動自体は永遠ではないとどこか感じていた。
「Berry」である。いずれ完熟する時が来る。

そう考えていたように、今は当時を振り返ることがある。


9月には二度目となる日本武道館での公演があった。
「Berryz工房デビュー10周年記念スッペシャルコンサート2014 Thank you ベリキュー!in 日本武道館」に参戦した。

再びの武道館。完全に成長したメンバーを見た時、自分にはもうラストが見えていたような気がした。


年が明けて2015(平成27)年が訪れると、ラストライブが近づいてくることを感じていた。

Berryz工房が終わる。℃-uteはどうなるのか。
ももちは芸能界に残るからBuono!は存続するが、誰かが引退すればユニットであるから自動的に解散なのか…?

自分がかつて応援したハロプロに、終焉という言葉が見えてくる。
そして自分もまた、いつかヲタ卒するのかという終焉のあり方を考えるようになってしまっていた。


ハロヲタ、それは駆け抜けた日々。そのゴールは確実に意識されていった時期だった。