この話はあまりに最低です。耐性のない方にはお勧めしません。

 

あれは、今から約1年前・・・

 

 私は言うまでもなく電車なのだが、ある日の朝、帯広でキハ261系が壊れて特急列車が運休になったとのニュースがあった。普通の人なら気にも留めないニュースなのだが、私の思考回路はある一つの結論に至る。

「救援があるかもしれない」

私は何より電車を優先する男。指定校で大学に進学し、しっかり高校を3年で卒業した今だからこそ言えるが、学業なんかより電車が大事だ。親にバレないようにサボった回数など計り知れない。まあ毎回バレて死ぬほどキレられたが。ひどい時は1ヶ月口も利いてくれず、飯抜きで自給自足の生活を迫られた時もあった。それでも懲りずに電車を優先し続けた。高校3年生になって指定校決定が具体化すると待ってましたと言わんばかりに呆れられたのか、何も言われなくなった。

 

話が脱線してしまった。大沼駅

キハ261系の救援があるというなら学校を蹴ってでも撮りたい。だって北海道を代表する特急車両が機関車に牽引されるのだ。撮らないなど愚の骨頂、北海道鉄失格である。そう思った私は登校後、「今日は体調がすぐれない」と友人たちに伏線を撒きながらいつでも早退できるように準備をしていた。本当はめっちゃ元気なのは言うまでもない。

 しかしその心配も杞憂に終わったようで、結局救援は帯広夕方発とのこと、ダラダラ走るので札幌に来るのは陽が沈んだ後だった。そのため授業にはちゃんと6時間出席し、持病の仮病も午後から回復傾向を見せた。しかし次なる問題が私を襲う。私はすっかり忘れていたがこの日私は当時付き合っていた彼女とデートの約束を入れてしまっていたのだ。これほど過去の自分を恨んだことはない。なぜだ、なぜよりにもよって今日なんだ。今日じゃなかったらニコニコで行ったのに。

 

しかし愛する彼女とのデートを待ち合わせ30分前にもなってキャンセルすることはできない。ちなみに今日がデートなことなどすっかり忘れていたので、いつでも学業からDENSYAに転戦できるよう、三脚とカメラだけはちゃんと持ち合わせていた。そこで私は非電化区間での撮影は諦め、札幌周辺のバルブだけは絶対に参加する意思を固めた。スジ的には19時半ごろに解散すれば間に合う、19時半とか放課後デートが1番盛り上がる時間だが、そんなのは知らない。彼女には申し訳ないがお前の彼氏はDENSYA博士なのだ。

 

 

少し泥のついた三脚片手に待ち合わせ場所へと向かう。そういえば3日前俯瞰に登った時の泥を落としてなかったな。まあいいや。一つ確実なことは、同い歳の彼女とのデート前の高校生の行動ではないことだ。一応後悔はしていないが反省はしている。

学校が終わって16時半ごろ、彼女と合流した。家に帰らず直接来たので制服のまま、片手にはケースに入れてるとはいえ三脚を担ぎハタから見れば完全に関わっちゃいけない人である。そんな私を笑って見逃してくれた。そんなとこが好きだった(突然の惚気)

デート自体はいたって普通の学生デートといったもので特におかしなところはなかった。少し早めの夕食を一緒に摂っていると、非電化区間にいるDENSYA博士から某所の救援バリ順優勝写真が送られてきて、電話がかかってきた。怒りを噛み殺しながら席を一旦離れ、電話に出た。

 

友「もしもし〜何で来なかったの〜^^」

私「いや〜学校だったもんで」←急げば間に合ったがめんどいので濁す

友「あ〜そうなの〜かわいそうに〜今どこで何してるの〜?」

 

私は少し腹が立った。羨ましいからだ。私も撮りたかった。学校終わってから即友人の車で行けば間に合ったはず。そう思うと本当に悔しかった。そこで私は今何してるの?という問いに禁止カードを使ってしまう。

 

「彼女とデート中です」

 

当然だが、DENSYA博士に彼女はいないしできたこともない。向こうも腹が立ったのか返事はなく、そのままプツリと電話は途切れた。後で会ったときにガン詰めされるのは確定である。ダル。

 

その後私は「親に今日は20時までに帰ってくるよう言われてる」と意味不明で適当な嘘をつき、無事19時半に若干怪しまれながらも解散した。最低である。彼女と解散した私はまず多目的トイレに入り、私服に着替えた。今日の救援は確実に帰宅は夜24時を回る。そんな時間まで制服で出歩いていたら補導まっしぐらだ。私は救援が夜遅くなることを見越して通学リュックにカメラの緩衝材がてら私服の着替えを仕込んでいたのだ。こういうとこだけ妙に用意周到である。心が痛むが背に腹はかえられぬ。心の中で何度も土下座しながら改札内に入り、家と反対方向の電車に乗り込んだ。

 

 

 

この日は軽度のダイヤ乱れが発生しており、その影響で普通列車江別行きがホーム変更、ほぼ学園都市線専用ホームの11番線に入線した。これは珍しい。11番に学園都市線以外の営業列車が入ってるところは初めて見た(後で調べたら普通に朝に定期であった)

学園都市線ユーザーの私は一応カメラを取り出し熱心に撮影。一瞬でDENSYA博士に様変わりしてしまった。

 

普通列車に揺られること約25分。やってきたのは島松駅。電略はママ。

「ママ(島松)に20時までに来いと言われている」といえば一応嘘ではなかったか。男が齢18にもなって母親のことをママ呼びはキツイが、これで罪悪感は少し軽減されていたかもしれないと思うと少し後悔した。後悔するポイントがズレているのだが、触れてはいけない。

救援の到着まではあと20分以上あったが、会場には既に情報を聞きつけたDENSYA博士が大勢駆けつけていた。北海道鉄の世界は狭いのでほぼ全員知り合いである。なのでキャパの融通も効く。私は割と直乱だったが、いい立ち位置を手に入れることができた。

 

 

 

時間になると踏切が鳴り、モノがやってきた。かっこいい。カッコ良すぎるぞ、、、。

釧路ノロッコ釜とキハ261系。おそらく営業線では初の組み合わせだし、今後同じ組み合わせで走る保証もない。本当に来てよかった。ホームの構造上ケツが暗いが、そんなの気にならないほどにかっこいい。

本当に来てよかった。見た感じ身内は8割がた来ている。これを撮り逃していたら一生笑い者にされ、煽られ続けていたことだろう。ネタを撮ったニホントリテツの前に恋人マウントなど無に帰す。撮り鉄の世界はどれだけリアルが充実していようが情報がない人間に人権はない。この世界はネタをVに撮った奴が偉いのだ。そのためなら全てを捨てる覚悟。Vのために仕事を辞め、学校を辞め、親は離婚し、最悪は塀の向こうに行ってしまった人間をごまんと見てきた。狂った世界だが私にはどうしようもない。そこまで行くとただの犯罪者なのでそこまでは行きたくないが、最低限は抑えておきたい。

島松駅では2時間の停車。撮り放題だ。運転士さんが気さくな方で、たまにライトをつけてくれた。これならデートを中断してくる必要もなかったが、それは結果論。Vが撮れたら何でもいいのだ

 

 

 

色々撮影。2時間後、もう一発札幌駅で撮影して、この日の業務は終了。終電で帰宅した。その辺は長くなるので割愛する。

 

 

半月後。彼女がクッキーを焼いたとのことで家に招かれた。家に行くのは2,3回目だったので特に緊張はない。ご両親に一応挨拶をし、彼女の部屋でクッキーを嗜んだ。うまいやないか。写真もあったが、これは別れた時に消してしまった。ごめんなさい。日頃の電車Daysからは想像もつかない、優雅な放課後だ。ちなみに少し話は逸れるが私の親は典型的な大阪の人間。デリカシーがないので当然彼女がいるなんて言えず、1年以上付き合っていたが一切言及せず隠し通した。察することができない性質上バレたらすぐなんか言ってくるはずなので、多分バレてないはず。親は専業主婦でずっと家にいる。当然隙なんてなく部屋に呼ぶどころか通話もままならない。ママだけに。なので彼女の家には何度か行ったが、結局我が家に招くことは一度もなかった。こればかりは本当に申し訳ないと思っている。他にも謝ることがたくさんあるが、気が持たない。

 

いつも通り適当に世間話をし、ただ徒に時は過ぎた。

もうそろそろ帰ろうかと思った頃、ひょんなことから小さな喧嘩になった。

別れ話になったが、私は一旦拒否、話し合おうと冷静に対応した。今更どの口が言ってるんだか。

向こうにとっては最大の切り札だったのだろう、半月前の救援の日のことを言及される。私は何も言えなかった。

なんとなくお分かりだろうがこれが初犯ではない。女の勘とは怖いもので、ほぼ全部お見通しだった。というか芋づる式にバレた。結局何が言いたいか

 

私<電車なのが気に入らなかった模様

 

当たり前だ。しかしここまでバレてるとは思わなかった。私にはもう、なす術はなかった。

結局話し合いは3時間続き、モヤモヤが残ったまま解散となった。

 

 

 

私はお土産用にもらったカボチャ型(113,115系のことではない)のクッキーの小包を片手に彼女のマンションをあとにした。そして、二度と此処に戻ってくることはなかった。この日は自転車で帰ったが、記憶にない。21時ごろ、家に帰ると夕食は大好物の鶏の唐揚げだった。しかし食欲が湧かず、この日は夕食を取らずに就寝した。

 

ー俺に泣く権利はない。泣きたいのは向こうの方だろう。ー

 

翌日、朝から学校に行こうと試みたが、どうも行く元気がなかった。前日の放課後、いつも一緒にいる親友に、彼女がクッキー焼いてくれたから食べてくるねん!😤とイキってしまった手前、今更フラれたなんて言えない。まあ私のキャラ的に笑ってくれるだろうが、プライドがそれを許さなかった。これだけのことをしておいてプライドとは、今思えば可笑しな話だ。まあそれ以前に学校に行く元気が出なかった。

 

当然ながら気が病んでるだけなので熱はない。いつもの昭和脳の親なら根性論で学校に行かせるが、この日は前日の唐揚げに手をつけていないことが功を奏し、体調不良で休みが許可された。初めて仮病が容認された。皮肉なものである。

もうこの際フラれたことを察されてもいい。とにかく学校に行きたくなかった。

この日は大好きな部活があったが、それでも行きたくなかった。今思えば電車の次の次くらいに好きだった高校に行きたくないなんて、本当にどうかしてたんだろう。

夕方、何気なくインスタを開くとDMが届いていた。後輩からだ。

 

「先輩、体調大丈夫ですか?心配です🥺 元気になったらまた来てくださいね!」

 

私は本当に心が苦しくなった。筆舌し難いほどに。なんていい子なんだ。私が後輩なら絶対先輩にこんなこと言わない。なんならとっとと引退しろとさえ思っていた。このままじゃダメだと思い、翌日から普通に学校に復帰し、普通に振る舞った。電車活動も再開。後日正式に別れた。これは電車のせいではなく間違いなく自分のせいだが、何かに責任をなすり付けないとやってられなかった。

 

俺は電車なんや!!!

 

 

史上最悪のハロウィンはこうして終わった。

 

 

 俺の高校生ライフはこうして終了、しかし反省はしているが後悔はしていない。

尊敬する先輩鉄からもらった言葉

 

女なんて無限にいるが、電車はこの日、この時間しか走らない。後悔のないよう撮れ!!

 

これは私の心の中に深く刻まれている。結局恋愛より電車のほうが向いていたのだ。人生ワンマン運転。

友達に「千歳線(末端区間のこと)より先にワンマン化されるとは思わなかったよ!」と言われた時は素直にやかましいわと思ったが。

 

ごめんね。