偏見 | 寺澤芳男のブログ

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寺澤芳男がオーストラリアのパースから、様々なメッセージを発信します。

 偏見というのか好みというのか、どうしても好きになれないタイプがある。

 いいところの生まれで、東京人で、青山に先祖代々の墓地があって、慶応か東大卒で、アメリカよりも英国が好きで、オペラやコンサートに行き、クルマの趣味があって、ワインにうるさい・・・。林望さんなどは典型的な教養人で、もちろんお会いしたことはないが、あまりにも出自、学校、生活環境が違いすぎてうまく話が合わないだろう。

 藤原正彦さんも苦手なタイプだ。「若き数学者のアメリカ」でアメリカを舞台に生活していたが、いつの間にか英国好きになった。「国家の品格」などのベストセラーを何冊も出版し一躍有名になった。「けじめ」「品格」「祖国」「武士道」が大好きで、そういうことの嫌いなわたくしと正反対なところが面白い。東大出の数学者で両親とも作家で、東京生まれで東京育ちだから早口の東京弁でまくしたてそうな感じだ。どうしてこういう偏見を持つようになったのか、よくよく考えるとこうなる。

 まず、早稲田を大学として選んだこと。いま早大卒もサマ変わりし、キャリア官僚もいれば司法試験の合格者も多い。ただ東大出と違うのは、何故かいつも弱いものの味方になろうという血がたぎっているということだ。東大出のように武士らしくふんぞり返って人の上に立つということがなかなかできない。次に、出自がふつうであって特記すべきことは何もないから、何々家の生まれという自意識がまったくない。他人がいつも自分より偉く見える。屈折しているといってもよい。

 野村証券で営業をたたきこまれたから、外交セールスのきびしさ、みじめさ、つらさ、悲しさを骨の髄まで味わった。大学を卒業して研究室に入って、「先生、センセイ」とよばれて今に至った林さんや藤原さんとはここがまるっきり違う。

 英語もウォール・ストリートで切るか張るかの刃の中で習得しようとした。しかしとうとうできなかった。そのあとワシントンの国際機関で各国の俊英たちとわたり合った。考古図書学や、数学を図書館や研究室でゆっくり頭をひねって考えながら修得した英語ではない。

 恥をかいて、お金を失って、仲間はずれにされて、そういう代償を払って一生懸命勉強した。研究室で習得した青白いインテリの英語ではないという自負がある。

 藤原さんに「反対!」といって議論をふっかけようかとも思った。本当に武士道とか品格よりも他の国から孤立しないようにきちんと世界語の英語を勉強すべきだと信じているからだ。そしてそのおかげで日本語が少し変になっても一向構わないと思っているからだ。日本語はあと五十年もたてば今のトルコ語のように少数の人しか使わない言葉になってしまうと悲観しているからだ。

 わたくしは恥ずかしいけれど、クラシックやオペラが分からない。がまんしてじっと聞くが一時間が精一杯であとは退屈する。来週、His Majesty’s Theatre で Girl of the Golden West という Puccini のオペラを見に行く。一幕が終わったら帰ろうと思う。三時間もじっと見ている根気がない。疲れてしまう。小さいとき、部屋の中に父親の本がたくさん並んでいて、母親がクラシックファンでいつもどこかで音楽が聞こえて来たという家庭で育っていない。

 墓地も栃木県佐野市にあったが、わたくしが死んだあと誰もお参りにこないし、このあいだ亡くなった妻がそうであったように、散骨をしてもらうつもりだから、必要もなく先祖の骨は共同墓地に、そして永代供養の手続きをとった。青山や、麻布に墓があって盆や彼岸に必ずお参りをするという家柄ではない。

 わたくしも英国は好きだ。でもどうも英国人は分からない。金なんかとふんと笑って、反っくり返っているくせに、本当は金に弱い。その点アメリカ人は分かり易い。金が欲しいと最初から顔に書いてある。ニューヨークは住み易い。金さえあればオーケーだ。黒人でもアジア人でも英語がうまく喋れなくても、チップをはずめば何でもできる。

 日本ではロンドンの生活を懐かしむひとが多い。何となくニューヨークを一段下に見ているふしがある。日本人の中にあるこのロンドン、テムス川への憧れはどこから来ているのだろう。英連邦のオーストラリアで住んで五年目、やっと少しずつ分かって来た。このシャイで静かで愛想の悪いオージー(Aussie)たちは、大いに英国的なのだ。こういう雰囲気に日本人は弱い。英語の先生ポールはいう。

 「日本に行って驚いた。こんなあまりにも英国的なくにがあるのか」。日本と英国は似ているのだろうか。