前の記事で、マザーテレサについて書きましたが、
尊敬している女性に変わりはないのですが、
一つだけ、ずっと解決できない疑問があるのです。
「清貧」という言葉があります。
辞書には、
「富を求めず,正しい行いをしていて貧しいこと」とあります。
キリスト教の、ある意味での真髄というものかもしれませんが、
貧しいことと、正しい行いの対比がピンとこないというか、、、
「私欲」と「正しい行い」の対比なら、まだ解りやすいのですが、、、
もう二十年も前に何かで読んだことがあることについての疑問。
インドの富豪から、マザーに、
「あなたの教会で使って下さい」と、建物を寄付されます。
修道女達とマザーが、
その建物を、「死に行く人々の家」の使用するべく、
掃除をしていた時に、敷かれてあったカーペットを、
「贅沢だから、剥がして捨てなさい」と、マザーから指示があります。
これは、単純に「清貧」の美しさを示すため
ほんの1行か2行の、解説も無い文章だったのですが、
それ以降、私の中では、ずっとひっかかっているのです。
最初から修道院として作るのなら、カーペットは敷かないだろうから、
贅沢といえば、そうなのだろうけれど、、、
カーペットを買い使う人は富豪であっても、
カーペットを作る人、売る人は、生活のためだろうし、
もっと辿れば、カーペットの原料の羊毛は、
羊飼い達の糧になり、その家族を支えるもののハズ。
「捨てなさい」には、ちょっと賛同できません。
この引っかかりが、二十年ほど(笑)
まあ、単純に、マザーの指示を「清貧」の例え話と素直に受取れば、
簡単な話なのですが。
別に、いつもいつも疑問に思ってる訳ではないのですが、
マザーテレサの素晴らしさを聞いたり、読んだりすると、
ついでに思い出す引っかかりです。
この話も、マザーテレサのことを書いたので、ついでに思い出したので、書いてみました。
自分の中で疑問に思い、ああでもないこうでもないと考えてきた話。
なので、誰にも話したことの無い話です。
話すことでもない、どうでもいい疑問かな(笑)