神田・お茶の水界隈を歩く その3 | 街道歩き

街道歩き

2022年東海道五十三次完歩後、いろんな街道歩きをしています。

2024年6月20日くもり

 

靖国通りの小川町走る人

 

中外徽章(ちゅがいきしょう)

記章類全般製造販売(バッジ・メダル・カップ・トロフィー)

 

昭和7年、満州建国の年に創業。

勲章など軍関係の製作~進駐軍の軍人の銀指輪~東京オリンピックの参加証製作。

 

「徽章」の読み方をHさんに教えてもらって、バッジの並ぶウインドーを眺めました。

 

1960年代~父親の世代は記念バッジをもらうことが多く、

家の中には桐の箱に入ったバッジが一杯ありました。

でも今となっては、バッジにはだれも関心を払わなくなりました知らんぷり

バッジも昭和時代を象徴するものなのかなキラキラ

 

スポーツ店街

神田は昔から道具屋・古物屋が多かった場所。

 

明治時代の大学野球野球登山、スケートなどブームで

道具屋への持ち込みが増えて、スポーツ用品店へと転換する土台となったそうです。

 

また、靴屋や学生服を扱う洋品店もスポーツ用品を受け入れていきました。

 

楽器店も道具屋からの転進なので、

楽器店ギターとスポーツ店野球と古書店本は三兄弟お父さん赤ちゃんお父さん

神田は再生の街なんですね。

 

神田青果市場発祥の地碑

淡路町交差点を過ぎて、多町大通りに入ったところにあります。

 

このあたり一帯に江戸・明治・大正時代を通して巨大な青果市場がありました。

駒込, 千住と並び 江戸三大市場の随一だったといわれています。

神田川に水運を利用した青物市場でした。

 

神田須田町一丁目、戦災を逃れたところへ。

 

神田まつや

明治17年(1884)創業の老舗蕎麦屋。

現在の店舗は大正14年(1925)建築の木造2階建て、都指定の歴史的建造物。

池波正太郎がよく通ったお蕎麦屋さん。

 

山本歯科医院

昭和3年(1928)建築。国の登録有形文化財。

医院の雰囲気がある看板建築、まだ診療をしているというのも驚きでした!!

 

鳥すきやき ぼたん

明治30年頃より営業している、鳥すき焼きの店。

「備長炭」と「鉄鍋」で昔ながらの味。

ここで鳥すき焼を食べたHさん「やっぱりすき焼きは牛肉がいいな」と。

 

いせ源

江戸時代から続く老舗のあんこう専門店。

現在の建物は昭和5年(1930)建築で、都選定歴史的建造物。

店先のウインドーに、息も絶え絶えの大きなあんこうが置かれていましたあせる

 

竹むら

昭和5年(1930)創業の甘味処。都選定歴史的建造物。

朝ドラで使われているので、行列待ちのお客さんが並んでいました。

 

実際に三淵さんもここで食べたんでしょうねお茶

 

神田やぶそば

明治13年(1880)創業。藪そばの総本家、100年変わらぬ味と技びっくりマーク

 

筋違門跡

将軍が上野寛永寺に参詣する際の御成門で、中山道と斜めに交差する要所でした。

 

 

昌平橋から見た神田川沿いのテラスに目が釘付け目

こんなところで、ワインを飲みながら楽しいお喋りしたいなぁ赤ワイン

 

聖橋

ニコライ堂と湯島聖堂のふたつの聖堂を結ぶ橋です。

昭和2年(1927)関東大震災の復興橋の一つとして架けられました。

 

ちょうど丸の内線の赤い電車が聖橋下を通ったので、

スマホのカメラが反応して(笑)キラキラ光りましたスター

 

湯島聖堂

「儒教の創始者」として知られる「孔子」を祀る霊廟です。

江戸期の昌平坂学問所。「日本の学校教育発祥の地碑」があります。

日本最大の大きさの孔子像。

孔子の墓所に植えられていた「楷樹(カイノキ)」

枝や葉の整然とした様子が「楷書」の語源で、 

「学問の木」と呼ばれています。

 

大きな枝ぶりにYさんと一緒に驚いてしまいましたびっくり

「大成殿」への階段を上っていきます。

「大成殿」土日のみ公開です。

 

Yさんが、「屋根の上にいる動物は何?」とはてなマーク

後日、Yさんが大成殿見学をしてその疑問を解決してくれました。

建物は伊藤忠太の設計で、その動物は鬼龍子、忠太の創作したシャチだそうです。

忠太は、なんとも不思議なひとですはてなマーク

 

聖橋の上から昌平橋方面を見る。

 

ニコライ堂へ。

坂を登ったり、下ったりして歩きます走る人

ニコライ堂の後ろに、「中央大・明治大・日大」がそびえ立っています。

 

ニコライ堂

初めて来た!見た!ニコライ堂です。

 

帽子は取り、荷物は全部手に持って、300円の拝観料。撮影禁止。

中はステンドグラスや祭壇や大きなシャンデリアなど、

厳粛な雰囲気が満ちていました。

 

「ロシア正教会」がウクライナ戦争に加担していることに違和感があり、

ここの教会はどんな立場をとっているのかが気になりました。

 

疑問を残しながら、今日はここで解散。

 

ここまでの文章は、ネットでの解説や、

『地図物語 あの日の神田・神保町』を参考にしながら書きました。

 

その1からその3まで、長くなりました。

いつも読んでくださってありがとうございます乙女のトキメキ