アメリカ大陸はかつて、西洋人によって次々と武力で植民地とされていきました。アメリカで犠牲になったのは、先住民インディアン。インド人でもないのに、西洋人の勘違いによって「インディアン」と呼ばれたことすら、現在に生きる日本人からしたらかわいそうに感じます。

 

さて、そんなインディアンですが、西洋人がアメリカの東海岸から西海岸へ、インディアンを徐々に追いやっていきます。西洋人とインディアンの住んでいる境目をフロンティアと言い、フロンティアは西洋人の征服により徐々に西へ西へと移動していきます。

 

そんな中・・・

 

「アイデアの模倣」によって考案された文字の典型的な例が、1820年頃に、アーカンソー州で、セコイヤという名前のチェロキー・インディアンが作った音節文字である。セコイヤは、白人が紙に記号を書いて記録をとっているのを目にした。この記号の記録は、白人が長い話を覚えたり、繰り返しいったりするのに役立っていた。しかしセコイヤは、1820年以前のチェロキー・インディアンの多くがそうであったように読み書きができず、英語をまったく知らなかった。だから彼にとって、白人たちが記号で何をしているかはずっと謎のままだった。それでも、鍛冶屋のセコイヤは、ちょっとした絵や図柄を使って、自分の客の付けを書いておく方法を考えだした。やがて絵や図柄を大きさのちがう丸や線に発展させて。帳簿をつけるまでになった。

セコイヤさんすごくない!白人に追いやられる中、白人の会話や記録を基にして、文字を作ったんですって。

 

 

その記録がこの写真。

 

私が、例えば未開の地へ行って、彼らのおしゃべりから文字を作って中身を理解する。なんてことができるかといったら、できるわけありません。

 

先住民だから、黒人だから、とバカにするのではなく、世の中の差別や偏見がなくなればいいと思います。

 

とにかく、このセコイヤさんすごいな、と本を読んでいて思いました。

 

文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)/草思社

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ステーキや、豚しゃぶやから揚げ。

私たちは主に、豚・牛・鶏の肉を食べています。あとは、羊や馬など・・・

 

ある時こう思いました。他の動物も食べられるんじゃない?

 

まぁライオンやチーター、熊などは、人間が襲われちゃったら元も子もないので、今私たちは食べていないのでしょう。

 

さて、この本はどうして今日の世界が、欧米中心の社会になったのかを、歴史を基に語っているのですが、その中で、家畜のことについても書いてありました。

 

 

牛も馬も食べているんだから、こいつも食べられそうだと思いませんか?

 

しかし、こいつには家畜として致命的な欠点があるそうなのです。

 

シマウマは歳をとるにつれ、どうしようもなく気性が荒くなり危険になる。シマウマはいったん人に噛みついたら絶対に離さないという不快な習性があり、毎年シマウマに噛みつかれて怪我をする動物監視員は、トラに噛みつかれる者よりもずっと多い。また、シマウマを投げ縄で捕まえることはほとんど不可能に近い。投げ縄が飛んでくると、ひょいと頭を下げてよけてしまうのだ。ロデオ大会の投げ縄部門で優勝したカウボーイでさえ、投げ縄でシマウマを捕まえることはほとんどできないという。つまり、シマウマに鞍をつけることはほとんど無理なのである。

 

シマウマが生息していたとしても、シマウマは家畜にできないわけです。

 

この本では、家畜にできる動物が生息していた地域、そして、米や麦などが存在し生育していた地域が先に発展し、そうではない地域は後進国となっていくというストーリーが書いてあります。

 

シマウマ、どんな味がするか、食べてみたくありませんか?


文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)/草思社

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さて、私は仕事の際には、ほぼ日手帳にチェックリストを書いて、それに基づいてその日のやること、順番を(気まぐれに)決めています。

 

この本は、チェックリストを用いて、状況が改善した様々な職業の例を挙げながら、チェックリストの有用さについて書かれています。

 

 

単純に読み物としても面白い本でしたが、いくつか「お!」と思った文章をピックアップしていきます。

 

・チェックリストは、記憶の喚起を助け、最低限の手順を示すだけでなく、医療のレベルの底上げにも有効なことがわかったのだ。これはプロノボスト医師にとっても大きな収穫だった。

 

 

まず、チェックリストは私のようなへたれ教師だけでなく、医療業界でも効果を発揮するというのです。そして様々な例が挙げられていました。

 

では、どんなチェックリストが良いのかというとこのように書いています・・・

 

・ブアマン氏はいろいろ教えてくれた。良いチェックリストもあれば悪いものもある。悪いチェックリストというのは曖昧でわかりにくい。長すぎても使いにくく、実用に適さない。現場を知らないデスクワーカーによって作られる。彼らはチェックリストを使う人たちは馬鹿だと思い込んでいるから、全ての手順を細かく書き出そうとする。脳を活性化させるのではなく、眠らせてしまうようなチェックリストを作ってしまう。一方、良いチェックリストは明確だ。効率的で、的確で、どんなに厳しい状況でも簡単に使える。全てを説明しようとはせず、重要な手順だけを忘れないようにさせる。なにより実用的であることは良いチェックリストの条件だ。

・チェックリストは長すぎてはいけない。原則として項目の数は5個から9個にしておくと良い。人間の脳が一度に保持できるのもそれくらいだと言われている。

 

・誤解されがちだが、チェックリストはマニュアルではない。高層ビルの建設用であれ、飛行機のトラブル解決用であれ、全ての手順を詳細に説明するものではない。チェックリストは、熟練者を助けるためのシンプルで使いやすい道具なのだ。素早く使えて、実用的で、用途を絞ってあるという特性こそが肝要だ。


重要な部分を、少ない手順でシンプルに作っていくチェックリストが実用的だと述べています。

 


例えば毎週やらなければいけない仕事。学級通信を作る際にも、チェックリストは生かせるような気がします。

いつも私は、上の欄にその週の出来事などを1200字くらい書き、下には次の週の時間割を書いています。すらすらと書ける週もあれば、なかなか進まず悩む週もあり、また、作成する手順もバラバラです。

 

なので、例えば学級通信を作るためのチェックリスト

①時間割を入力する。

②その授業での単元を入力する

③その週にあった出来事を箇条書きする

④出来事の中から膨らませられそうなことを文にする

⑤誤字訂正がないか見直しをする

 

など、これだけ作って手元に置いておくだけで、その週の進み具合のばらつきは減るのではないかと思います。

 

 

編集後記:

忘れっぽいバカな私は、身の回りをチェックリストだらけにしても良いのかもしれません・・・(苦笑)。

夜中のスイーツラララララ

ダイエットはまた明日から

 

西野カナさんのHave a nice dayの歌詞の一節。私の最近の元気ソングです。

 

 

「今日は特別。プリン食べちゃおう!明日からダイエット。」

「今日は特別。明日から禁煙。」

 

などなど、私たちの周りには誘惑がいっぱいで、その誘惑に私はいつも負けてしまいます。

 

そんな私にはこの本の、この文章がグサリ・・・

 

 

・よく、「暇になったら片づけよう」や「時間ができたらやろう」という言葉を聞きます。しかし、その言葉通り達成されたものがどのくらいあるでしょうか。現実を見つめれば、時間がいろいろなものに使われてしまいます。意識的に確保しなければ、「時間ができたら」と考えるような時間はまず生まれてきません。ドラッカーも「時間の使い方は、練習によって改善できる。だが、たえず努力をしないかぎり、仕事に流される」と著書の中で述べ、主体的に時間を使うこと、「タイムマネジメント」の重要性を説いています。
 

「暇になったら」「時間ができたら」「気が向いたら」という、気まぐれな時期設定は、私の場合ほぼ失敗しています。

 

今、私は鬱病を患い、仕事を休職しています。家に一日いる状態で、ともすれば一日中ゲームをしたりダラダラしたりと、怠惰な生活が送り放題の状況です。そこで私は、Remember The Milkというアプリを使って、その日のやることをリストにしました。

 


 

1日に取り組むことをリストにすることにより、その日のうちにやることが明確になり、「気が向いたら」、「暇ができたら」という思いは消えていきました。そして、午前中のうちにリストにあるものをこなそうと、自分の頭の中で時間割を組むようになりました。もちろん、リストにあるものの中で、気が向いた時にやるものもあるものの、それはたいてい早め早めで、今のところ効果的で、ダラダラした生活ではなく、いろいろと自分が取り組むべき課題をこなしている毎日になっています。仕事に復帰しても、このようにRemember The Milkを使いこなして、毎日を有意義に過ごしていけたらと思っています。

 

では、このRemember The Milkを用いて、やることリストをギッチギチに作るのかというと、それはよろしくないようです。


・タイムデザインで計画を具現化する
ポイントとなるのは自分のために使いたい時間も他のアポイントメントと同じように扱うことです。そうして自分自身とアポイントメントを取って計画に入れないかぎり、「忙しさ」が理由となってその予定が消化される可能性は低くなります。(中略)きちきちに詰まった計画は、何か1つの予定がうまくいかなければ、すべての歯車が狂うことになってしまいます。

 

 

例えば、私は今ブログを書いています。1日に書く量は2記事。これを5記事にするとして、3記事目に書けなくなってしまったらどうでしょう。4記事目・5記事目には到底いけません。ゆとりのあるスケジュールを組むことにより、1日の予定を確実にこなせることになるます。そのことを強調する、このような文もありました。

 

・バッファを確保する
1点目は、バッファを確保することです。予定における「バッファ」とは、「予備時間」のことです。これを確保しておけば、予定が多少多少狂っても全体に大きな影響は及びません。1週間で見れば、プロジェクトの作業進行に余裕を見ることになります。1日で見れば、作業を詰め込みすぎないということになるでしょう。

 

 

私は、Remember The Milkを用いて、毎日やることを決めて取り組んでいると、「あれ?余裕じゃない?」と思うことがありました。しかし、体調を崩して昼過ぎまで寝ていた日、今日はやることは達成できないのではないか、と思いましたが、やることリストを増やし過ぎていなかったため、どうにか追いつくことができました。自分の能力を過信しすぎず、ゆとりをもったスケジュールを立てることが、結局は1番の近道なのかもしれません。

 

編集後記:

Remember The Milkが思いのほか役立っているので、いつかRemember The Milkについての記事を書きたいと思います。

私は、ノートや手帳など、文房具が少し好きです。教員採用試験を受けるために、通信制の大学に通って(?)いた際に、文房具屋でアルバイトしていたこともその要因となるのでしょう。

 

本当は、モンブランやラミーなどの高級ボールペンや万年筆で、モレスキンノートにさらさらとアーティスティックなマインドマップなどを書きたいのですが、やっぱり費用対効果を考えると、購入というわけにはいきません。

 

 

そんな僕がこんな本を読みました。

 

 

読んでいて、良いなぁと思った物を紹介します。

 

・自宅でも上手に写真を撮る

お薦めは「ゴリラ・ポッド」というタコのように足がグニャグニャと曲がる三脚です。これであれば、不安定な場所でも自由に変形して設置することができますし、アングルも自由に変えられます。手すりに結び付けることもできるので、三脚自体が長くなくても、何かの出っぱりに巻きつければ、上からの撮影も可能になる優れものです。

 

私には、8カ月になる息子がいます。今はスマホでバシバシとっていますが、例えばセルフタイマーを使って家族みんなで記念写真を撮るなんて時には、このような道具が役に立つような気がします。

 

 

 

ライフログなんかについても、ブログに書いている私ですから、いっぱいいっぱい写真を残して人生を記録しておきたいです。いつでも、思い出が思い出せるように・・・

経済学は、興味はあるのですが、グラフ(数学は大の苦手)がいっぱいあったり、難しい言葉がいっぱいあったりでなかなか理解できません。

 

 

頑張ってシゴタノで薦められていたこの本を読んだのですが、なかなか「おっ!」てくる文章は見つけられませんでした。

 

 

入門編なのに理解できないって、やっぱり私はなかなかのバカ者ですね・・・

 

そんな中でも、日常に生かせるような文章を見つけました。

 

○互酬主義が働いている
実験室のなかだけでなく、協力や好意というものは盛んに観察される。その説明としては、互酬主義が働いているとする考えが主流である。この説明は、アクセルロッドによって明示されている。その理論の土台になっているのは、「人びとは自分にされたように相手にする傾向がある-親切には親切を返し、協力には協力、敵意には敵意、裏切りには裏切りをもって遇する」という考えである。そうであるなら、タダ乗りを決め込むのは成果に乏しい戦略といえるかもしれない。自分がとった協調あるいは裏切りは、将来、相手から同様の反応となってわが身にはね返ってくる。協力的な行為そのもの、あるいは協調的な人物だという評判があれば、相手からも協力をもって遇される可能性が高く、これは協力者の最終的利益となる。

 

人びとは自分にされたように相手にする傾向がある。

 

やっぱり人間は、親切にしてくれた相手には親切にしたくなるし、敵対する人間には敵対される。

 

私は、学級運営をしていくなかで、ある子(Aとしましょう)に敵意を抱かれ、鬱になりました。当然、敵意を抱かれた私も、次第にAに敵意を抱くようになり、今ではAがこの世にいなければ、と感じながら生活しています。

 

当然、教師としてこのような態度は自分でも受け入れがたいのですが、こればっかりは今回は仕方がないと思っています。

 

今後、このようなことが起こらないようにするためには、先に親切に、先に好意を相手に示すことが、何より大事なのでは、と感じています。

 

 

行動経済学でも、人間関係のヒントになるようなことが検証されているのですね。今後知っていきたい分野です。

さて、私は昨年鬱になってから、ブログを書き始めました。

 

何のためにブログを書いているのかというと、仕事を休んでいる罪悪感、成長が止まっているという停滞感をまぎらわせられるのでは、という思いがきっかけでした。

 

仕事を休んでいる間、何をすべきなのか。そう考えた結果、たくさんの本を読むということが、自分が出した答えの一つでした。

 

しかし、最近になり、ブログのストックがなくなってきています。

慌ててストックを増やそうと今日もブログを書いているのですが、以下のような考え方をすると、ブログが書きやすくなるのかも知れません。

 

・役に立つのが、「叡智を引き出す質問」(Wisdom Access Question)と呼ばれる質問法です。この方法の特徴は「WhyではなくWhatを使う」というものです。例えば、「なぜその本を読んでるの?」(Why)ではなく、「その本を読むと何が得られそう?」(What)と質問するのです。「なぜ?」と問われた人は過去にさかのぼって答えを探しますが。「何が得られそう?」と問われた人の思考の矢印は自然と未来に向かいます。

 

なぜブログを書いているのか。ではなく、ブログを書くと何が得られそうか。この質問には簡単に答えられます。ブログを書くことによって、

・読んだ本から得た知識

・仕事を休んでいることを紛らわす達成感

を私は得られている気がします。

 

本を読んでも、読み終わってしばらく経つと、何が書いてあったんだっけ・・・ということになりかねません。私は以前に読んだ本の内容をまったく覚えていない、ということがよくあります。読んでいる時は面白いと思って読んでいたのに・・・。ということで、本を読んでいて、「お、これは!」と思ったところにマークをつけ、後でパソコンにメモをし、ブログにする。ということを継続しています。これで、以前に読んだ本の内容を思い出すきっかけを作ることができます。さらに私は、ブログ製本サービス・MyBooks.jpというサービスを使ってブログを本にしているので、読書感覚で以前のブログを読むことができます。(まぁ全然読んでないけど・・・)

 

また、仕事を読んでいる私はともすれば一日中ゲームをしたり、ぐぅたらしたり、言ってみればやりたい放題怠惰な生活ができる状況です。その中で、有益な本を読み、ブログを書くことによって、仕事を休んでいても、いずれ復帰する仕事に対してつながることをしている、というちょっとした(そりゃ仕事に比べたら達成感は低いです)達成感を得られます。

 

このように、「ブログを書くと何が得られそうか」を考えると、面倒だなと思うこともあるブログも、まだまだ長続きするかもしれません。

 

ということで、最後にブログを続けるために、この文章を引用して自分にエール。


・「なるほど!」と思っても、そのままに過ごしていればやがてその興奮も記憶も無意識の水面下に沈んでしまいます。「教訓」を書いておくことは、この「なるほど!」を後から引き上げられるようにひもを付けているようなものです。

 

今回参考にしたのは以下の本↓↓↓


「手帳ブログ」のススメ/翔泳社

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私は今、鬱で休職しています。

 

自分で感じる鬱の症状として、やりたくないこと・頑張らなければいけないことに対する第一歩を踏み出すのが、とてもとても難しくなったと感じています。「何かしなければ!でもめんどくさい・・・やーめた」みたいな状況にすぐなってしまいます。

 

しかし私は今、休職中なので主に家に引きこもる生活。朝食は食べなくなったものの、活動量は激減し、ともすればぶくぶくと太っていってしまいます。

 

 

そこで、週に1度、スポーツジムに水泳に行くことにしました。

 

 

しかし、水泳は非常に疲れるので、正直あまり行きたくありません。淡々と一人で泳ぐだけなので、楽しいかといえばそうでもなく、辛いなぁと思うのが現状です。

 

でもでもでもでも、水泳を怠ったらぶくぶくと太ってしまいます。休職している私は、「これは仕事代わりだ」と思うようにして、スポーツジムで泳いでいます。

 

さて、自分で感じる鬱の症状として、やりたくないこと・頑張らなければいけないことに対する第一歩を踏み出すのが、とてもとても難しくなったということです。そこで、これを打破しないと何も動けません。

 

私は今年の5・6月に勤務校に行くのがとても辛くなりました。最寄りの駅で、30分間ずっとベンチで行きかう電車をぼーっと見ている、なんていうこともありました。

 

なので、スポーツジムに行くことは、「行きたくない所に行く練習」という意味付けを自分の中でしてみました。

 

行きたくない所に行くために、1番辛いのが最初の1歩を踏み出すこと。そこで、どのようにしたら、上手く一歩が踏み出せるかを模索しています。

 

今のところ、なんとなく上手くいっているかな、と感じるのは、最初の1歩ではなく、本当に小さな小さな0.01歩を踏み出しちゃうということ

 

私の場合、水着を袋に入れるということです。「行きたくないなぁ・・・」とか言いながら、とりあえず、水着を袋に入れる。

 

そうすると、そのまま財布を鞄に入れ、薬ポーチ(肌が弱く目も乾燥する私は、常に肌荒れ薬と目薬を常備しています)を鞄に入れ、歯を磨き、着替え・・・などなど、だんだん腹が決まってきます。

 

いきなり最初の1歩を想像すると、気が滅入ってしまいますが、最初の0.01歩なら、それが0.02→0.1→0.3→・・・と少しずつ、小川の流れのように進んでいきます。

 

流れが止まってしまうこともありますが、準備をしていくうちに少しずつ腹が決まってきますので、ここまでくると嫌々行くしかなくなるのです。

 

と、このように、週に1度、水泳を続けています。

 

次は、どのようにしたら、朝から活動的に動けるかという課題に取り組んでいます。とりあえず、朝起きたら腹筋をしてみています。

 

 

どうなることやら・・・

心配事がある時や鬱の時には、心配事を書き出すといいと、心理ハック的な本に書いてあることをよく目にするので、今回は愚痴を吐き出してみたいと思います。

 

まず、これまでの私の鬱歴

 

 

2015年6月:当時5年生だった一部の女子が、私を避け始める

2015年9月:一部の女子、完全に私をばい菌扱い

2015年9月:私の心崩壊

2015年10月:今の病院に通い始める

2016年3月:仕事復帰

2016年4月:私へのばい菌扱いがエスカレートしていることを実感

2016年6月:2か月耐えてきたがここで2度目の心崩壊

 

先日、校長先生と主治医の先生との三者面談がありました。

 

主に、私が今後どういう風に復帰するのかについて、話し合いが行われました。

 

以前に復帰の案として、

・勤務校で週3ぐらいから少しずつ勤務を増やしていく

・他の機関でのボランティア活動を通じて、勤務に身体を慣らしていく

の2つの案が出されました。

 

しかし、ネックとなるのは、私をばい菌扱いする現6年生が、今も学校に存在するということです。そのため、例えば今から訓練として勤務校に行くとなると、必ずヤツラと遭遇することになるのです。

 

復帰するための訓練なのに、ばい菌扱いされる。ばい菌扱いに慣れる訓練になってしまうので、私は難色を示しました。

 

もう1つのボランティアですが、今から自己開拓でボランティアを受け入れてくれる所を探すというのも、鬱の人間には非常に酷な話です。

 

職場にはまだ、私をばい菌扱いする現6年生が存在します。私の希望(甘ったれた希望ですが)は、ヤツラが卒業した次の日から、職場に復帰するというものです。

 

これが叶うかどうかは、また11月末に三者面談をして、その時に決めるということになりました。

 

私が思うのは、私は加害者なのか!?ということです。

 

私は、指導の仕方がまずかったことは認めますが、私自身がヤツラに悪口を言ったり、粗末に扱ったりしたことはありません。

 

なのに、私がばい菌扱いをされる。

 

そして私が休むことにより、

「~途中で休んだ先生~大丈夫かしらね」

「~また休んだ先生~来年担任になったら不安だわ」

「~すぐ休む先生~責任感ないのね」

と、私が責められることになる。

 

きっと同僚や先輩も

「~あの頼りない先生~のせいで仕事が増えちゃった」

「~鬱になる先生~向いてないんじゃないの」

「~どうせまた休む先生~先生なんかやめちゃえばいいのに」

なんて思っていることでしょう。

 

そりゃ、休んだことは悪いこと。他の先生や、私を良く思ってくれていた子どもたちを裏切ることになります。

 

しかし、私は~責任を放棄した先生~と加害者扱いされるのです。

 

私は、ばい菌扱いされる加害者として、今を生きています。この辛さを、誰かに理解してもらいたいものです。早くヤツラがいなくなることを願うばかりです。

 

 

私は、校長先生に言いました。

 

「ヤツラがいなくなれば、私は働ける自信はあります。」

 

2回も休んでおいて私は一体何を言っているんでしょうか。そんなのは過信であることは分かっているけど分かりたくないのです。

 

校長先生はこう言いました。

 

「ヤツラが・・・う~ん、ヤツラ以外にも大変な子はいるし・・・」

 

 

そりゃそうです。私が仮に復帰しても、私を嫌う子は出てくるでしょう。教師が子どもに嫌われるなんてことは日常茶飯事です。第2、第3のヤツラに、私が手こずる可能性は否定できません。

 

私は、来年は学級担任にはなれなそうです。「来年1年をリハビリ期間として頑張っていきましょう」と主治医の先生はおっしゃいました。私の復帰への険しい道は、まだまだ続きます・・・・・・・・・

今は鬱で仕事を休んでいますが、仕事をしていた頃は、毎日毎日やらなければいけない仕事がそれはそれはたくさんありました。
 
たくさんあったのではなく、たくさんにしてしまっていたのかもしれません。
 
毎日の手帳のやることリストには、本当にたくさんのことがびっしり。
 
毎日しなければいけないと思うことばかりで、やることリストに書かれたことの大半が次の日へ持ち越し。そして次の日には新たな仕事が舞い込み、最初に書かれたやることリストがまた次の日へ、そしてまた次の日へ・・・と無限ループ。
 
そんな時は、発想の転換が必要なようです。
 

 

 

この本には、以下のようなことが書いてありました。

 
・ピーター・F・ドラッカー財団の役員を10年務めたおかげで、私はこの偉大な人物の話を聞く機会に数多く恵まれた。ピーター・ドラッカーはたくさんのすばらしい話をしてくれたが、とりわけ叡智にたけたコメントだと思ったのは「私たちはリーダーに何をすべきかを教えるのに多大な時間を使うが、何をやめるべきかを教えるのには充分な時間をかけていない。私が今まで出会ったリーダーの半数は、何をすべきかを学ぶ必要はない。彼らが学ぶ必要があるのは何をやめるべきかだ」という言葉だ。
 
私は、とにかく何をすれば良いか、に焦点を当てていたような気がしますが、ここでは、何をやめるべきかに焦点を当てろ、と言っています。
 
じゃあ今すぐ何をやめれば良かったか、と言われるとすぐには思いつきませんが、一つやめてよかったことがあります。
 
それは、ホッチキスで紙を留めることです
 
ホッチキスで紙を留めると、後でその紙がいらなくなってシュレッダーにかけるとき、いちいちホッチキスの芯を外さなければいけません。
 
シュレッダーの前で、ねちねちとホッチキスを外す作業は、時間も食うし何よりイライラします。
 
 
それを、これを使うことでやめました。

 

 

紙を留めたままでも、ガーガーとシュレッダーにかけられるので、大幅に時間とストレスが減りました。

 

さて、この何をやめるべきかに焦点を当てろという考えは、人との関わりにおいても役立つようです。

 

・いい人になることと、いやなヤツであることをやめる-二者択一するとしたら、どちらが簡単か?前者のためには、多くのポジティブな行動をいっせいに行う必要がある。後者はたんに省略するだけで済む。箱におきかえて考えてみよう。もっといい人になるためには、毎日小さなポジティブな行動をして箱をいっぱいにしなくてはならない。箱をいっぱいにするには時間がかかる。箱がいっぱいでいることをまわりの人に気づいてもらうには、もっと時間がかかる。
 
いい人になるためには、例えば、
・いつもにこやかにする
・進んで人の仕事を手伝う
・誉める
・爽やかに挨拶をする
・人が嫌がることを進んで行う
 
などなど、なんだか考えているだけで肩が重たくなってきます。
 
しかし、いやなヤツであることをやめるためには、
・ブスッとした表情をやめる
・人に仕事押しつけるをやめる
・責めるのをやめる
・挨拶しないのをやめる
・人が進んで行うことに参加しないのをやめる
 
なんだか、こっちのほうが簡単な気がしてきますね。
 
編集後記
 
このブログも、一時期たくさん未来投稿がストックされていましたが、つい最近ストックがなくなりました。これからは、読んだ本に手当たり次第チェックマークをつけるのをやめようと思います。後でどの部分を抜粋して、ブログの記事にしようか、悩むことが多いので・・・。