突発性難聴の経過(12/5) | 突発性難聴のブログ

突発性難聴の経過(12/5)

(入院7日目)
朝6:10から点滴が始まる。
「どうせなら早く終わるように始めましょうか」
顔見知りになった看護師が言う。
「ええ、ぼくも酸素の時間があるので、早めに点滴していただけると助かります」
昨日も、タンク室に一緒に入るおばさんから『遅いわよ』って感じで睨まれてしまった。
8:40、点滴終了。ベッドで日記をつけていると、高圧酸素のオンコールが入り、あわてて事前処置のために外来へ急ぐ。
タンク室到着、9:15。一緒に入るおばちゃんがドアの外で待っていて、ぼくの顔を見るなり「やっと来た!」と言って室に入る。やっと来たと言われても、約束の時間は9:30じゃないか。怪訝に思いながらも専用服に着替える。
「じゃ、明日も同じ時間で」
酸素を終え、着替えたぼくに技師が言う。
「時間は9時半ですよね」
「はい、9時半です。9時半から始めます。…まぁ、15分前に来ていただけると助かります」
「あのう、朝、いつも6時半から点滴を打っているんです。たいてい9時には終わるんですけど、日によっては9時を回ってしまうことがあるんです。…そんなわけで、少し遅れるかもしれませんが、9時半には必ず来ますので、すみません、よろしくお願いします」
「はい、わかりました」
更衣室からおばさんが出てきた。聞いていてくれただろうか。

(じいちゃん、退院)
昼過ぎに妻と娘が来る。娘はジュースにお菓子と、ほしいものがどんどん出てくるのでご満悦だ。口に入っているときは静かなので、病室ではありがたい。
隣のじいちゃんが息子とおばあちゃんと一緒に退院していく。5ヶ月間の入院とあって、さすがにみんな嬉しそうだ。

(再び、M女医の宣告)
2時半ころ、聴力検査と診察のオンコールが入る。
外来の検査室で聴力検査が始まる。音はどうか?今日の検査技師とは相性が悪い感じがする。『そろそろ?』という時に、なかなか次の音が聞こえてこない。微妙に外しているのか?それとも流れているのに聞こえていないのか?不安がよぎる。次の音はまだか!不安が高まったとき、ドアが開いた。「はい、終わりました」

診察室ではM女医がいつもの笑顔で待っていた。

「どうですか? だいぶ良くなっているようですね、聴力に関しては、発症前とほぼ同じくらいには聞こえていると思いますよ」

聴力検査の結果表は、どの音も0-10で並んでいる。そうか、聞こえていたのか、その結果に少し驚く。

「まだ、何か詰まった感じがしているのと、時々、何かの拍子に塞がってしまうみたいになるんです。ただ、その症状自体は発症時に比べたら全く軽いんですけど、またあの状態に戻ってしまうんじゃないかって不安感が襲ってくるんです」

「そうですね。あれだけ重症だったので、不安はあるでしょうが、音(耳鳴り)が聞こえても気にしないでください。3、3、3でお話したように(3割が全快し、3割は耳鳴りが残り、残り3割の方は聴力も耳鳴りも治らない)、治療後、音が聞こえるのは治りません。治らない音を気にしていると人生がおかしくなってしまいます」

なるほど、明快な理論だ。きっと治るという希望を持たせるのではなく、もう治らないから、治らないことを病んでも仕方がないからあきらめろ、という理屈は確かに筋が通っている。・・・しかし、取り返しのつかない過去を悔やむように、それができないから人はみな悩むのである。いずれにしても、問題は音が生活上、支障が生じるかどうか程度の問題であろう。

「で、今後の治療計画ですが、酸素はもう今日で終わって良いと思います」

「わかりました」

「次にステロイド点滴ですが、どうしましょうか?」

「今、感じている閉塞感や圧迫感の改善見込めるのでしょうか?」

「うーん。ここまで聴力が回復していればもう止めても良い時期だと思います。身体への悪影響を考え、早めに切った方が良いと考えます」

「だったら、やめましょう!」

「そうですね。明日、減量を1回やっておわりにしまします。で、あさって、もう一度聴力検査と診察を受けてください。それで退院です。外来の混み具合で、午後になってしまうかもしれませんが、やはり午前のほうが良いですよね?」

「家は近いですから、先生の都合の良いほうにしてください」

「わかりました」


(3、3、3の法則)

夜、巡回してきた看護師に聞いてみた。

「この病気の患者さんは、皆さん治って退院されるのですか?」

「人それぞれですね、本当に。治られる方もいらっしゃれば、少し良くなるだけの人もいるし、まったく治らない人もいて、先生から3、3、3の話は聞きましたか? ほんとにそのとおりです」


[今日の診療]

点滴/6:10-8:40

高気圧酸素/9:15-11:00

聴力検査&診察/14:30-15:00