まず最初にお断りを。
これからアニーの記録が増えると思う。
今回、アニーがこのような状況になり、ケリーの当時の状況を詳しく思い出そうとした。
しかし、どうにも細かい所の記憶が曖昧であった。その時、ブログのケリーの過去記事がとても役に立った。
人の記憶というのは曖昧で、記録があることで鮮明に思い起こすことができる。そのため、これからはアニーの闘病日記的なことも記事にする予定である。
読者のみなさんが好む記事ではないかも知れませんが、宜し億お願いします。
※過去記事画像(セルボールを噛んで離さないアニー)
昨日、動物病院の先生と相談した結果、アニーは自宅で看取ることにした。
入院して4日経っても検査値が下がらないので、これからの好転は見込めないということであった。
なので、根本的治療(手術)に耐えられる体力回復まで持っていけないと。
このまま入院していても、病状が悪化していくのは避けられない。
となると、今の治療を続けることの意味は薄い。
であれば、家に居させたい。これからずっと一緒にいてあげたい。
痛がったり、苦しがったりすることもあるだろうけど、その時間も含めて共有してあげたい。
痛がるときは病院に行って痛み止めを打ってもらうしかない。
そういう対症療法で凌ぐしかないけど、それは家でも病院でも同じことである。
ということで、昨日の夜からアニーは家で過ごすことになった。
痛みがない時はこうやって休んでいれるが、痛み止めが切れたころは落ち着かなくなる。
ただ、痛がるとかそういう素振りではなく、ふらつきながら歩き回る。じっとしていられないようである。
そういう時は抱いてあげたり、撫でてあげたりする。
水に溶かした痛み止めの持続時間は極めて短い。
家で看るというのは、自分たちの手をかける時間が増えるということである。しかし、ここれも飼った人間が負う責任と思う。責任というか、be動詞的な愛なのだと思う。
すりおろしリンゴを食べさせてみた。
※「うん、これは旨い!」と思いながら食べるアニー
痛み止めを打っていないと、意識も少しははっきりするので食欲が出る。
口から食べ物を摂り入れたのは何日ぶりであろう。
こういうふうに、自分で何かをできるアニーを見るのは嬉しい。
※早くよこせー!とねだるアニー(笑)
グッタリしてしまうが、注射で痛みを止めた方がいいのか。
痛みを感じても、意識が保たれ、自分で何かをやれた方がいいのか。
…、家族としては悩みどころだね(汗)