2024年3月15日
石北線のキハ40(以下 ヨンマル)が長い歴史に幕を閉じた…。
今回はその裏で起こった出来事のお話
登場人物…俺(こむぎ)、家畜
3月9日
状況がわからない方のために説明すると、僕は札幌、家畜は旭川に住んでいる。家畜(一応1つ年上)はここ半年私と共に道内様々な場所を巡ったまさに「相方」的存在だったが、残念ながら見事なDENSYA FACEのため人の心を持ち合わせていない。
石北線は旭川を起点に(正確には新旭川ですというコメントは求めてませんよ電車博士🥸)札幌とは逆方向に向かう路線であり、なおかつ当時高校生の私は運転免許を所持していなかった(今も持ってないのは秘密)ため、必然的にこの家畜ツアーに参加するためには私がなんらかの手段で旭川へ移動し、旭川で拾ってもらう必要があるのだ。なので今回は私が始発の特急列車ライラック1号(3001M サツ630→アサ800)で旭川に行き、拾ってもらう算段だった。「いいよーーーん」の直後、私は最寄駅へ走り、もしもし券売機で特急券を購入した。奮発して指定席にした。寝たいからな。
1763とはキハ40 1763のことで、通常石北線を走る旭川車のヨンマルにはタイフォンがないのだが、1週間前に苫小牧から旭川に転属してきた1763にはタイフォンがついており、それが石北線に入っているのだからかなり貴重な光景だった。ちなみに1763が石北線に入ったのは、近年では結果的にこの一回(1ターン)だけだった。1763はもうすでに廃車になったため、結果的に見ても貴重な光景だった。そんな車両が最終日の1日1本しかない網走発旭川行き(4658D→4622D)の運用に入るというのだ。撮らない理由はない。しかし一つ問題が発生。石北線は途中の遠軽でスイッチバックをするため、網走ー遠軽間と遠軽ー旭川間では編成がまるっきり逆になるのだが、よりにもよってその最終日の1763の連結相手は撮り鉄の天敵である、森の恵みラッピングだった。つまり前から撮りたい場合、1763が先頭となる網走ー遠軽間で撮る必要があるのだが、何せ遠いのだ。旭川8時発でも撮れない事は無いのだが、満足カットが撮れるとは限らない。
3月14日
札幌の家でのんびりゴロゴロしていると、突然家畜がこんなことを言い出した。
いかにも電車オタクといった会話。要約すると元々朝8時の約束だったのが、「明日は朝4時に変更するから、乗りたかったら4時に旭川駅にいてね〜」とのこと。私も理解するのに時間がかかった。札幌〜旭川は夜行バスもなく、朝4時に旭川駅にいるには前日のうちに旭川に向かい、ホテルに泊まる必要があるのだ。これを前日の夕方に言ってくるとは、さすが人の心がない。私は貧乏高校生、今でこそ1泊するくらい容易だが当時はそんな金はないし、かといって3月の旭川で野宿は死んでしまう。私は怒りを噛み殺しながらスマホを開き、じゃらんに載ってるホテルで1番安いところ何とか予約できた。1泊7000円。死ね。
明日の特急券は無論払い戻しだ。手数料220円。死ね。大した金額ではないが、私は手数料という言葉が死ぬほど嫌いなのだ。別に今日は早く旭川に着く必要もないし、さっき7000円飛んだので少しでも節約するためにも普通列車で行くことにした。特急+1時間で1800円の節約。時給1800円のバイトだと思えば安いものだ。
家で夕食を済ませ、19時過ぎに旭川へ向け出発。2駅ほど進んだところで家畜からLINEが来た。
「明日、親を職場に送っていくから6時半に変更!!」
こればかりは仕方ないのだが、さらに調べてみるととんでもないことが発覚
少しでも時間を短縮するために石北線(旭川〜上川)にある家畜の親の職場最寄駅(個人情報なので流石に伏せます)まで来いというのだが、旭川からの始発が遅く、7時半になってしまう。当然僕を旭川まで迎えに来るともっと時間がかかる。これじゃ当初の始発特急と30分しか変わらない。死ね。
今更どうすることもできないのでひとまず140km先の旭川を目指した。
乗車したのは721系の滝川行き。運よくUシート付きF-1009が来たので快適に移動できた。
岩見沢で後ろ3両を切り離し、僻地区間へ。
滝川からは向かいに止まっていた721系でさらに北上。滝川で721系が2本並ぶ光景、両方固定運用だったのでこの時は毎日見れたがこの2日後のダイヤ改正で滝川以北から撤退、固定運用もなくなったので過去の光景に。今思えば各停で行ったのは正解だったのかもしれない。
ちゃんと編集済みの綺麗な写真もあるのだが、画質が良すぎてブログには載せれない模様。カス。
深川で特急待ち
やることもないのでのんびり揺られていたのだが、ここで天啓が舞い降りた。家畜の親の職場沿線の石北線の始発は確かに遅いが宗谷線の始発は旭川6時03分発。そして途中の比布駅から2kmほどのところを石北線が走っている。つまるところ、宗谷線の始発列車に乗車し、比布駅で下車。私は石北線へ向け歩き、同じタイミングで家畜は親を降ろした後、比布駅へ向かって車を走らせ、すれ違ったところで乗せてもらえば良いのだ。我ながら天才だ。私はこのことを家畜へ提案。無事受理され、歩くルートを決め、明日の予定は決まった。自分の睡眠時間が減ったので、自分の首を絞めただけになったような気もするが、Vの為ならしょうがない。
22時過ぎ、旭川駅着。
早く布団につきたいところではあるが、ホテルまでは徒歩25分、しね。この極寒の中、この疲れで歩きたくは無い。そう思った私は判断力が鈍っていたこともありタクシーを利用した。ワンメーターだけと頼んだのだが、ワンメーターの地点で +200円くらいでホテルまで行けるよ、と運ちゃんに言われ、200円くらいならいいやとホテルまで乗ることにした。
すると、
ホテルまであと数10メートルというところでメーターが上がり、結局+600円払わされた。してやられた。商売上手な運ちゃんだ。私は超が付くケチなので600円だと言われたらワンメーターで降りていた。運ちゃんも謝ってたし悪気はなかったのだと信じたいが、まあ話のネタにはなったのでいいだろう。ホテルは値段相応という感じで自販機もないし部屋も汚かった。今回は寝るだけなのでよかったが、申し訳ないが次はない。
翌朝は5時起床。駅まで25分歩き予定通り宗谷線の始発列車に乗車。散々長々と話してきたがようやく本題である。寝過ごしたら稚内を合言葉に汽車は旭川を発車。比布までは20分ほどの道のりだ。
途中、旭川運転所からの721系送り込み回送とすれ違った。明日のダイヤ改正で721系は旭川から撤退することになっているため、キハ54の大きな窓から721系を眺められるのも今日が最後かもしれない。
特に面白いこともなく比布駅に到着。ここから家畜が向かってくる石北線の線路まで歩くわけだが、1番近い駅まででも徒歩1時間47分。当然徒歩でつけるわけもないため先ほども言ったように途中で拾ってもらう。すれ違いが懸念されるが、私と家畜の仲だ。その心配はない。撮り鉄御用達アプリ、人間在線ことwhooをお互い交換しているのでGPSで常にお互いがどこにいるのかわかるのである。こんなアプリで喜ぶのはメンヘラか撮り鉄くらいだが、意外と学校でもやってる人は多かった。もしかしたら全校生徒メンヘラだったのかもしれない。
25分ほど歩いただろうか、途中コンビニで飲み物を購入し、何もない白銀の一本道をただひたすらに歩いていると、前から1台の車がやってきた。見慣れたナンバー、鳴るクラクション、メッセージ性のあるパッシング。その車は確かに車なのだが、推定200-300m離れていても隠しきれないDENSYAオーラ。無理もない、運転者がDENSYA=FACEなのだ。この乗り物は四捨五入で電車だ。
タイトルから書き始めて約3000文字、ようやく本題へ
要約をせず長々と書き連ねるのはADHDの特徴である。思い返せば作文は小学生の時から得意だった(文字数稼ぎで内容は薄い)
さてようやく家畜と合流し、10kg近い荷物をトランクに詰め込み、いざ網走にむけ出発。
車中、真っ先に飛び出したのは私の文句だ。しかし家畜は意外にもすんなり謝罪した。こっちも別に本気で怒ってるわけではないし謝られても困る。ただいじってるだけだ。そう、こいつはなんだかんだいい奴なのだ。
ここでは家畜という仮名で呼んでいるが周囲からは豚と呼ばれている。ちなみに実際はお手本のようなチー牛。豚なのか牛なのか人なのか怪しい謎の生命体と試運転障害を乗せた車は予定通り石北線沿いを走行。たまたま向こうから普通列車が1本来ていたので時間はあまりないが、せっかくなので今日をもって廃止となる愛山駅で撮っていくことにした。
「DECMOも画になっちゃうんだよねぇ〜」誰かが言っていた。
確かにヨンマルと比較すると車両としての魅力は劣るが、近年の新車にしては秀逸なデザインだ。私は嫌いじゃない。
私は昨晩ゆっくり寝る予定だったので睡眠不足だった。なぜかその予定は崩壊したのだが。そこで助手席に乗る人間としてあまりに申し訳ないが、1時間ほど寝かせてもらうことにした。しかし睡眠中の私を前に時間など無力、私の1時間寝る!は1時間から5時間まで変幻自在に変化する。家畜も優しいので強くは起こさなかったよう、その間も車は進み続け目が覚めるとそこは女満別だった。距離にして愛山から150km。何時間寝てたんだ。
ショバまではあと少しだが、ここで休憩と称して異常オタク2名を載せた車は女満別の道の駅で停まった。ここまでたった一人で運転してくれたんだ。変わってあげたい気持ちは山々だがこれはレンタカーではなく家畜の自車であり、なおかつ私が運転すると無免許運転である。かたじけない。
思いのほか道が空いていたようで時間には少し余裕があった。天気は微妙。薄雲の晴れ。撮り鉄が1番嫌いな天気だ。しかしいくら文句言っても今日が石北ヨンマル最終日、撮らないよりはマシである。
女満別では目覚めのソフトクリームを掻き込んだ。確か気温は10度以下だったが、私には関係ない。
そもそもその気温で年中ソフトクリームを販売している方が狂気である。
少しのんびりしすぎた。やばい間に合わない。
ADHDオタクあるあるである。ちなみにこれでモノに間に合わなかった場合、私はこのソフトクリームを食べるためだけに旭川に1泊したことになる。そんな事態は絶対に避けたい。
通過3分前に現着。一発目なのにギリギリすぎる。
そんな有名なショバではなかったので、キャパないよ(笑)の心配はなかったが雪中行軍してた関係で立ち位置に着いたのは通過1分前だった。設定を整えるとすぐ、トンネルの向こうからこの辺りでは聞き慣れない「ファン!」とタイフォンの音が響いた。
予定通りタイフォン付きの1763が来た。やはりヨンマルはこの顔である。だた後ろの森の恵みも予定通り付いてきてしまった。廃車にしろ。
北海道でよく見かけるこのトンネル飛び出し構図、本州ではあまり聞かないが北海道特有なのだろうか。私はこの構図、結構好きだ。
天気はイマイチだったが石北線のトンネルと苫小牧のヨンマル、いい記録にはなった。苫小牧管内にこんなトンネルないしね。
激V!!とまでは行かないが1泊した価値はあった。
ヨンマルは遅いので追っかけが可能だ。そしたら無論追っかける以外選択肢がないのだが、順光になるショバがなかった。完璧な曇りなら選択肢もあるのだが、今日は中途半端に晴れている。ゴミ。
結局時間もないので、名前すら覚えてない適当な踏切で面縦。撮らないよりはマシ程度の記録である。
次のショバはもう決まっていた。1か月ほど前に家畜と出かけた際に見つけた(旧)生野駅近くの踏切である。
↑ここ(24.2撮影)
ここからヨンマルは北見での長時間停車、峠での回り道があるので、北見市街で車が信号に捕まりまくって全然進まないことを差し引いても、車の方が有利だった。ショバには40分くらい早くついた。車が速いのもあるが、単に汽車が遅すぎるのだ。
40分もここにいるのは暇すぎるので、障害物がないことだけ現地で一応確認して、ひとまず生田原の市街に出ることにした。しばらくこっちの方にも来なくなるだろうし、最後に昨年9月に家畜と行った家畜行きつけのジェラート屋に行くことにした。繰り返すが、北海道の3月である。いつ雪が降ってもおかしくない寒さである。私は朝からソフトクリームとジェラートしか食べていない。これが限界撮り鉄である。
てかなんで冬なのにジェラート屋開いてんだよ。ダメ元で行ったが冬季休業とかもなくしっかりやっていた。食べる方も食べる方だが、売る方も売る方である。
ごちそうさまでした。寒かったが味はうまい。夏と違って簡単に溶けないので最後までおいしくいただけるのだ。
一足先に食べ終わった私はGoogleマップで列車の時刻を念の為調べると、目を疑う情報が私の網膜に飛び込んできた。
「生田原駅 1分後」
終わった。のんびりしすぎた。
ヨンマルの鈍足ならまだワンチャンあると思った一同はすぐさま車に乗り込み、安全に考慮しながらも最高速でショバを目指した。
ショバの2km手前くらいでノロノロ走るヨンマルの姿を確認。これは追い越せると思ったのも束の間、目の前を塞ぐ遅いトラック。
終わった。全てが終わった。しかも運の悪いことに対向車も来ており、追い越せなかった。結局ヨンマルより少し速いくらいの速度でじわじわと距離を詰め、ヨンマルとはショバに同着だった。誇張なしでピッタリ並走した状態でショバを通過した。正直あと20秒早くついてたら撮れたと思う。何のために現地で確認したのか。私がジェラート食べに行こうと言ったのが悪かったのか。後悔先に立たず、ADHDである。
遠軽駅では反対方面行きのヨンマルと交換。旭川を私の4時間後に経った網走行きの2両編成。こっちには流氷の恵みが組み込まれていた。そしてここからは森の恵み先頭となる。正直撮る価値ないが、恵みを撮る機会なんてないし、家畜は一旦旭川に帰る予定があったので消化試合として撮ることにした。
汽車はここで小休止。我々もお腹ぺこぺこだったので何度世話になったかわからない遠軽のセイコーマートで昼食をとり、瀬戸瀬駅へ。
この駅もいつ無くなるかわからないので、いい記録にはなった。
天気は相変わらず晴れたり曇ったりで微妙。
このあとは適当に縦で三発。まあ2度と撮らんやろしええんちゃう。
上川駅では横断幕の掲出があった。横断幕は駅手作りなんだそうで愛を感じた。まあ見送られてるのは石北とは何の関係もない苫小牧車なんだけどね。ギャハハ。
上川駅には横断幕の噂を聞きつけたDENSYA博士が押し寄せ、オフ会状態。
ここで私は家畜とはお別れし、九州鉄Mさんの車へ。家畜は旭川へ。私は翌日の予定に備え、Mさんの車で一足先に網走に向かった。
ありがとう家畜、お前のことは忘れない。
車を乗り換えた私は、7時間ぶりくらいに北見に戻ってきた。はっきり言って意味不明だ。
また画質の問題で編集前データで失礼します。
なんか黄色いのがきた。私が運用を見間違えたのだ。申し訳ない・・・
そのあとは愛し野駅へ。撮りたかったカットを抑えることができた。
実はこのショバ、前回家畜たちと来たのだが、来た列車がキハ150だった。なので今回再履修となったわけだ。
その後も色々撮って、この日は北見のホテルに宿泊。結局この日はオホーツクと上川を1.5往復した。
特急車両の運用かよ。
翌日も色々あったが、それはまた別のお話、、、。























