妻の死 | 寺澤芳男のブログ

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寺澤芳男がオーストラリアのパースから、様々なメッセージを発信します。

 2009年 7月2日、妻が死んだ。膵臓がんで五十一歳だった。

 死ぬほど退屈な毎日を送っている、同年輩の友達にとってこれほど飛びつきたくなるような話題はめったにない。年齢差が二十七歳で、つい二年前に前妻との六年ごしの離婚の裁判が決着、再婚し、オーストラリアに移住した。

 その妻の死は格好な話題となり、ひそひそ声でひとり、ふたりと、噂が飛び交って、盛り上がったに違いない。

 いろいろな人から、お悔やみの手紙や電話があった。「あなたが先に往くと思ったのに」と、当然そのとおりなのだが、七十八歳のわたくしに、かなり率直に書いてくれた若い友もいた。

 お悔やみとか、死を悼む言葉のいかに難しいかをひしひしと感じた。電話でひっきりなしに喋りっぱなしの女性の友人もいた。

 病気の発端から死に至る経過を、何度も喋らされたせいで、整然と立て板に水のようにすらすらと説明している自分が嫌になった。

 葬式は大きな墓地の中にあるホールで、無宗教で行われた。柩が少しずつ舞台から地下に降りて、見えなくなる。妻の遺志で、ジョン・ニュートン作のアメージング・グレイスを参加者、六十人が合唱している間に消えていった。

 ここでは、特別に依頼しないと「骨」ではなく「灰」になる。さらさらとした海岸の砂のような。仏式ではないから「骨を拾う」というようなことはしない。

 「灰」はパース市郊外のインド洋に面したコテスロービーチに埋めた。墓は必要ないから、そこにしてほしいという本人の希望だったし、わたくしも自分のときにはそうしたいと思っていたからそのとおりにした。

 「人の生涯は長さではなく、中味だわよね」と言い、「でも、あなたを看とれなくてごめんなさい」と言った。そのことは、とても無念だったのだろう。

 その日は風が冷たく、インド洋も荒れて、いつも日没の夕日が赤く燃えるのに、すべてが灰色っぽかった。砂に灰を埋めた。小さな野に咲く、名も知らない花も。いずれ打ち寄せる波が洗い流していく。

 「自然に還るってこういうことなのね」。いっしょにいた同年輩の女性が言った。

 波が荒すぎるのか、いつも必ず見え隠れするサーファーも、海に浮いていない。