新「わたしの愛聴盤/曲」 その13 ショパン・ノクターン 傅聰 (CD) | 楽逍遥の友@鎌倉・湘南

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ふれあう人たちのこころとからだと生活を尊びたい。
プロフィールのわたしの画像は、中国人の親友が作ってくれた“楽逍遥”の印章。カバー画像はネパールでヘリに乗ったときに撮影。

このCDは、旧「私の愛聴盤」に選んでいる。わたしが、上海の日系現地法人企業に就職して以来、愛聴の期間が長く続くので、新「わたしの愛聴盤/曲」の対象にそのまま引き継ぎたい。記事の内容は整理し直して書く。

 

1.演奏者の傅聰(フー・ツォン / Fou Ts'ong)のこと

(1)ショパンコンクールでアジア人ではじめて3位入賞

傅聡は、1955年の第5回ショパンコンクーで、アジア人としてはじめて第3位入賞、マズルカ賞も受賞。ポーランドの民族的色彩の濃いマズルカを中国人がこれほどまでに見事に演奏できるとは!と絶賛を浴びた。ちなみに優勝はアダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)、第2位はウラディミール・アシュケナージ(ソ連)

(2)父の傅雷(フー・レイ)の過酷な運命

たまたま、彼の父傅雷が仏文学者で、ロマン・ロランの著作の翻訳もしていることを知り、ロマン・ロランが好きだった私の関心をひいた。そして、森岡葉氏の著書「望郷のマズルカー激動の中国現代史を生きたピアニストフー・ツォン」を読み、衝撃に近い感動をおぼえた。

中国の最良ともいえる知識人の両親は、文化大革命を中心とする激動の真っ只中の1966年、理不尽な冤罪の攻撃に対して憤怒の自死をする。

 

(3)傅聡は英国に事実上亡命

傅聡はワルシャワ音楽院で研さんを重ね、1958年英国に映り事実上亡命。翌年のデビューリサイタルは、センセーショナルなものだったと伝えられている。

1960年からはロンドンを拠点として演奏活動をする。

 

(4)その後の帰国

1979年傅聡は念願の帰国を果たす。彼の一家の運命を過酷に翻弄したにもかかわらず、国を愛して帰国する彼の気持には心が打たれる。

しかし1989年の天安門事件が起こると、これを非難した傅聡は、また9年間祖国を訪れなかった。1998年になってやっと帰国を再開した。

 

(5)上海でリサイタル

2011年11月25日にはリサイタルも行っている。わたしは、このリサイタルに行った。

 

2.新「わたしの愛聴盤/曲」に挙げたCDについて<旧「私の愛聴盤」を引き継ぎ>

 

輸入CD “SONY ESSENTIAL CLASSICS”

℗マーク1978/80 Sony Classical GmbH. 

録音:1977年

 

2.選んだCDについてのヘルマン・ヘッセの有名な言葉

そのまま引用する。

「フー・ツォンこそショパンを正しく演奏できる唯一のピアニストだ。特に、このショパンの『ノクターン集』を聴くとその言葉の意味がわかると思う。このアルバムに到達し、聴いた後では、すべてのショパンの『ノクターン集』は色褪せて感じてしまう。それほどの感動を秘めたアルバムで、フー・ツォンのショパンを聴かずに終える人生は悲しい、と断言しよう。」

わたしがこれに付け加える必要を感じる言葉は、何もない。

 

3.追加情報

わたしが日系の現地法人企業を2010年9月に退職した翌10月に、フー・ツォンは「ショパン・リサイタル2010」を行った。私は退職前後のあわただしさで、残念ながらこのリサイタルには行けなかった。

しかし、ネットブラウジングしていたら、このリサイタルの全編の動画が見つかったので、その情報を下に示す。

 フー・ツォン「ショパン・リサイタル2010」動画(YouTube)

   https://www.youtube.com/watch?v=t6AucpZ9JzU

   現場収録で雑音が入っているが、フー・ツォンの演奏の特徴がよく感じられてうれしい。

 

ショパン マズルカ フー・ツォン演奏のCD

 

Chopin Mazurki fou ts'ong

℗2006 The Friyderyk Chopin Institute