ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第6章:偶像から身近へ(ハロプロ・ナイスガール・ご当地アイドル) | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回記事は、「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第5章:ハロプロ即ち日常生活 ダメ院生の始まり」です。
こちらは、一時記事が消えてしまったので、再度掲載しました。
ぜひ今回記事と合わせてご覧ください。



2010(平成22)年に入ると、私は社会人として本格的に歩みだすことになる。
1月には皇居での新年一般参賀に行った後、中野サンプラザで開催された「Hello! Project 2010 WINTER 歌超風月 ~モベキマス!~」に参戦した。
モベキマスは当時のハロプロの主力グループ、モーニング娘。・Berryz工房・℃-ute・スマイレージと真野恵里菜さんの頭文字を取ったものであった。


そしてこの頃から私は、ナイスガールプロジェクトも本格的に応援するようになっていった。
1月下旬には、キャナァーリ倶楽部のおがまなこと小川真奈さんを中心としたメンバーで構成された、「MM学園合唱部」の新曲「元気になれっ!」の発売記念イベントが秋葉原の石丸電気で開催され、私も参戦した。

Berryz工房もイナズマイレブンの主題歌を歌い、アニメとのコラボレーションが増えていった。
私は元々声優やアニメが好きだったので、アニメの視聴その当時を懐かしむようだったが、この頃から「極上!めちゃモテ委員長」と「しゅごキャラ」を毎週のように見ていた。

「MM学園合唱部」は2009(平成21)年に放送が開始された、アニメ「極上!!めちゃモテ委員長」のテーマソングを歌うグループとして、ナイスガールプロジェクト内で結成された。
センターは主人公の北神未海を演じる「おがまな」こと小川真奈さん。デビュー曲の「めちゃモテI LOVE YOU」は、元気でキラキラした女の子をイメージ路線とするナイスガールとアニメの世界観とが絶妙なコラボレーションを生み出し、またアップテンポのノリのいい曲だった。
そしていつしか毎日のように聞いていた。

 

 


その次にリリースされた「めちゃモテ!サマー」の発売記念握手会では、秋葉原石丸電気で何枚も同じCDを購入し、何度も握手する、いわゆるループをしていた。
さらに次の「大好きになれっ!/こころ 君に届け」のCD発売記念イベントでは、アリオ亀有などショッピングモールでのイベントにも参戦していた。


Berryz工房もアニメとタイアップした楽曲に加え、グループとしてのイメージや路線も、次第にコミカルなものになっていった。
私は当初はそれも楽しんでいたが、やがてコミカル路線はナイスガールプロジェクトの「THEポッシボー」(後の「チャオベッラチンクエティ」)が勝るとも感じるようになった。
やがて私は、ベリキュー推しからナイスガールプロジェクト推しに推移するようになっていった。


キャナアーリ倶楽部は2009(平成21)年に、当時最年少だった、えり~なこと橋口恵莉奈さんが卒業し、
代わって、ちーちゃんこと持田千妃来さんが加入した。
代表曲である「ピカピカ!」は当時を懐かしく思い出させる。


えり~なの代表曲といえば「ドキッ!こういうのが恋なの?」と言われており、その客席との一体感あるライブ映像は半ば伝説化している。
 

実は私は、この映像のライブに参戦しており、文字通り一緒に踊っている(笑)
とはいえこの曲のダンスはそれほど難しくはなく、誰もが一体となって踊れるものである。
むしろ現在の「ヲタ芸師」や地下アイドルの一体感の方がよほどすごいと感じるが、当時のライブ映像が今日の客席との一体感の演出の手本となっているかと考えると、その残した功績を感じることもある。


さらにこの頃、ご当地アイドルとの出会いが、私の意識や現場を大きく変えていくことになった。

Berryz工房を筆頭にジュニアアイドルの全般が好きになっていた私は、当時これまでの立川から秋葉原に主なイベント会場を移していったナイスガールのイベント参戦がてら、
ジュニアアイドルの専門ショップである「おいも屋本舗」によく足を運ぶようになっていた。

そこで、埼玉県のご当地アイドル「Pieace」のCDを見つける。
当時はご当地アイドルの存在は珍しく、新潟の「Neggico」や名古屋の「SKE48」など限られた存在であった。
埼玉にはそのご当地アイドルが存在する。それも私の住む家の近くに…
そう思って、思わず購入したのである。
聞いてみると、故郷の情景を歌った歌、ありふれた歌と思うもののどこか埼玉の情景が込められた歌などが、非常に新鮮に感じた。
イベントなどあれば行ってみたいと感じるようになった。


埼玉には「ピンキッシュ」(当時のグループ名は「Pinkish」)というご当地アイドルグループが結成されていた。

ピンキッシュは、埼玉県大利根町(現・加須市)商工会の創立20周年の記念事業として、まちづくりと地域おこしのため、商工会青年部によって結成されたグループである。
大利根町は童謡の作曲家である下総皖一の生誕の地であり、「童謡のふる里おおとね」をまちづくりのコンセプトにしていた。
そしてモーニング娘。をヒントに、童謡を歌うグループを結成。町を挙げて応援し、全国区で活躍できるグループに育てて、大利根町のPRをするというアイデアで誕生したグループであった。

童謡をコンセプトに作られた彼女たちの楽曲は、コミカルで歌いやすく、とても頭に残った。
私は埼玉県内で開かれるピンキッシュのイベントに多く参戦した。


ご当地アイドルのファンはメジャーアイドルに比べ少人数である。
メンバーと顔見知りになる、いわゆる「認知」はすぐにされるようになる。

私はアイドルに認知されることはあまり目標とはしていなかったが、いつしか認知されることが嬉しくなっていった。
それはやがて、偶像から現実へとシフトした時期になっていくことになるのである…



2月には、「極上!!めちゃモテ委員長『めちゃモテ文化祭ライブ』DVD発売記念イベント」で、
サンストリート亀戸と埼玉イオンモール川口キャラに行った。

そして、ピンキッシュとPieace、それにBuono!のライブが同日開催される日が来る。
埼玉県加須市での「LOVE SAITAMA MUSIC~七日遅れのバレンタイン♪~」で、ピンキッシュとPieaceが、
東京のZepp Tokyoで「Buono!ライブツアー2010~We are Buono!~」が開催された。

ピンキッシュの「ゆめみるいちご」で盛り上がり、最高潮の気分のまま、湘南新宿ラインと埼京線を乗り継いでZeppTokyoへ。
Buono!はアルバム「We are Buono!」の収録曲がメインのセットリストだった。

開始から「One Way = My Way」と「Our Songs」で一気に高まり、しゅごキャラ!のテーマソングでさらに盛り上がった。
「うらはら」や「Blue-Sky-Blue」が心に響き、「ロックの神様」と「泣き虫少年」には、辛くも学位取得を達成した大学院時代を思い出させた。

そして「Independent Girl~独立女子であるために」

 

 

ハロプロキッズから応援していた、あの頃のももちや愛理、雅ちゃんとは想像がつかないほど、力強くかっこよく歌いあげていた。
成長した大人の女性から出されたメッセージ性の高い歌詞と歌声に、感動を通り越した衝撃を受けるようだった。
同時に、4月から社会人として改めて一歩を踏み出す私に、エールを送られているような気がしていた。

ラストの「タビダチの歌」では感涙してしまったことを覚えている。


3月にはBerryz工房がタイのバンコクでライブする発表がされていた。
私は仕切り直しの卒業旅行として、タイに行くことにした。
チケットは直前だったので直行便では取れず、香港経由で行くことになった。

同時期には、めちゃモテ委員長のニューアルバム「めちゃモテ委員長 めちゃヒット曲集」の発売記念イベント」があり、タワーレコード渋谷店と埼玉のイオン北戸田ショッピングセンターで観覧した。
「キャナァーリ倶楽部3周年記念イベント」秋葉原石丸電気

タイのBerryz工房の公演チケットは入手できなかった。
その直前のイベントには行こうと、Zepp Nagoyaで開催された「Berryz工房ファンの集い2010.03~天使のヒトミに気をつけろ!~」に参戦した。
高速バス昼行便で、山梨経由で名古屋へ向かった。


3月末、いよいよタイに向かって出国。

キャセイパシフィック航空で香港を経由しタイのバンコクに到着した。
タイは3月でも非常に暑かった。
私は首都のバンコクから列車で、かつて日本人街のあったアユタヤまで観光した。
現地の三輪のタクシーであるトゥクトゥクで多くの観光地を巡ることができた。
チケットまでは入手できなかったが、Berryz工房のライブ公演の会場まで行く、いわゆる会場推しをした。

しかし当時、タイの国内は混乱状態だった。
2006(平成18)年に軍事クーデターによって失脚したタクシン元首相の支持者は反独裁民主戦線となり、政府支持者とアピシット政権(当時)と政治的に対立していた。
そしてちょうどBerryz工房がライブを行う頃には、バンコクやタイ各地で暴力事件にまで発展していた。

タクシン元首相の支持者の反独裁民主戦線は、赤色の衣類を身につけてデモ活動に参加する構成員が殆どで、通称「赤シャツ隊」などと呼ばれていた。
赤はBerryz工房では菅谷梨沙子さんのイメージカラーである。ツアーTシャツに使われている色だった。
赤のTシャツを着て参戦したら、政府支持者から攻撃されるのではなどと内心恐れていた。

それでも会場付近では赤のTシャツの人を僅かだが見かけた。
攻撃されるなどということはなかった。まるでツアーTシャツがタイの街を平和にしているように感じていた。



4月に私は就職する。
よみうりランドで開かれた「Berryz工房アルバム発売記念イベント『Berryz工房フェスティバル~ようこそ雄叫びランドへ~』」は、何だか新生活の慌ただしい中であったが、
タイの感動が蘇るようだった。

そして「Berryz工房コンサートツアー2010初夏~海の家 雄叫びハウス~」の埼玉県川口市の公演に参戦した。
6枚目のアルバム「6th 雄叫びアルバム」の楽曲が中心で、「雄叫びボーイ WAO!」「青春バスガイド」などイナズマイレブンのテーマ曲を生で聴くことができた。
「愛には 愛でしょ」や「グランドでも廊下でも目立つ君」「ヤキモチをください!」には、Berryz工房の成長した姿を感じていた。

ただ、イナズマイレブンの曲を聴くたびに、イナズマイレブンよりも極上!めちゃモテ委員長、ナイスガールプロジェクトの方が好きだと感じるようになっていった。

中野サンプラザでの公演は、埼玉のご当地アイドルPieaceのイベントの後に向かった。
また、THE ポッシボー with 音の素(藤井隆&椿鬼奴)がリリースした「やべ~なべ~な 圧力べ~ナ~」の発売記念イベントにも行くことができた。
6月には、極上!!めちゃモテ委員長の両A面シングル発売イベントが秋葉原の石丸電気と横浜の石丸電気で開催された。


その頃から、ナイスガールプロジェクトでは、小川真奈さんが1推しと思うようになっていった。
小川真奈さんは7月、1stアルバムの「ティーネイジ ブルース」を発売し、大宮アルシェの発売記念イベントに参戦した。


しかし、仕事にはすっかり限界を感じていた。
異動を命じられ、別の部署に行くと、さらにこのままでよいのかと悩むようにはなっていた。

「ナイスガールプロジェクト!ホームパーティーライブ~埼玉コレクション~」が、さいたま市の新都心HEAVEN'S ROCKで開かれた。
そして夏のハロコン「Hello! Project 2010 SUMMER ~ファンコラ!」、ご当地アイドルPieaceの夏のイベントラッシュと続いていた。

その頃Pieaceは、一番の推しだったMAKIさんが卒業した。私はその時、言い知れぬとても淋しさを感じていた。


初めての夏季休暇取得で、私は中国の上海へ旅行した。
当時開催されていた上海万博へ行き、ホテルは楽天トラベルで航空券とセットだったが、想像以上に豪華だった。
上海でも極上!めちゃモテ委員長は放送されていて、日本文化やアニメのアジアでの普及に驚愕した。

9月には、品川ステラボールでの「ナイスガールプロジェクト!2010セプテンバーLIVE / めちゃモテ委員長 歌謡祭2010『みんなで歌いますわっ!』」、
光が丘IMA光の広場ステージ 「北神未海(CV小川真奈) with MM学園合唱部 『めちゃモテたいっ!』発売記念イベント」と参戦した。
上海にまだいるかのような感覚になっていた。

さらに新幹線で名古屋へ。名鉄ホールでの「℃-ute Cutie Circuit 2010 ~Danceでバコーン!~」に参戦。
℃-uteの「Danceでバコーン!」を行き帰りに聞いていた。
池袋サンシャイン劇場での「劇団ゲキハロ第9回公演『三億円少女』~華麗なる七人~」もとても楽しめた。


10月には、ラフォーレミュージアム六本木で、「めちゃモテ×ニコ★プチガールズコレクション2010秋」が開催された。
このイベントには、当時、極上!めちゃモテ委員長に出演していた菅谷梨沙子さんと小川真奈さんが出演する大変豪華なライブだった。
私はこの時のおがまなの歌うBerryz工房の歌にとても感動した。そしてこの時、完全におがまな推しになったと感じたのである。

「ナイスガールプロジェクト!ライブハウスツアー秋~万歳!ナイスガール2010~」さいたま新都心HEAVEN'S Rでは、おがまなを全力で応援した。


11月には、スマイレージ(現在の「アンジュルム」)の「1stライブツアー2010秋 ~デビルスマイル エンジェルスマイル~」に参戦した。
スマイレージは当時アルバムを購入していたが、本格的に推してはいなかった。
それでも「ぁまのじゃく」や「スキちゃん」「夢見る 15歳」は往年のハロプロを彷彿させ、すぐに覚えて踊ることができた。
今でもハロプロナイトなどのナイトイベントではすぐに踊ることができる。


12月には、1推しだったおがまなとイベントでポラロイドツーショットを撮ることができた。
さらに新幹線で長野へ向い、長野市民会館での「Berryz工房コンサートツアー2010秋冬~ベリ高フェス!~」
その後名古屋での公演にも参加した。
「シャイニング パワー」が印象的で、コンサートも学園祭をイメージした往年のBerryz工房わ感じさせるものだったが、彼女たちの成長にはどこか昔を思い出し、懐かしく淋しくも感じていた。

モーニング娘。では、亀井絵里さんとジュンジュンさん、リンリンさんが卒業した。
横浜アリーナでの「モーニング娘。コンサートツアー2010秋~ライバル サバイバル!~亀井絵里・ジュンジュン・リンリン卒業スペシャル」は、有給休暇を取得して参戦した。

年末には、「スマイレージ応援企画~S/mileage Mega Bank vol.3~」と、
ご当地アイドルのイベントで天王洲アイル銀河劇場で開かれた、「エリア・アイドルNo.1決定戦 「U.M.U AWARD 2010」 ~全国アイドルお取り寄せ展~」に参戦。
優勝はは新潟の「Negico」で、ご当地アイドルの魅力を再発見した。



年が明けて、201(平成23)年になる。
私は3日から仕事だった。

皇居での新年一般参賀に行った後、中野サンプラザでの「Hello! Project 2011 WINTER ~歓迎新鮮まつり~Aがなライブ」に参戦した。
モーニング娘。には、新メンバーの鞘師里保さんがお披露目された。
新メンバー発表の時、鞘師里保さんは客席後方から入場してきた。通路席だった私は少しだけ触れることができ、少し鞘師ちゃんのファンになりかけたことは事実である(笑)

「Hello! Project 2011 WINTER ~歓迎新鮮まつり~Bっくりライブ」にも参戦し、「めちゃモテ委員長VSめちゃモテ反対委員会ですわっ!」にも参戦した。

2月には「ナイスガールプロジェクト!バレンタインライブ2011」に参戦。
さらに横浜BLITZでの「Buono!ライブ2011winter~Re;Buono!~」に参戦した。
「雑草のうた」と「JUICY HE@RT」が印象的で、「ゴール」を聞いた時には結実感に満たされる気がした。

3月には「キャナァーリ倶楽部 結成4周年記念イベント」と「アレアレア 6th ANNIVERSARY」でのイベントに参戦し、
ナイスガールプロジェクトのファンクラブにここで入会した。



実は正直、ハロプロを本格的に推すのは2011(平成23)年までにしようと、この時に密かに考えていた。
以降はナイスガールプロジェクトやご当地アイドルを少しずつ応援し、やがてヲタ卒していく。
そのように考えていた。

また仕事もどこかの目途で退職し、別の道を模索しようと考えていた。
日本経済はリーマンショックの不況から少しずつ回復しつつある。今から少しずつ転職活動を始めていこうと考えていた。

しかしそれを覆す、平成時代はもとより日本の歴史の中でも最悪クラスの大災害が発生してしまう。

2011(平成23)年3月11日。
東日本大震災である。


震災は大地震と津波、原発事故で東日本各地は壊滅的な被害を受けた。

私は発生当時、職場の大学病院に勤務していた。
発生直後から災害拠点病院に指定され、急患を受け入れるため特別態勢となった。
ベテランの救命救急医さえ混乱する事態となり、事務員だった私は翌朝の12日まで残業した。
翌週以降も残業が続いていた。週に一度は当直勤務となったが、次第に診察は少なく比較的落ち着いてきていた。
しかし震災のため首都圏は物資不足だった。ガソリンが不足し通勤できなくなる職員のために、付属専門学校の学生寮が臨時で貸し出されるほどだった。

震災のためイベント中止も相次いだ。ライブやイベント観覧も3月と4月はゼロだった。
その時は物足りなさも感じたが、被災地の人を考えたらこれくらいで悩んではいけないと思った。

当時は大学病院に就職したことを激しく後悔していたが、震災を経験して医療に携わるということに対し、
誇りと自覚は少し感じることができたのかもしれない。


ゴールデンウィークには電力などが自粛される中、「キャナァーリ倶楽部ライブ2011春 Love is here~希望の光~」が新宿BLAZEで開かれ、メンバー2人が卒業した。
キャナアーリ倶楽部の主力メンバーの二人が卒業し、以後は活動自体の縮小が予想され、これが実質的な最終ライブとなってしまうものだった。
震災対応で休日出勤となり、最終日に行けなかったことは大変悔やまれたが…


5月には、サンシティ越谷市民ホールでの「℃-uteコンサートツアー2011春 『超!超ワンダフルツアー』」に参戦できた。
「Kiss me 愛してる」で高まり、被災地応援ソングとしてハロプロが歌った「愛は勝つ」が大変印象に残った。
私も各地で多くの募金をした。

6月には「Berryz工房結成7周年記念コンサートツアー2011春~週刊 Berryzタイムス~」渋谷C.C.Lemonホール公演に参戦する。
復興支援Tシャツを購入し、ここでも募金した。
「ヒロインになろうか!」「女子会 The Night」などが、震災対応で疲れていた私の心に響く気がしていた。

ピンキッシュはメンバーの中里佳織さんの卒業イベントが、埼玉県加須市で開かれた。

当初3月に開催される予定が震災で延期されたものである。

中里佳織さんはこの日限りで卒業した。


7月には小川真奈が出演する「ESP学園presents COLORS2011」に参戦。
この日がおがまなの誕生日で、サプライズ生誕祭を企画したりした。

さらにこの頃から、ナイスガールプロジェクトは浅草六区ブロードウェイ商店街でライブを行うようになり、私は毎週のように浅草へ行った。
浅草の場外馬券場のウィンズにて、初めて馬券を買ったら見事に的中。
払戻金はその日のヲタ活動資金と、小額ながら被災地支援募金もしたことが思い出に残っている。


2011年の7月には、テレビのデジタル放送完全移行が、東日本大震災の被災地を除いて実施された。
その日は、Pieaceの「LOVE SAITAMA MUSIC#3」に行っていた。

8月には中野サンプラザでの「Hello! Project 2011 SUMMER ~ニッポンの未来は YEAH YEAH ライブ~ 」に参戦。
ハロプロ川柳が採用されましたと記念品が家に届いたためあわてて確認すると、ハロコン名古屋公演で読まれていたことがわかった。
嬉しいというかお恥ずかしいというかだった(笑)

9月には「NGP!日帰りバスツアー第2弾」が 山梨方面に行く。
小川真奈が歌った直後、霧が晴れて富士山の雄大な姿が見えたときは感動した。


そして日本武道館で開催された「モーニング娘。コンサートツアー2011秋 愛 BELIEVE ~高橋愛 卒業記念スペシャル~ 」 に参戦した。
高橋愛さんの卒業を見られたことは、大変嬉しかった。

Buono!の「夏ダカラ!」Berryz工房の「愛の弾丸」「ああ、夜が明ける」がその年の夏を思い出させる曲である。


10月には、浅草コシダカシアターでの「THE ポッシボー 単独ライブ ~6年目 本気です。~」に参戦する。
11月には市川市文化会館での「Berryz工房&℃-ute コラボコンサートツアー2011秋~ベリキューアイランド~」に参戦した。
さらに清水佐紀さんの生誕ライブとなる名古屋へ参戦した。仕事を半日有給を取得して名古屋を日帰りした。
当時は、Berryz工房×℃-uteキュートシングルの「甘酸っぱい春にサクラサク」を聞き続けていた。
その時、自分の中ではベリキューからのヲタ卒が次第に頭をよぎるようになっていった。

11月は、ピンキッシュファン感謝イベント(加須市)にも参加した。
ボウリングが楽しかった思い出がある。


その年の大晦日は、東京・TOKYO FM HALLでの、アップアップガールズ(仮)「年末特別公演~年忘れ!もっかいやるの?アップアップと一緒にカウント ダウンダウン!!」で現場納めとなった。
メンバー全員18歳未満だからとか、その他いろいろの理由で、昼間に擬似カウントダウンなイベントであった。

同時に東京メルパルクホールでは、スマイレージの前田憂佳さんが卒業となる「S/mileage Mega Bank vol.4」が開催されていた。



震災は当時考えていたハロプロからのヲタ卒などの意識を一瞬で消し去ってしまっていた。
この混乱の中でヲタ卒など考えられない。あと一年、いや復興の目途がたつまでだと考えた。
一方で、医療に携わるという自覚は、私の職場での意識を変え、同じ場所で働く人との絆を意識するようなった。

それは後に、私の意識を大きく変えるものになるとは、この時には思わなかったが…


2012(平成24)年は、元旦から仕事だった。
中野サンプラザ「Hello! Project 2012 WINTER ハロ☆プロ天国 ~ファンキーちゃん~」と「Hello! Project 2012 WINTER ハロ☆プロ天国 ~ロックちゃん~」は翌週に参戦した。
さらに渋谷GLADでの「ナイスガール下克上対決"ザ・ガマン"~2ショットチェキもあるよ~」に参戦した。

2月には「Buono!ライブハウスツアー 2012 winter ~R・E・A・L~」に参戦した。

3月、私は震災から1年目となる11日に被災地に向かった。
石巻から気仙沼、陸前高田に向かったのである。震災発生時刻には、石巻市の海岸で黙とうし、市の施設に設けられた献花台に献花をした。


その後、2010年代、AKB48を皮切りに日本はアイドルブームへと入っていく。

アニメとのタイアップとコミカル路線のBerryz工房から、次第にナイスガール、そしてめちゃモテになっていった。

キャナァーリ倶楽部の「ピカピカ!」の "ピカピカしてるキラキラしてる 女の子たち いかが" の歌詞の通りにハマっていってしまったのである。
そしてジュニアアイドル全般からご当地アイドルへ。

それは現場をよりリアルなものにしていった。「認知」をされる喜びを知ってしまうのである。

めちゃモテ、認知、身近なもの…Pieaceやピンキッシュなどご当地アイドルのイベントは私の地元近くで開催される。そして認知されていく。
いつしか私の中で、アイドルは偶像の姿ではなく、身近で現実の存在になっていった。


そして、大学病院という当時の職場で震災を経験し感じた、同じ場所で働く人との絆。
それはリアルな恋愛という感情に昇華していくことになった。
端的に言えば、アイドルを好きになるより身近な人を好きになっていってしまうのである。


2011年の11月に、Buono!は「子宮頸がん予防啓発プロジェクト Hellosmile Live 2011 Autumn」をラフォーレミュージアム六本木で開催する。
ライブでは女性の妊娠や出産についての解説もあった。
その時少し、自分もいつか結婚し子どもを育てていく未来を考えたりした。

また、私の小学生の同級生が結婚したという知らせをいくつか聞いた。
とはいえ私にとって、結婚というのは当時は全く考えたことのないことだった。
むしろ、私はハロプロと結婚したのだと本気で思って強がっていた。就職を前にして行ったタイや香港は私のハネムーンである。などと思いこんだこともあった。


そんな私だったが、その時、職場のある女性職員さんを好きになっていってしまっていた。
極上!めちゃモテ委員長がそれを後押ししているかのようだった。


そして2012(平成24)年になると、自分の中で、意識が大きく変わり出していくのである。