やっぱりこれ書かないと気が済まないですわ。
昨日の国会での菅総理の発言。
「定額給付金の予定はない。最終的には生活保護がある」
定額給付金のところは取り敢えず置いといて。
最も気になるのは、「最終的には生活保護がある」という件。
コロナ禍の国民経済対策とは、生活保護を受けるような生活困窮を回避するためのものである。それを、生活保護があるから大丈夫だと。これをコロナ禍における国の対応だと言いきるのであろうか。
生活保護を受給するためには、個人の不動産や自動車といった資産を処分しなければならない。まあ、特例はあるのだが、申請が多ければ締め付けが厳しくなるのは目に見えている。平常時でも生活保護の要件を厳しくし、支給件数を減らそうと画策したくらいである。
また、保護費は住宅ローンに充てることができない定めになっている。さらには、親族に生活費の援助を(頑張って)してくれる人がいれば受給はされない。生活保護とはそういうものである。生活保護の相談をすれば、そういうことを厳密に調査されることになっている。これ、先ずはお金を借りてください、物を処分してください、自己破産してくださいと言っているのと同じことである。
コロナ対策としての国民経済対策と、福祉政策としての生活保護事業、これらは全く別物なのである。
「最終的には生活保護がある」
コロナ禍において、総理が国民に向かって、当たり前のように放つ言葉か。情けない。