奥技・ガン無視著作拳!
世界中から星の数ほどの動画が集まって、とんでもないことになっているサイト「YouTube」に、「Z○イト」のアニメがアップされている。サマーボーイは即検索、関係者は見て見ぬふりの方向性で。
確か、どっかから訴えられたとかいう話だったから、閉鎖なんかする前にゲットだぜ!
合わせて、FLV形式ファイルの保存・再生方法も紹介。
サーガオンラインiプレイ日記 4/21
『ゾイドサーガオンラインi』二日目。『MOTHER3』が届いたのに、黙々とゾイドをやる俺はM。
例によって時空転移装置でバンの世界へ飛ばされてきたプレイヤー。アトレーたちともはぐれてしまったので、バンと共に旅をすることになった。
さて、先輩方の話によると、コマンドウルフISに乗っているとモテるそうなのである。バーゲンセール級の筆者としては、なんとしてもコマンドウルフISに乗りたい。しかし、ISユニット(コマンドウルフをアーバイン仕様に換装するアイテム)をゲットするチャンスは、βテストでは一度しかないという。そのため、白ゴルドスの所でセーブ&リセット。首尾良く二度目のトライでゲットできたので、スキップできないイベントを延々見させられる地獄を見ずにすんだ。
それにしても、やっぱり白ゴルドスの話はいい話だなぁ。思わずジーンときてしまったぜ。
ところで、数時間プレイし二章二話までクリアしたのだが、一度もゾイドの捕獲に成功していない。ちょっと厳しすぎるのではないか。多分30回はトライしているのだが……
それに、紙装甲の初期機体、ガンタイガーに乗り続けているのだが、いまだにAP(各ゾイドの熟練度)は5%しか上昇していない。どれだけの時間を費やせばガンタイガーマスターになれるというのか?
絶望した! ガチガチのケチ仕様に絶望した!
SOにもサーガがやってきた
現在βテスト中の『ゾイドサーガオンラインi』が、昨日からSO902iに対応した。早速登録して遊んでみる。
まず初めに、キャラクターメイキングがある。いくつかの簡単な質問に答え、顔グラフィックのモンタージュをしてメイキング完了。いやー、やっぱりこういうのはワクワクしますなぁ。
ゲーム内容はおなじみのRPG『ゾイドサーガ』シリーズを携帯向けに簡素化したもの。例によってアーカディア城が謎の敵の急襲を受け、アトレー王子と三獣士が落ち延びるところから話は始まる。プレイヤーは王子に拾われた記憶喪失の人。いわばゾイドマン。
マップ上の移動や戦闘も、基本的にはシリーズのシステムを踏襲している。グラフィックもなかなか凝っていてGBやDSと比較しても遜色ない。
だが、一つだけ携帯ゆえの難点がある。データの読み込みのため、頻繁に通信状態になるのである。マップが切り替わっては通信。メニューを開閉しては通信。パケット料金が発生するのは当然として、その待ち時間に耐えられるか。ゾイド菩薩とも言われている筆書ほどの境地になればアルカイックスマイルを浮かべて待つこともできるのだが、例のキーボードを破砕するドイツ人少年のようなメンタリティでは携帯がいくつあっても足りない。気の長さが、このゲームを楽しめるかどうかの最初にして最大の関門だ。
しかし、携帯ゆえの大きな特長もある。登録している他のユーザーのキャラクターと共に冒険できるのだ。『魔法学園アヴィリオン』のゾイド版といったところ。
FOMA90Xiシリーズを使っていて、パケホーダイを契約しているサマーボーイは、Let us cling togetherだぜ。今月いっぱいやってるβテストはロハだし。正式稼働は来月から。
『ゾイドサーガオンラインi』
FOMA90Xiシリーズ対応
月額315円
i MENU→3.メニューリスト→ゲーム→3.ロールプレイング→ゾイドサーガオンラインi
「自由」ということ
「煙草は賢者には考える時間を、愚者にはくわえる物を与える」
たしか『マーフィーの法則』で読んだ言葉だったと思う。
二、三年ぶりに煙草を買ってみた。まぁ、便秘気味の時(失礼)などに貰い煙草をすることもたまにはあったが、禁煙が完成されていたといって差し支えないと思う。でも、「体に悪いから禁煙しよう」などと思って煙草を吸わなかったわけではないのだ。
よく、「煙草は百害あって一利なし」と言われるが、それは嘘だ。一利あるのである。吸うと美味い。
ただ、周知の通り煙草は毒でもある。敢えてそれを吸うのも個人の自由ではあろう。しかし、多くの喫煙者が自由意志で煙草を吸っているわけではない。依存性によって「吸わされている」のである。それは「自由」という言葉に値しない。
「自由」という日本語は、幕末に外来語の訳語として爆誕した。それまでの日本語になかった概念で、キリスト教精神と密接な関わりがあるという。束縛されず、また流されもせず、「自」らの心に「由」と思ったことをするのがすなわち「自由」だ。欲望のままに振る舞うのは獣性が暴走しているだけで、自由とは言わないのである。
で、あるから、習慣として煙草を吸っている、否、吸わされていることなど、不自由を強制されていることに他ならない。肺ガンになろうが知ったこっちゃないが、不自由は御免だ。自由になりたかった。「不自由を強制されているという概念」が嫌だったのだ。だから私は、「煙草を吸う習慣」を止めた。本当の意味で吸いたくなったら、その時こそ「自由」に吸えばいいと。
さて昨日、いや、日付が変わって今日未明である。やたら溜まっている仕事を残業でいくらか減らして家路についた。コンビニで「おろし竜田弁当」を買ってチンしてもらっていると、ふと、煙草を吸いたいと思った。疲れているし、油物を食った後だ、きっと美味いぞ。そういう訳で、煙草も買い求めて帰った次第なのである。
「ますます美味しくなった」という謳い文句の「おろし竜田弁当」を食し、満腹になった。さて、いよいよ「自由」に煙草を吸ってやるぞ。うぇっへっへ。ライターがなかったので仏壇のチャッカマンを拝借して点火。スー。ハー。どーだ、この野郎。俺様は今、「自由」に煙草を吸っているんだぞ! やっぱり煙草は美味……くない?
気分が悪くなった。すっかり体から毒気が抜けていたからか、体が煙草を受け付けなかった。いや、あるいは、元来体が丈夫ではない私のことだ。煙草を止めた頃には、既に毒の許容量が限界値に達していたのやも知れぬ。とにかく、せっかくの「おろし竜田弁当」を戻してしまったことだけは確かだ。
煙草を吸う、吸わないという対立から解脱したつもりでいたが、「吸えない」という枷を付けられただけだったのか。いや、ここは今後、「吸わないという選択」を「自」ら「由」とするのだと考えよう。
ひるがえってゾイドはどうだ。諸君の中には、なんとなく惰性で続けている者がいるのではないか? 大分つぎ込んだから今更止められないとか。だが、それは本当の「自由」ではないぞ。情熱を失っているのなら「自由」に止めてよいのだ。またやりたくなったら、その時は出戻りするのも「自由」だし。
え、私はどうなのかって? そりゃあまぁ、ゾイドを組み立てるのも七面倒くさいと思っているのだが、いかす改造ゾイドを見るとムラムラしてきたり、たまにキットを組んでみると多幸感があるのもまた事実。自由意志で続けているのである。
……この文章は「あー、今日も何か書かなきゃな……」と思いつつ書いているのであるが。
