我が師の恩 | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

私の故郷は小豆島です。

中学の頃、高松から赴任してきた お兄さんのような先生。

「二十四の瞳」の大石先生の男性バージョンのような、

思いやりのある優しい先生でした。

 

10年ほど前から若年性アルツハイマー病にかかられた上に
膵臓癌も見つかり、余命幾ばくも無いことが、奥様から
連絡が入りました。

先日、集まれる人が集まり、寄せ書きをし、
その寄せ書きを持って、代表5人でお見舞いに行ってきました。

 

皆、いい歳になってはいますが、

同級生達は今も仲良しで、50年近く前の頃にすぐに戻れます。

 

残念ながら、先生は、みんなの名前と顔を、頭の中の消しゴムで、

消してしまわれている感じでしたが、

お互いの、教師と生徒の絆の力とでもいうのでしょうか、

不思議な力がお互いの心に、あの時を思い懐かしむ気持ちを、

蘇らせてくれていたような気がしていました。

「通じ合ってる」

そのような感じがしました。

女子中学生に戻った私は、心の中で、

頼れる先生に甘えていました。

 

田舎の大きな平屋の邸宅で、

同じ敷地内に息子さん家族、お孫さんも三人、

奥様は、先生に献身的につくされているご様子。

 

病気にはなられていますが、

先生は、幸せな人生を送ってこられたのだろうなと感じられました。

 

本田宗一郎さんが、井深大さんに送られた晩年のお手紙に、

俺たちは飛行機乗りで、

離陸するのは容易くて、離陸した後は大空を自由に飛び回り、

見たい景色を見、行きたいところに行けたけれど、

着陸は難しい。

うまく着陸することが、人生でも大切なことなのだ、と。

 

先生をお見舞いして、

本田宗一郎さんの人生の着陸のお話しのお手紙を思い出しました。

 

私も、たくさんの冒険や、充実した飛行を経験してきましたし、

まだしばらくは、飛行を続けますが、

安全な満足できるような着陸が出来るように、

しっかりと、落ち着いて考えないとと思います。