突発性難聴のブログ -7ページ目

突発性難聴の経過(12/7)

(入院9日目、退院日)

朝、5時半に目覚める。

今日は、聴力検査と診察のみ。外来の混み具合で午後の診察になるかも?と言われていたのだけれど、何時に外来に呼ばれるのか、少し気になる。まぁ、午後なら午後で、ただ待つだけなので、とにかく病室にいるだけだ。

そんなことを考えていたら、9時に外来に呼ばれた。M医師が配慮してくれたのだろう。感謝感謝。

急いで、家にメールを打つ。


(M医師、入院最後の診察)

聴力検査を終え、診察室へ。いくつか用意していた質問を手短に聞く。

「安心のために聞いておきたいのですが、もし再発した場合、今回のようにステロイド点滴で治るのでしょうか?」

「突発性難聴は再発しないとされています。また、もし症状が出たのでしたら、今度は診断名が変わってきます。治療は、その時の症状に応じたものになります。今回、ステロイドがよく効いたから、効きやすい体質であるとか、そういうことはないと思います」

なるほど、もっともな答えでね、と心の中で相槌を打つ。

「ちょっと変な質問なんですけど、ジェットコースターとかは乗っても大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫です。むしろ、どんどん乗って心配を振り払うことが必要です」

そうか、これで今回の入院で反故になってしまったディズニーランド行きの予定を立てることができる、と安堵する。

「どうもまだ耳鳴りの感覚が残っていて、違和感というか、今もまだ耳に入った水が出切れない感じがあって、耳が少しでも詰まったりすると、いきなり不安になってしまうんです。この違和感はやがて消えていくんでしょうか?」

「あれだけ重症だったので無理もないと思いますよ。むしろ、奇跡的な回復だと思っていますよ」

うーむ。「奇跡的な回復」とは、今日のM医師はやけに調子がいい。おだて作戦? まぁ、「奇跡的な回復」より「あれだけ重症だったので・・・」の言葉に、不安感や苦しみを理解してくれている心情を感じて安心する。

「では、2週間後に。もし、何かおかしかったら、その前でも良いのですぐ来てください」

ありがとうございました、と言って診察室を出る。もう少し聞きたかったこともあったのだけど、早めに呼んでくれた好意を感じて、早々に引き上げることにした。


(退院はタクシーで)

10時に迎えに来てくれた妻と娘と一緒に病棟を出る。

9日間を過ごした病棟なだけに一抹の寂しさも感じる。バスで帰ろうかとも考えたけれど、荷物もあることだし、奮発してタクシーで帰る。

久しぶりというか、(昨日も来たのだけれど)、もう病院に帰らなくても良い安心感からか、部屋がとても広く見える。日差しがたっぷりと入り込んでいて、とても気持ち良い。
午後はのんびりと過ごす。


医師の前では耳の違和感を訴えたものの、その程度は、昨日より今日と、かすかだが多少は薄れてきている感じがする。発症時やその後に続いた耳鳴りや閉塞感と比べたら、取るに足らないと言っても良いくらいだと思う。(変は変だけど・・・) よくぞ、ここまで治った、という感慨さえ感じる。・・・また、落ち着いたらよく考えてみよう。


夜、久しぶりにぐっすりと眠る。


[今日の診療]

聴力検査&診察/9:20-9:40



突発性難聴の経過(12/6)

(入院8日目・最後の点滴)

朝5時に目覚めるも、久しぶりによく眠れた充足感に満ちていた。いびきじいちゃんも退院し、久しぶりに安眠できた。退院日が決まり、家に帰れる日が確かになったこともよく眠れた原因の一つだろうか。

症状的には、左耳の鼓膜が腫れたような、一度入った水が抜けきれないような残滓感がある。加えて、鼓膜がツンツ引っ張られるような、かすかな痛みも 感じる。ただ、それは発症時や先週の耳鳴りや閉塞感と比べれば、取るに足らないが、またあの恐怖の雑音の世界に引き込まれてしまうのではないかといった不安感が襲ってくるのが怖い。


今日は、サクシゾンを100mgに減量して(本来は200mgで、明日から100mgの予定だった)の最後の点滴。

朝一ではじめましょう、と昨夜、準.夜の看護師と打ち合わせをしたのだけれど、点滴を持ってきたのは7時過ぎだった。まぁ、今日の予定は午前中にインフルエンザの予防接種だけなので、それほどあせることはない。9時か9時半に点滴を終わればいい。看護師にもそんな読みがあったのだろう。


点滴を始める際、ちゃんと100mgに減量されているか、ラベルを確かめる。まさか、変更指示が出されていないとか、そんなことはないだろうけれど、やはり確認できることは確認したほうが良い。ラベルには、ちゃんと100mgと印字されていて、ほっとする。


10時少し過ぎ、外来へ行き、インフルエンザの予防接種を受ける。


(一時帰宅)

午後、外出許可を取り、一時帰宅。明日の退院に備えて荷物を少し家に運ぶ。途中、思い立って床屋に寄り散髪。髪が短くなった分、心も少し軽くなる。左耳の違和感も、切り落とされた髪とともに消えてくれればよいのだが・・・。

家に着くと、子供が久しぶりに昼寝していた。午後の日差しが入ってきて、家の中が暖かい。ぽかぽか陽気で、寝入ったのだろう。メールチェックなどして、のんびり過ごす。暖かで、しあわせな気分。人生がこんなに平穏ならば、こんな病気にはならないだろうに、と思う。

4時過ぎに起きた娘と少し遊び、夕方、病院に戻る。


(新人登場)

病室に戻ってみると、じいちゃんがいたベッドに新しい人が入っていた。30才台真ん中あたりだろうか。(他の病室もけっこう空いている感じだったので)、もう一晩くらい、空いているだろうと思っていたので、予想が外れた意外感があった。きっと、若いからいびきは大丈夫だろう、と考える。いずれにしても一晩なのだから、まぁ、隣がどんな人だろうが大勢に影響はない。
看護師がやってきて、点滴の準備を始める。話を聞いていると、どうも同じ病気らしい。耳鳴りと閉塞感。明日から高圧酸素をはじめるようだ。
看護師が順番にやってきてぼくに言う。
「・・・耳鳴りも閉塞感も治って明日退院ですね」
「ええ、本当に入院当初と比べたらすっかりよくなりました・・・」
彼に聞こえるように話していることは明白なので、ぼくも与えられた役割どおり、希望を持てる答えを返した。
ただ、彼は、症状が軽いのが、それほど心配している様子もなく、ずっとテレビのお笑い系を見てイヤホン越しに笑っていた。夜、消灯時間を過ぎても、テレビを見続けているらしく「ウッヒヒ」と笑い声が漏れていた。

夜、10時過ぎ。隣から、いきなり超度級の轟音が聞こえる。じいちゃんのいびきと比べて数倍大きいというか、ちょっと異様過ぎる大きさだ。原子爆弾クラス。吸うときの鼻にかかるいびきが「ゴッゴッゴッゴッゴォー」と響く。とてもじゃないけど眠れない。しかし、安眠が大切な病院で、なんでこんなに悩まなければならないのか、致し方ないこととはいえ、暗澹たる気持ちになる。
10:30、11:00・・・、いびきは一向にやまない。帰りたい。明日の朝、8:30に来ますので今から外泊させてください、と今晩こそは本気で言いたくなってくる。部屋の入り口付近をうろうろする。
11:30頃、眠るしかないだろうと覚悟を決め、マイスリー半錠服用。
0時近く、看護師が病室のドアを閉めたのをきっかけに、いびきが急速に静まる。
途中、何度か再開したいぴきに起こされるが一応眠ることができた。

[今日の診療]
点滴/7:00-9:20
インフルエンザ/10:00-10:30

外出(帰宅)/13:00-17:00

突発性難聴の経過(12/5)

(入院7日目)
朝6:10から点滴が始まる。
「どうせなら早く終わるように始めましょうか」
顔見知りになった看護師が言う。
「ええ、ぼくも酸素の時間があるので、早めに点滴していただけると助かります」
昨日も、タンク室に一緒に入るおばさんから『遅いわよ』って感じで睨まれてしまった。
8:40、点滴終了。ベッドで日記をつけていると、高圧酸素のオンコールが入り、あわてて事前処置のために外来へ急ぐ。
タンク室到着、9:15。一緒に入るおばちゃんがドアの外で待っていて、ぼくの顔を見るなり「やっと来た!」と言って室に入る。やっと来たと言われても、約束の時間は9:30じゃないか。怪訝に思いながらも専用服に着替える。
「じゃ、明日も同じ時間で」
酸素を終え、着替えたぼくに技師が言う。
「時間は9時半ですよね」
「はい、9時半です。9時半から始めます。…まぁ、15分前に来ていただけると助かります」
「あのう、朝、いつも6時半から点滴を打っているんです。たいてい9時には終わるんですけど、日によっては9時を回ってしまうことがあるんです。…そんなわけで、少し遅れるかもしれませんが、9時半には必ず来ますので、すみません、よろしくお願いします」
「はい、わかりました」
更衣室からおばさんが出てきた。聞いていてくれただろうか。

(じいちゃん、退院)
昼過ぎに妻と娘が来る。娘はジュースにお菓子と、ほしいものがどんどん出てくるのでご満悦だ。口に入っているときは静かなので、病室ではありがたい。
隣のじいちゃんが息子とおばあちゃんと一緒に退院していく。5ヶ月間の入院とあって、さすがにみんな嬉しそうだ。

(再び、M女医の宣告)
2時半ころ、聴力検査と診察のオンコールが入る。
外来の検査室で聴力検査が始まる。音はどうか?今日の検査技師とは相性が悪い感じがする。『そろそろ?』という時に、なかなか次の音が聞こえてこない。微妙に外しているのか?それとも流れているのに聞こえていないのか?不安がよぎる。次の音はまだか!不安が高まったとき、ドアが開いた。「はい、終わりました」

診察室ではM女医がいつもの笑顔で待っていた。

「どうですか? だいぶ良くなっているようですね、聴力に関しては、発症前とほぼ同じくらいには聞こえていると思いますよ」

聴力検査の結果表は、どの音も0-10で並んでいる。そうか、聞こえていたのか、その結果に少し驚く。

「まだ、何か詰まった感じがしているのと、時々、何かの拍子に塞がってしまうみたいになるんです。ただ、その症状自体は発症時に比べたら全く軽いんですけど、またあの状態に戻ってしまうんじゃないかって不安感が襲ってくるんです」

「そうですね。あれだけ重症だったので、不安はあるでしょうが、音(耳鳴り)が聞こえても気にしないでください。3、3、3でお話したように(3割が全快し、3割は耳鳴りが残り、残り3割の方は聴力も耳鳴りも治らない)、治療後、音が聞こえるのは治りません。治らない音を気にしていると人生がおかしくなってしまいます」

なるほど、明快な理論だ。きっと治るという希望を持たせるのではなく、もう治らないから、治らないことを病んでも仕方がないからあきらめろ、という理屈は確かに筋が通っている。・・・しかし、取り返しのつかない過去を悔やむように、それができないから人はみな悩むのである。いずれにしても、問題は音が生活上、支障が生じるかどうか程度の問題であろう。

「で、今後の治療計画ですが、酸素はもう今日で終わって良いと思います」

「わかりました」

「次にステロイド点滴ですが、どうしましょうか?」

「今、感じている閉塞感や圧迫感の改善見込めるのでしょうか?」

「うーん。ここまで聴力が回復していればもう止めても良い時期だと思います。身体への悪影響を考え、早めに切った方が良いと考えます」

「だったら、やめましょう!」

「そうですね。明日、減量を1回やっておわりにしまします。で、あさって、もう一度聴力検査と診察を受けてください。それで退院です。外来の混み具合で、午後になってしまうかもしれませんが、やはり午前のほうが良いですよね?」

「家は近いですから、先生の都合の良いほうにしてください」

「わかりました」


(3、3、3の法則)

夜、巡回してきた看護師に聞いてみた。

「この病気の患者さんは、皆さん治って退院されるのですか?」

「人それぞれですね、本当に。治られる方もいらっしゃれば、少し良くなるだけの人もいるし、まったく治らない人もいて、先生から3、3、3の話は聞きましたか? ほんとにそのとおりです」


[今日の診療]

点滴/6:10-8:40

高気圧酸素/9:15-11:00

聴力検査&診察/14:30-15:00

突発性難聴の経過(12/4)

(入院6日目)
いよいよ入院も後半戦に突入。6日目を書く前に昨夜のことから記そう。

(眠れぬ夜には)
昨夜は異様なまでに精神不安定になってしまい、ほとほとまいった。
原因として、
1 職場の上司との会話のトラウマ化
2 じいちゃんのいびき
3 病室の暖房効き過ぎ

これは今考えればの話であって、その時はいろんなネガティブなことが頭を占領し、それらが巨大な妄想となって襲いかかってきてパニック状態となる。

となりのじいちゃんのいびきに悩まされながらも何とか眠ったのも束の間、再び、轟音のいびきで起こされた。午前零時半。小一時間も眠っただろうか。マイスリーを服用せずにまどろんだことが驚きだったが、さまざまな不安感が渦巻きのように頭を占領していた。

カーテンで仕切った壁が空気さえ通さない壁のように思えてきて、とてつもない息苦しさに包まれた。息が苦しい。昨夜の上司の言葉。耳鳴りが治らない治らないかもしれない不安感、閉塞感…。雷鳴のように轟くいびき。暑い。苦しい。眠りたい。
たまらず、マイスリー半錠を服用する。
頭がぐわんぐわんしてきて、マイスリーが効き始めた感触が広がったが、不安感は消えるどころか逆に増幅していた。
家に帰りたい。家のベッドで暖かな眠りにつきたい。「すみません、看護師さん。今から外泊してもいいですか?タクシーに乗れば10分で着くんです」そう頼みに行ってしまいそうな自分が恐い。

ふと、息苦しさはカーテンを開けることで解消するのではと思いつき、カーテンの端を50センチほど空ける。息苦しさが少しやわらぐ。…ほどなくして、暖房の運転音が消え、涼しい風が通って来た。襲っていた閉塞感や不安感が、すーっと頭痛が消えるように去っていくのがわかる。同時に眠りへと吸い込まれていった。
朝、じいちゃんの起きる音で目覚めた。5:45だった。
今日も早朝点滴。早く起きよう。

(再び耳鳴り)
昼食後、再び耳鳴りが始まる。プールで耳に水が入った時みたいな感じだ。途端に恐怖感に襲われる。またあの苦しみが始まるのか?ティシュで耳栓をすると耳鳴りが和らぐ。

(じいちゃんには最後まで悩まされるぜ)
夜11時ころ寝入る。連夜の寝不足のためか、マイスリーなしで眠ることができた。
ふと、ざわざわ音で目覚める。じいちゃんのベッドから音が漏れている。テレビを消し忘れているようだ。時計を見ると2:08。まだまだ夜は長い。
しばらく思案していると、テレビは点いていないことに気づく。ラジオだ! 耳元で聞いているうちに寝てしまったらしい。ラジオの音量はかなり大きく、気になって眠れない。しかも、合間にいびきが入る。

眠れない!
意を決して、ナースステーションに行き、看護師さんにじいちゃんのラジオを消してもらう。

(おまけ)
ラジオは消えたものの、すっかり目が開いてしまったぼくはなかなか寝付けない。
じいちゃんが何かもぞもぞし始めた気配を感じる。じいちゃんが起きた? ラジオをさがしてる? 最悪の事態!時計を見る。3:30。夜明けまでにはまだ遠い。

息をひそめて隣のベッドの気配をうかがっていると、やはりラジオのスイッチかボリュームを探っているような感じだ。
しばらくして、ラジオから音が漏れてくる。

だったら、こっちも起きてやろう。冷蔵庫から水を取り出し、一口二口飲む。じいちゃんは、ぼくが起きていることに気づいたのか、ラジオの音が少し遠慮がちになる。じいちゃん、やるじゃないか。

物音で目覚めると、5:15。じいちゃん退院日で、気もそぞろなのだろう。ベッドの中で起床の6時を待つ。

突発性難聴の経過(12/3)

(入院5日目)
外泊組は昨夜も帰ってこず、今日も一人部屋状態。
けれど、昨夜もなかなか眠れず、不安感が頭をもたげてくる。右手首に巻かれたIDテープでさえ、病院という監獄につながれた手錠のような気がしてむしり取りたくなってくる。
ふいに寝入ったらしく、睡眠後の充足感で目覚める。マイスリー服まずに眠れた!発症から初めてのことだ。
何時だろうと時計を見て愕然とする。2:08。2時間半くらい眠ったか?もっと眠ろうと試みるが眠れず、朝まで過ごす。毎正時に看護師が巡回にやってくる。やっぱり看護師の仕事はは過酷だ。

(過密な午前)
点滴が6時半から始まる。丸顔の看護師が来て言う。
「私たち、この病気の患者さんたちが来たときは必ず言うことにしてるんです。けっして希望を棄てないでくださいって。そうしないと心の病気になっちゃうんです」
点滴後、レーザーを当て、高気圧酸素室へ。

酸素療法を終え、ロッカーを開けると携帯に職場の上司からメール。今日か明日に来るとのこと。途端に左耳が塞がって、耳鳴りがひどくなる。悪気はない。逆に気を使ってくれていることは理解できるが、弱者たる病人の立場にたった配慮がないのではないか。
返信メールを打つ間も耳鳴りや圧迫感が強くなる。返信を終えたら、今度は何か誤解を与えたかもしれないと不安になり落ち込む。そもそもが、こんなデリケートなことをメールで伝えようすること自体が誤りなのだ。休む立場の人間が精神的に追い込まれるのは間違いない。

(聴力検査、そして医師の診断は?)
聴力検査のオンコールが2時過ぎに入る。引き続いて診察になるとのこと。

聴力検査が始まる。『そろそろ来るかな?』と思うころ、次の音が始まる。タイミングが合わせやすい。これがM医師が言っていた検査者との相性なのか?
診察室では30台後半の男性医師が待っていた。M医師は休診のようだ。
「どうですか?なってるでしょう?」
「えぇ、昨日あたりから耳が通り始めました。まだポワーンと音がしますが、先週に比べたらずっと楽になりました」
「音もよく聞こえてますよ」
結果表は低い音域も20から10前後で推移している。
「退院、少し早くてもいいかもな。ステロイドを止めなきゃならないけど…」
「まだ症状もあって不安なので、明後日の診察のときに判断してもいいですか?」
「お、いいよ。じゃ、そういうことで」
医師は、もうぼくには興味なげにパソコンのディスプレイに向かって作業を始める。
M医師は「聴力検査は機械によっても、検査者によっても結果が異なってくるので、あまり一喜一憂しないように」と言った。それが、症状に耳を傾けず、聴力検査だけの数値でこんなに簡単に判断してもよいのか。と言って、M医師の言葉を伝える気にはならなかった。

(酸素療法だけ追加する人も)
病室に戻り、やってきた看護師に聞いてみる。
「点滴を途中で短縮する人はいないわねぇ。むしろ、治った人も酸素を通院でやる人もいるし…。あとで、あの時やっとけば良かったって、後悔するより後悔しない道を選ぶほうがいいわよ」


[今日の診療]
点滴/6:30~8:40
高気圧酸素/9:15~11:00

午後、妻と娘、義母来る