ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第9章:それぞれの旅立ち | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回は「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第8章:意識していた終焉」です。


「TOKYO IDOL FESTIVAL 2014」の会場に、Berryz工房活動休止という衝撃の一報が流れてから4ヶ月。
その年の年末は、紅白歌合戦さえどこかもの悲しく感じた。

歌は世につれ世は歌につれといわれる。紅白歌合戦やTBSのCDTV、ジャニーズのカウントダウンコンサートがその年の歌を締めくくり、
新しい年を迎えていくようである。

音楽は時として人の一生さえ変えてしまうほどの感動を与えるが、決してそれを奏でるグループは永遠には存在し続けない。
いつか終わりの時が来る。終わりが来るから伝説となり、時代が変わっても語り継がれるのだと感じた。


3月には北陸新幹線と北海道新幹線が開業となり、JR信越本線の並行区間が廃止されることになった。

2月に私は撮影に新潟に行った。
ハロプロとの思い出も多い、北海道や新潟へのアクセスも一変する。時代とともに移り変わる風景がそこにあった。

かつて鉄道が好きだった私は、移りゆく景色と風景を記録に収めたくて「撮り鉄」になった。
信越本線はかつて、特急あさま号と横川-軽井沢間が廃線となる時にも撮影に行った場所でもあった。
廃止になるJRの車両が通り過ぎ、私はシャッターを切る。
すべての物事が決して永遠ではないということを改めて実感した瞬間でもあった。



2月28日と3月1日、有明コロシアムで開かれた「Berryz工房祭り」に参戦した。


そして、2015(平成27)年3月3日。
「Berryz工房 ラストコンサート2015 Berryz工房行くべぇ~!」
Berryz工房はラストライブとなった。


私は職場からタクシーで日本武道館へ向かった。
入場は少し遅くなり、すでに公演が開始しているかと思ったが、開始していなかった。
メンバーが感極まってしまい、開始が遅れていたということだった。
最初から見られたということは、本当に良かったと思っている。

公演終了後から家までの道のり、
本当は家までBerryz工房の歌を聴き続けていようと思っていたが、ライブの余韻とこれまでの思い出に浸ってしまい、
とうとう家まで何も聞くことができなかった。

そしてここまで、駆け抜けた日々が鮮やかに思い出されていた。



2015年はお正月のハロコンから、ハロプロ研修生(浜浦彩乃・田口夏実・小川麗奈・野村みな美・和田桜子・藤井梨央・広瀬彩海・井上玲)の8名による
新グループ結成が発表されていた。
2月25日に「こぶしファクトリー」と命名されたそのグループは、Berryz工房の精神を受け継ぎ活動していくとしていた。
グループ名にある「ファクトリー」は、Berryz工房の工房から採用された名前であった。

さらに4月29日には、ハロプロ研修生の山岸理子・岸本ゆめの・新沼希空・浅倉樹々・小片リサ・谷本安美の6名による新グループ、
「つばきファクトリー」も結成された。

Berryz工房の精神は、ハロプロの後輩グループにその名前として残り引き継がれていく。
それはBerryz工房が伝説となった瞬間のように感じていた。


Berryz工房の活動休止は、私の中でハロプロの印象そのものさえ変えていった。
かつて応援した「モベキマス」がもうなくなっていくかのようであったが、まだ℃-uteやBuono!、カントリーガールズ、
それに後輩グループがかつての時代を引き継いでくれると感じていた。


それでもハロプロの卒業ラッシュは止まらなかった。
6月にはカントリー・ガールズの島村嬉唄さんの脱退(契約解除)が発表され、
アンジュルムの福田花音さんも11月29日の日本武道館でのライブを最後にグループとハロプロを卒業した。

そして鞘師里保さんも、10月29日にモーニング娘。を卒業する旨を発表し、この年の12月31日を以って卒業した。

12月30日には、こぶしファクトリーが日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞したものの、自分の中でのハロプロへの意識の変化は揺るがないものだった。
Berryz工房の活動休止。その後は℃-uteと続いていくのかもしれない。℃-uteが解散すれば、Buono!は自然に解散となっていくのだろうか。
いつしか自分の中でそのように考えていた。


その頃私は、コールセンターを退職し、官公庁に勤務していた。
ハロプロから応援された夢は、一つのゴールを迎えていた。

そのような中、かつて熱烈なファンだった声優さんの結婚の発表、かつての一推しで、ハロプロFCの入会のきっかけになった安倍なつみさんの結婚の発表、
さらに埼玉のご当地アイドル「ピンキッシュ」もまた、翌年2016(平成28)年3月での活動休止が発表された。
ピンキッシュのかつてのメンバー中里佳織さんも結婚を発表し、「はなむけのうた」がリリースされた。

自分の将来、そして未来への道を真剣に考えるようになっていった。


2016(平成28)年になると、アンジュルムは田村芽実さんが、モーニング娘。'16では鈴木香音さんが卒業した。

そして℃-uteも解散を発表したのである。
かつて応援した「モベキマス」が終了することを実感した。


2016(平成28)年7月、驚くべきニュースを通勤電車内で知ることになる。
天皇陛下が生前に退位され、近くそのお気持ちを表明されるということであった。

天皇陛下が譲位される。それはすなわち「平成」が終わっていくということである。

8月8日、天皇陛下はビデオメッセージでお気持ちを表明された。
陛下は象徴としての務めを果たせなくなっていく前に、退位したいというお気持ちを述べられたのである。

平成という時代が終わるということも感じたが、さらに深く考えることがこみ上げてきていた。
今の自分にとってハロプロを追うことは義務感になっているのではないか。そこに真心や愛情はあるのだろうか。
愛情は義務感からは生まれてこない。喜んでさせていただく。それが真心であり、文化であり、芸術である。
追いかけられなくなったと感じる時、惰性でそれを続けるのは義務である。
追いかけることが義務になってしまうのなら、それは退くべきではないだろうかと。


11月には嗣永桃子さんがカントリーガールズからの卒業、芸能界からの引退を表明した。
それはBuono!も解散するということであった。



2017(平成29)年6月12日、さいたまスーパーアリーナでのラストライブで℃-uteは解散した。
メンバーはそれぞれ萩原舞さんは(元℃-ute)
2017年6月12日のグループ解散とともに、芸能界を引退した。


そして6月30日、
青海野外特設会場にて開催された「嗣永桃子ラストライブ ありがとう おとももち」をもって、
嗣永桃子さんもカントリー・ガールズおよびハロー!プロジェクトを卒業し、芸能界を引退した。


こぶしファクトリーもまた、藤井梨央さんや小川麗奈さん、田口夏実さんなど卒業や脱退が相次いだ。

そのような中、芸能活動を休止して菅谷梨沙子さんは結婚を発表し、妊娠5か月であることをあわせて発表した。
翌年の2018(平成30)年になると、真野恵里菜さんが結婚を発表した。

2018(平成30)年8月2日には、チャオベッラチンクエッティが解散した。
ナイスガールプロジェクトもまた終わっていったと感じた。


ハロプロはさらに卒業ラッシュとなる。
2019(平成31)年3月には、梁川奈々美さんが卒業した。
同年6月には宮崎由加さんが卒業、アンジュルムでは和田彩花卒業した。
さらに9月には勝田里奈さんが卒業し、12月には中西香菜さんも卒業した。
2020(令和2)年3月には室田瑞希さんが卒業した。

そして、カントリー・ガールズも2019(令和元)年12月26日をもって活動休止する。

2020(令和2)年3月には、こぶしファクトリーも解散するということである。


ハロプロはメンバーを変えることで成長していく。今のメンバーと昔のメンバーは違う。
それは常にフレッシュであるということである。

ハロプロはかつて、日本の経済用語で言えば「護送船団方式」のような形だった。
ファンの間で言われていたネットスラングではあるが「タカハシステム」がまさにそれであろうと思う。

モーニング娘。を頂点とするグループ体制で、それは人気のあるなしにかかわらず続けていく。
公演時期なども多くは決まっている。
しかし、Berryz工房の活動休止と℃-uteの解散以降、この方式システムは変わっていったように感じている。


ハロプロ自体もまた大きく変わっていくようであったし、解散や脱退自体は淋しく思うこともあるものの、
それは自分の中で大きな意識の変化を感じることでもあった。

私は長らく、自分の生きるべき道、研究すべき道は法学や行政学であると思っていたし、大学の3年頃からそのような学問の積み重ねをしてきた。
それは義務感だったのかもしれない。

ハロプロは私に、教育学や教育行政の研究というひとつの道を教えてくれた。
でもそれは一つのアナザーストーリーだった。悪く言えば外道のように感じていた。

推すべきものが変化していく中で、いつしか楽しいものも変化していく。
義務感の中で良いものは生まれない。自分が楽しいと感じるものから新たな発見と自身への成長が生まれる。
そのように感じていったのである。


今の仕事はそのような義務感の中から生まれた。では自分が本当に楽しいと感じるものは何か。
そのように考えるようになったのである。

過去の自分を後悔しているか?もっと早くヲタ卒していたかといえばそうではない。
それは成熟するまでに時間はかかったのではないかと思っている。



そして時代は「平成」から「令和」となっていった。

いつしかアイドルというのは、男性オタクが疑似恋愛で追いかけるものから、
同世代の若い女性が、憧れと理想を追い求めて、共感される時代となっていった。

ナイスガールプロジェクトの握手会方式やライブの運営方式は、今日多数存在する地下アイドルやご当地アイドルのモデルともなっていった。

Berryz工房はアイドルブームを産んだ日本文化の教育者であった。


平成10年に結成されたモーニング娘。そしてハロー!プロジェクト。
自分の中でハロプロは永遠に生き続ける。

夢に向かって駆け抜けたあの頃、いつもそこにあったハロプロの歌と現場とその街。あの頃の気持ちを大切にしたい。
だからここで、自分のハロプロの物語は終わる。


今私は、新たな決意をしていく時を迎えている。