井深大さん | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

大と書いてマサルと読む。

有名なソニーの創業者です。

 

私はソニーの創業者としてより、

知的障害を持った娘さんの父親としての井深さんに対しての方が、

何と言うか親しみがあります。

親しみがあるなんて偉そうに言っても、

知り合いでもなんでもありませんが。

 

ファンとでも言うような、そんな、どこか憧れの人物。

神戸高校の出身でもあるのが、より親しみを感じられるところかなと。

ご出身は神戸では無いそうですが、お母様の再婚で神戸市に住まれていたことがおありになるそうです。

 

知り合いにソニーに勤めていた方がいらっしゃって、

井深さんの話をきかせていただく機会があって、

ファンになったというところもあります。

 

あまりメジャーなものでは無いですが、

ソニーの製品で”トーキングカード”というものがありました。

英語教育の教材のようなものなのですが、

カードに磁気テープが貼付けてあって、

機械に磁気テープを読み取らせて発音の練習をする、そんな製品です。

トリニトロンカラーテレビやベータマックスビデオなどと違い、

ソニーとしての先端技術が入ったものではありません。

 

あまり知られてないところでは、補聴器もあります。

 

トーキングカードや補聴器の制作は、

井深さんのご長女さんの知的障害が少なからず関係しているというか、井深さんが、障害者支援に多大な関心をお持ちだったところに、

きっかけを持っているものだと考えられるそうです。

 

ソニーの社員全員に対し、子息が小学校に入学される時には、

会社からランドセルが支給されたそうですが、

それも、どこか、井深さんのお人柄を象徴した社風のようなものが感じられるとのことだそうです。

 

そんな井深さんの逸話をお聞かせいただいたことがあって、

それも、ファンになるきっかけでした。

 

そのお話は、

井深さんの別荘のある軽井沢でのお話しです。

別荘で使っていた冷蔵庫が壊れて修理を依頼し、

日立の修理マンが来られ、点検されてのアドバイス、

「もうお使いになられてかなり旧いですので、買い換えを勧めます。」

そのアドバイスを聞かれて、井深さんはお怒りになり、

「他社の社員でもあるサービスマンに、

 君は、技術者でありながら、製品の設計者の愛情が解っていない

 と、直せば使えるものを、簡単に買い換えろとは、何事だ、と」

お説教は、半時間に渡ったそうです。

 

それから、日立のサービスには、常に井深家の冷蔵庫の修理部品は切らさなかったそうです。

 

今の時代とは違い、昭和の頑固親父の郷愁のような香りが感じられる、温かみに溢れた逸話だと思います。

 

世界的にも有名な井深大と本田宗一郎が親友付き合いをされていたのも、この逸話を聞かせていただいたところから、なるほどと、

想像ができるところです。

 

今、アナログからデジタルへの変遷から、

人の心までもがデジタル化になってきていると憂いているのは私だけでは無いでしょう。

 

冷蔵庫よりも大きな、お住まいや商店をご紹介させていただくお仕事をさせていただきながら、

井深さんのような偉人には遠く及びませんが、

ものを大切にする心を忘れずに持ちながら、

真心のあるお仕事をさせていただきたいなと、

井深さんのお話をさせていただきながら、

 

あらためて、決意させていただいています。