3月末で退職した私は、ひとまず仕事の重圧からは解放されました。それまでは休みの日であっても何か常に心のどこかで仕事のことが気になり、あの件はどうなっているのか?何かトラブルが起きていないか?などと心が重く感じていましたが、そういった感覚から解放されました。

 

これからしばらくは体調回復を優先する生活をしようと決め、食事、運動、睡眠をできるだけ大切にすることを心がけ、再就職については数か月後を目処に考えていました。

 

その後、比較的健康と思われる生活を続けるよう心掛けていましたが、なぜか疲労回復についてはなかなか改善されませんでした。仕事を辞めれば疲労感についても改善されていくだろうと思っていただけに、ちょっと残念に感じました。

 

更に、立ち上がった時に立ちくらみがするようになりました。もちろん、立ちくらみなど、過去にも経験がありますが、せいぜい年に数回くらいでした。でも今は立ち上がる度に半分くらいは軽い立ちくらみが起こります。そこで「これも老化のひとつなのか?」と思っていました。

 

そして3月から出ていたのどの痛みは5月になっても相変わらず続いており、さすがにおかしいなと感じてきていました。感じてはいたのですが、痛みは軽く、1日の大半はそれに気にせず過ごせていたくらいなので、あえて気にしないようにしていました。


いや、正確に言えば、症状を認めたく無かったのです。最悪の想像をすれば、「ひょっとしてこれはガンに関係する症状なのかも?」との考えがちらつきましたが、「そんなに恐ろしいことは認めたくない、あと何日かすれば回復して、何も無かったことになるかも、いや、なるはずだ!」と、この頃には強引に自分に言い聞かせてました。

 

ところが、6月になっても一向に改善しません。さすがの私もこれは放っておけないといよいよ覚悟し、6月12日に近所の耳鼻科で受診しました。まあ、何らかの感染症かな、数日の通院で治ればいいな、という淡い希望を持ち診察に臨みました。

 

耳鼻科の先生は優しそうな方で、物腰柔らかく診察してくれました。症状を伝えると、小型の内視鏡でのどを検査しました。

 

すると、検査をしている先生が、みるみる深刻な表情に変わり、「これはうちでは対応できません」と言い、撮影した画像を私に見せてくれました。


機器の性能のせいか、画像の解像度が低くなっており、それでものど(いわゆる咽頭部、舌の付け根のやや奥辺り)に明らかに腫瘍のようなものが見えます。先生はこれが何であるのか明言しませんでしたが、そのこわばった表情が全てを物語っていました。

 

私はこの瞬間、初めて言いようのない恐怖に襲われました。あの程度の痛みで、のどにあれほどの腫瘍ができていたとは想像もしていませんでした。「晴天の霹靂」という言葉は、まさにこのときのためにあるのだな、と実感した瞬間でした。

 

そしてこの恐怖の内容は、この症状がガンかも知れないということ、ガンであるなら、進行具合はどれくらいなのかということ、治療できる可能性は?治療は苦しいのか?余命は?今年、いや、あと何か月生きられるのか?残された家族の生活や、高齢で一人暮らしの母親はどうすれば…

 

など、次から次に連想ゲームのように恐怖と不安が溢れ出てきます。頭の中がショートした感じと言いましょうか。また、恐怖と不安の他に、悲しみ、怒り、悔しさ、情けなさ、申し訳無さ、孤独感、焦燥感、と、これでもかというくらい一気にマイナスの感情が押し寄せました。人間ってこんなにもマイナス感情の種類があったんだと改めて実感した次第です。

 

診療所で総合病院への紹介状を書いてもらい、帰路で、さっそく総合病院の診察予約を取りました。その病院は基本的にオンラインで予約を受け付けており、結果的に最短で1週間後の予約になってしまいました。

 

帰宅後妻に結果を知らせると、貧血を起こし、倒れそうになりました。ここで、「ああ、この病気は到底自分だけの問題ではないんだな」と思い知らされました。それはそうでしょう。つい昨日までは、これから老後に向けて健康で楽しく穏やかに過ごすことを2人の目標にしていたのですから…

 

その日は金曜日で、もう夕方でした。それ以降、気持ちが地につかない時間を過ごすことになり、1日、いや、1時間でさえ我慢できないくらいの不安定な気持ちが続きました。

 

そんな土曜日、日曜日を過ごし、これ以上耐えられないと思い、月曜の朝一番に、オンライン予約した総合病院に電話しました。今週金曜日に予約をしているが、もう少し早くできないか尋ねたところ、翌日の火曜日に空きがあるとのことで変更してもらいました。自分の命がいつまで保つのかすら不明な状況のままで、あと数日も待てないような精神状態だったので、ひとまず救われた気がしました。

 

翌日の6月16日、今後治療を受けることになる総合病院にて初受診しました。問診を受け、ここでも小型の内視鏡でのど部分の検査を受けました。ここの内視鏡はおそらく性能が良く、前の診療所の内視鏡よりもはっきりとした画像を見ることができました。


正直見たくは無かったですが、現実から目を逸らす訳にはいきません。実際に腫瘍を見ると、まさにこれが「ガンです!」と言わんばかりのものでした。よくテレビや動画で出てくる、あの普通の腫瘍とは一線を画した恐い姿の「ガン」そのものでした。


その後少し時間を空けて、もう一度内視鏡を入れて、そこで細胞診・病理検査のために、器具で細胞を採取してもらいました。事前に液体の麻酔を口に含んで準備をしていたので、特に痛みは感じません。

 

細胞を採取した後、もうこれは本当に覚悟が必要だと思い、担当医に対して、単刀直入に聞きました。

「これはガンですか?」

担当医の答えは、

「そうですね、おそらくガンでしょう」

私、「えっ?」と思いました。

なぜなら、非常に軽い口調だったからです。なんなら、「今日の昼ごはんは何でしたか?」という質問に対し、「かつ丼でした!」と答えるような雰囲気でした。あまりにあっさりと言われたので、拍子抜けというか、どのようにリアクションしていいのか分からないくらいでした。

 

しかし、よくよく考えると、患者にガンであると伝える担当医の表情が重々しかったり、思いつめたような口調であると、同じガン宣告の言葉を受けても患者は非常に恐怖を感じるのではないでしょうか。


しかも、患者にとっては一生に一度くらいの重大な宣告ですが、担当医にすれば日常茶飯事の業務の一環なのです。これについては、人によって受け止め方は様々でしょうが、私にとってこのような軽い伝え方は、ある意味救われた感じがしました。何かそんなに深刻になる必要が無いかもと捉えることもでき、ガン宣告ではありますが、精神的なダメージは最小限に抑えられたかと思います。

 

すぐさま続いて、

「このタイプのガンは○○が原因のことが多く、□□の抗がん剤を使って治療をすることになります。発症部位的に手術が不可能な場所なので放射線治療を併用することになるでしょう。云々云々…」と専門家らしく矢継ぎ早にやや詳しい説明をしてくれました。しかし、ちょっとした私の疑問や質問にも真摯に答えてくれ、きちんと治療してくれるんだなという思いが私に伝わってきたので、今後この病院で、この主治医のもとでガン治療をすることに決心できました。

 

ちなみに、厳密にはガン100%確定には更に詳しい検査をすることになりますが、私の中ではこの日をガン宣告を受けた日とし、色々と準備をしていくことになります。詳しい検査をするまでは、ガンの進行具合や転移などは未だ不明のままです。

 

以上が、ガン宣告までの経緯です。正直まだまだ不安や恐怖を持っていることには変わりありません。でも現実からは逃げられないので、ひとつひとつ進んで行くしか無いと覚悟はしました。これから体調や精神状態をどのように保っていくのか、それがその時の私の最大の課題でした。