「あ、職員会議まであと10分だ」

 

「なんだか中途半端にキリが良くなっちゃったな・・・」

 

「みんな職員室にいるから寝るわけにもいかないし・・・」

 

なんか10分でできる仕事ないかなぁ・・・

イライラ イライラ イライラ イライラ イライラ イライラ・・・

 

 

なんてこと、ありませんか?

 

この本には、さまざまなハックが紹介されていましたが、

 

 

私がマークしたのはこの部分です。

 

・「こまぎれ時間にできること」はいろいろあります。重要なのは生活の中でのこまぎれ時間にイライラせずに、それを作業時間として捉えられるかどうかなのです。(こまぎれ時間にできることリストを作る)

上記の例では10分の細切れ時間がありました。

・電車を待っている時の5分

・バスに乗っている時の30分

・トイレでの5分

・コンビニに行くまでの10分

・煮込み料理を待っている間の15分

などなど、生きていれば様々な細切れの時間が存在します。

 

 

その際、ぼーっと待っているだけでなく、やれることはたくさんあります。この本では、それをリスト化することを勧めていました。

 

5分でできること

・○○○○

・××××

・△△△△

 

という風にです。

 

私は、5分、10分ぐらい細切れ時間なら、ブログ購読アプリ・Feedlyに登録してある、ブログをいくつか読んでいます。

 

 

・シゴタノ

・もぎせかブログ館

・偏愛的プレミアリーグ見聞録

・Arsenal Watch

・アシタノレシピ

 

これらのブログが更新されると、Feedlyに更新されたことを教えてくれるので、いちいちそのサイトに飛ぶ必要もなく、とて重宝しています。

 

このような、細切れやることをリストを仕事上でも作れたら、ストレスなく且つ仕事を1つ進めることができます。

 

今のところ、気まぐれで仕事をしていたので、このようなリストの例を作ることができません。何に何分かかるか、測定して自覚するということから始める必要があるかもしれませんね。

 

どのクラスにも、支援が必要な子どもは存在すると思います。

 

私がなってしまったように、教師をばい菌扱いする子もいれば、立ち歩く子、話を聞かない子、喧嘩っ早い子、勉強が苦手な子・・・

 

 

この本は、私がとてもお世話になっている先輩先生から、お薦めされた本です。

 

 

さて、鉛筆が上手に持てない子、というのも今まで出会ったことがあります。

 

 

気持ちの問題なのか、目の問題なのか、手の問題なのか、脳の手と目をつなぐ部分の問題なのか、形を認識する力の問題なのか、字が上手に書けないのも理由は様々。

 

この本には、このようなことが書いてありました。

 

○鉛筆の正しい握り方ができない子
・手先を器用に動かすことができるようになるには「固定する・支える・握る」といった支持機能を支える小指~中指までの3本と、「つまむ・動かす・操作する」といった操作機能を支える親指~中指までの3本(中指は重複しています)が、発達のプロセスで協応、分化している必要があります。小指と薬指をしっかり握りこめることが、親指~中指の3本指の器用さを支えているのです。(中略)対処療法的には、その場で鉛筆の握り方を修正してあげることが大切です。根本的な対応を考えるとなると、うんていや上り棒、綱引きなどの運動を設定しながら、小指・薬指を使う経験の乏しさを補ってあげる必要があるでしょう。

 

鉛筆を持つ指は、親指・人差し指・中指です。ですが、その器用さを支えているのは、薬指・小指なのだそうです。だから、薬指・小指を使うために、うんていや上り棒、綱引きなどを行うというのです。

 

 

授業中には、その子の鉛筆を持つ手に、教師が手を添えて、一緒に文字を書く。そして休み時間には、雲梯や上り棒で一緒に遊ぶ。なんだか、勉強できない子が勉強できるようになり、さらに教師との信頼関係も築ける。一石二鳥な気がします。

 

ばい菌扱いされてしまった私・うつ病教師は、そんな勉強を教えるのも子どもとの関係作りも上手にできる、そんな先生になりたいなぁ・・・

どのクラスにも、支援が必要な子どもは存在すると思います。

 

私がなってしまったように、教師をばい菌扱いする子もいれば、立ち歩く子、話を聞かない子、喧嘩っ早い子、勉強が苦手な子・・・

 

 

この本は、私がとてもお世話になっている先輩先生から、お薦めされた本です。

 

 

さて、すぐに姿勢がだら~っとだらけてしまう子というのも今まで出会ったことがあります。

 

 

こうなると、勉強に集中できない、気が散る、椅子をがたがたするなど、さまざまな悪影響が出てきます。近くの友だちにちょっかいを出すなんてこともしばしば・・・

 

さて、この本では、じっと座っていることができず、姿勢が崩れやすい子への対策として、以下のように書いてあります。


①1枚にまとめられるプリントでも、あえて小プリント4枚くらいに分ける(1回の作業時間を短めに設定できる)
②動きたくなってしまう子に、教材配布などのお手伝いの役目を設定する(さりげなく動いてよい時間を設ける)
③教科書の必要な部分だけを小分けにプリントにして配布する(読む分量を少な目に設定する)
④「○分まで頑張ろう」と、終わりの時間を事前に示す(見通しをもたせる)

 

 

 

①1枚にまとめられるプリントでも、あえて小プリント4枚くらいに分ける(1回の作業時間を短めに設定できる)

じっと座っていることができない子というのは、当然長時間何かに集中することは苦手です。そこで、課題を小さく小さくしてしまうという作戦です。この本に書いてあるように、1枚にまとめられるプリントでも、4枚に分けてしまうということで、集中力を細切れに使えるようになるということです。他にも、1枚ごとに丸付けをしに来させれば、束の間立ち歩くことが出来る上に、「よっしゃ~!2枚目!」とやる気になってくれるかもしれません。また勉強ができる子に対して「おれ、今日4枚も終わったんだぜ!

なんて張り合ったりする、微笑ましい光景が見られるかもしれません。

 

②動きたくなってしまう子に、教材配布などのお手伝いの役目を設定する(さりげなく動いてよい時間を設ける)

やんちゃな子には、お手伝いをしたがる子は多いです(低学年)。そんな子にはこの作戦は有効だと感じました。きっと、プリントを配らせたりしたら、1人1人に、一言小ボケを言いながら、「余計なことしなくてもいいよ!」なんてこっちに思わせながら、働いてくれる様子が浮かびます。

 

③教科書の必要な部分だけを小分けにプリントにして配布する(読む分量を少な目に設定する)

例えば、10ページ分ある教材を読む時、集中できない子は2ページぐらい頑張って読んだらすぐに飽きちゃいます。また、教科書も立派な遊び道具になってしまうことに最近気づきました。角っこを折って遊んだり、パラパラめくることを楽しむ子もいるのです。その日2ページしか進まないのなら、その2ページだけを渡してあげるという作戦です。

小分け作戦です。

 

④「○分まで頑張ろう」と、終わりの時間を事前に示す(見通しをもたせる)

 

 

これは大人でも一緒でしょう。例えば、「今日は5キロ走ります」と言われて5キロ走るのと、何も聞かされずに5キロ走るのでは、後者は「いつ終わるんだ・・・」と地獄です。きちんと座れない子にとって、授業時間45分びしっとなんて地獄です。そのため、「11:00まで頑張ろう!

」とか、「この1枚終わったら自由帳に絵を描いていいから。」などの一言が、子どものあと一歩の頑張りを、もたらしてくれるのかもしれません。

 

私は、本を読んでいて、栞の代わりにページの上部分を折り、「おっ!」って思ったページは下部分を折っているのですが、この本は下の部分が折り目だらけになってしまいました。他のケースはまた、紹介したいと思います。

「鬱病には運動が良いですよ!」

 

主治医の先生にそのように言われました。また、以前読んだ本によると、運動はストレス解消にも効果があるということで、仕事をしていない分活動的にならないとすぐに太りそうな私は、最近個人参加のフットサルに行っています。

 

小中高とサッカーをやっていた私は、サッカーの本を読むのも好きで、この本を読んでみました。

 

サッカー「観戦力」が高まる/東邦出版

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サッカーでは、習いたての頃に、インサイドキックというキックを教わりました。足をゴルフのパターのようにして蹴る蹴り方で、1番正確に蹴れる蹴り方と言われています。

 

私は、ボールを押し出すようにして蹴るようなイメージでいたのですが、日本屈指のパサー、遠藤選手は違うようです。

 

・遠藤が語る『インパクトを重視して叩く』キックは、インパクトの直後に足を止めてフォロースルーを取らないようにするため、上向きの力がボールに伝わらない。普通のインサイドキックが『押し出す』イメージだとすれば、遠藤の蹴り方は上から下へ向かって『叩く』イメージである。この遠藤式の蹴り方はフォロースルーでボールに力を伝えないぶん、インパクト時にはより強く、ボールの芯をとらえなければパススピードが遅くなってしまう。遠藤が『インパクトを重視する』と表現したのはそういうこと。まさに日本サッカー界のキックアーチストである。

 

インサイドキックを、上から下へ叩くというイメージは、この本を読むまで全く考えたことがありませんでした。遠藤選手と一緒にサッカーしたら、受けやすいパスをくれるんだろうなぁ・・・☆

 

さて、高校時代には右サイドバックだった私ですが、このようなことは誰にも教わりませんでした。


・サッカーのセオリーでは、『攻撃は広く、守備は狭く』が鉄則である。攻撃はピッチを広く使ったほうがパスを回しやすくなり、守備はピッチを狭く使わせたほうがプレスをかけやすい。敵の密集ブロックの中に突っ込む攻撃は、このセオリーに反する。

 

私の通っていた高校は、校庭が狭かったです。そんな中で、私たちディフェンダーがラインを押し上げれば、相手はとても攻めづらかったことでしょう。あ、しかし私は足が遅いので、戻るのに遅れてしまうな、きっと。

 

もう一つ、覚えておきたい守り方が書いてありました。


・ラインコントロールの質を見分けるポイントは、ボールの位置や敵の状況に合わせたラインの上下動ができているか否かである。その基本的な約束事は次のとおりだ。
①敵のボールがONの状態のときはラインを下げる
②敵のボールがOFFの状態のときはラインを上げる
『ボールがON』という表現はボールを持っている選手が前を向いて自由にプレーできる状態を指す。つまり敵のボールがONならば裏のスペースへ自由にスルーパスが出せる状態なので、ラインを下げなければならない。逆に『ボールがOFF』ならば、ボールを持っている敵がプレッシャーを受けるなどして前方にプレーできない状態なので、裏のスペースを突かれる危険は少ない。ラインを上げて陣形のコンパクト性を高めるチャンスとなる。

 

私は一時期、センターバックをしていた時期もありました(下手くそだったのでレギュラーにはなれず、誰かが怪我した時にそのポジションをやらされるという役回りだったのです)。その時に、このことを知っていたら、相手がバックパスをした瞬間に「ライン!」と叫んでディフェンスラインを押し上げていたのに・・・。でも先輩に委縮して、「ライン!」なんて叫べないかもしれませんが。先輩の言うことは絶対でした(笑)。

 

最後に今でこそパンパンになってしまった

城彰二選手ですが、このような伝説があるそうです。


・ジェフ千葉や横浜Fマリノスなどでプレーした城彰二は、スタジアム内の看板やスタンドの位置を感覚的に把握しておき、そのようなものが視界に入ってくることでゴールの大まかな位置を感じてシュートを打っていたという。城はヘディングが得意だ。ヘディングシュートを打つときはボールを注視しなければならないため、同時に間接視野に入ってくるものが多いほうがゴールの位置を把握しやすくなる。ヘディングが得意な城にとっては、ホームスタジアムの中にあるすべての物が大切な目印だった。このようなホームチームの隠れたアドバンテージも見逃せないだろう。



看板を目印に自分の位置を確認するなんて・・・。この本を読んで、やっぱりプロたちはすごいな・・・と再認識しました。

 

「こんなの外すなよ~!」

 

なんて偉そうなことは言わずに、謙虚な気持ちでサッカーを見ようと思います。

 

 

私の脳には、いくつの細胞があるのでしょうか。100個?1000個?単細胞という言葉もあるぐらいだから1個?

 

答えはこうです。


・人間の脳は、宇宙でもっとも複雑な構造物だと言われていますが、それはいくつかの数字を見るだけでもわかります。脳は1000億個のニューロン(神経細胞)で構成されています。ニューロンは神経系の基本的な構造単位であり、機能単位でもあります。ニューロンはそれぞれほかのニューロンと、1000個から1万個の結合部で結びついており、シナプスと呼ばれるこの部位で、たがいに情報をやりとりしています。この数字をもとに計算すると、脳活動の可能な配列や組み合わせ、言いかえれば脳がとりうる状態の数は、いま知られている宇宙に存在する素粒子の数をうわまわると言われています。

 

なんて数なのでしょうか!?バカな私の頭にも、1000億個のニューロンが存在しているのだそうです。まったく生かされていない私の頭の中のニューロン・・・そんな私がこんな本を読みました。

 

 

この本は、脳に障害がある人の症例を調べながら、脳の機能について分かりやすく述べられた本です。

 

とても読みやすく、また、脳の機能の大切さを知りました。身体だったら、膝に擦り傷を作ろうと鼻血が出ようと、下痢になろうと、ほぼ日常生活に支障はありませんが、脳細胞の一部が損なわれると、それはそれは大変な障害として、様々な症例が現れてしまいます。今回は、読んでいて「え!?」とびっくりした様々な症例について、未来の自分に紹介したいと思います(読者がいない前提。寂しい~)。

・相貌失認
→側頭葉の紡錘状回と呼ばれる構造が左右とも損傷されると、その患者は人の顔が認識できなくなります。本は読めるし、眼も見えるし、精神障害もまったくないのに、顔を見てその人を認識することだけができなくなります。

・カプグラ症候群
→自分の母親を見て、「先生。この人は私の母にそっくりですが、母じゃありません。母のふりをしている偽者です」というのです。(中略)知的でしっかりしているし、会話もなめらかにできるし、情緒的にもほかは何もおかしくないのです。

・共感覚
→2つ以上の感覚が入り混じるという結果をきたします。たとえば、特定の音程の音を聞くと、「ド♯」は赤、「ファ♯」は青というふうに特定の色が喚起されるというぐあいです。

・色の領野であるV4だけに小さな損傷のある患者
→皮質性色盲と呼ばれるシンドロームになります。世界がモノクロ・フィルムのような灰色の濃淡に見えますが、新聞を読む、人の顔を認識する、あるいは動きの方向を見るといったことについては、何も問題がありません。

・動きの領野であるMT野だけに小さな損傷のある患者
→本を読んだり色を見たりすることはできますが、ものがどっちの方向に動いているか、どれくらい速く動いているかがわからなくなります。

・盲視
→鼻を境に左側の部分が見えない患者の、見えない部分に小さな点状の光を呈示して、何が見えるかと聞くと、患者は予想通り「何も見えません」と答えました。しかし、見えなくても、手をのばしてその光点に触ってみてくださいと頼むと、患者は手をのばして、意識では知覚できないその光点を正確に指さしたのです。

・コタール症候群
→この患者は、自分は死んでいると言いはじめます。あらゆる感覚が情動中枢と切り離されています。この世界のなかで情動的な意味をもつものが何ひとつありません。どんな物も、人も、触感も、音も、何ひとつとして、情動に影響をあたえないのです。患者は、この完全な情動の寂寞を解釈するには、自分は死んでいると考えるしかありません。


どれも驚きの症状です。脳が損傷していないから、私はこうやってブログを書けるのかもしれません。ただ、私は、私をばい菌扱いするヤツラが、悪魔に見えてしまう症候群に侵されているかも知れません。

 

 

改めて、というか初めて、脳のありがたみ、その機能の凄さについて認識させられる本でした。とても面白かったです。

 

 

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

 

その理由はマークしていないので忘れましたが、こんな文章にマークをしていました。

 

○会計版「捨てる技術」
 もう二度と着るはずもないダブルのスーツを在庫としてずっと所有していたがために、クローゼットにカビが生えて、よく着る衣服までもダメにしてしまう危険性があった。
 実際に私の場合、ダブルのスーツのとなりにかけてあった喪服までカビにやられてしまったのだ。喪服は絶対に必要だから、新しく購入するコストがかかる。
 他にも「いつか使うかも」系のモノはだいたい無駄になりがちであり、その分スペースを取ったり(場所代)、整理や処分の手間(人件費)がかかったりしてしまう。模様替えや引っ越しをするときも、モノが多くてはたいへんだ。
 だから、「損をしないために在庫を減らす」という考え方は家庭でも見習うべきだ。本や雑誌にしろ、衣服にしろ、日用のちょっとした備品にしろ、在庫にはコストがかかると考えるようにしないと、すぐにモノはたまりにたまってしまう。たまってから考えても遅い。

 

私は以前、

 

 

この本を読み、「心がときめかない物は捨てる」ということを知りました。それでも私のクローゼットや収納棚には、着ない服がたくさんあります。

 

私は、一時期イライラすると物を捨てるという癖がありました。イライラしたら、ゴミ袋を用意し、いらないなと思う物をポイポイ入れていくのです。その時は、単純な癖だったのですが。今思えば、素敵な癖だったな、と思います。

 

長らく玄関の棚で眠っているコンバースとか、どうしたらいいのでしょう?

 

いつか使えそうな物を捨てるのがもったいない、ではなく、いつも使わない物を置いておくスペースがもったいない、と考えると、著者の言っている「在庫にはコスト」がかかる、ということが理解できたことになるのかな、と思います。

 

さらに、会計の話はマークしていなかったのですが、目標設定の部分について、過去の私がマークしていました。


もちろん、目標が高すぎてもダメである。そもそものやる気が削がれてしまう。自分ができそうだと思っているラインよりも、少し高めに設定するのがコツである。たとえば、ダイエットで3キロ痩せようと思った人と10キロ痩せようと思った人がいたとする。そして、3キロの人は見事に目標達成、10キロの人は一生懸命に頑張るも途中で断念して8キロしか痩せられなかったとする。では、実際にどちらがより痩せたかというと、これはまさに一目瞭然、8キロの人のほうなのである。
 

この考え方は、なるほどと思います。-3キロのダイエットを実行して、成功しました。となると、私は69キロになります。しかし、-10キロのダイエットを実行して、-8キロのところで、もう無理!ってなると私の体重は、なんと64キロに!

 

-3キロの方が達成感があるかもしれませんが、-8キロのが数字だけ見れば、成功です。だから、目標設定はできるだけ高い方が良いのかもしれません。でも、私みたいな心が弱い人は、目標に到達する前に鬱になってしまうので、考えものですが・・・。

 

ちなみに6月に75キロもあった私が、体重管理アプリ・Recstyleに登録した目標は、63キロです。

 

 

武豊さんみたいな、スーツの似合うスマートでカッコいい人になりたいなぁ・・・。

 

 

みなさんは、四苦八苦という言葉をご存知ですか?

 

 

まさに私のような鬱病の人間は、毎日が四苦八苦、いや、億苦兆苦といったところです。

 

さて、この本には、歴史のことだけでなく、四苦八苦という言葉の由来について載っていたので、みなさんに、というか将来このブログを見返す自分に紹介します。

 

 

・仏教の説く人の苦しみは、この4つの苦しみ「生老病死」に、さらにそこから派生するもう4つの苦しみを加えた「四苦八苦」と呼ばれるものです。

 

つまり、4+4で四苦八苦。4+4なら四苦四苦でいいじゃないかと私は思いますが、古人の方々は「それじゃあシクシク(ノД`)・゜・。と一緒になってダジャレみたいになっちゃうよ」と、すべってしまうことを危惧したのでしょうか。

 

まず、最初の4つの苦しみ「四苦」から。


 まず「生」、これは生きることの苦しみです。人は生きている間にさまざまな困難を経験します。でも、どんな苦しみも生きているからこそ感じるものです。つまり、生きることこそが苦しみのスタートラインなのだということです。
 次に「老」、これは歳を取り、体が衰えていくことに伴う苦しみです。どんなに元気だった人も、歳を取れば耳が遠くなり、足腰が弱くなり、美しかった肌には醜い皺が刻まれていきます。
 次に「病」、生きていれば必ず1度や2度は病に苦しみます。中には老衰で死ぬまで病気知らずだったという人もいますが、そんな人はごくまれです。それに、今は病気になっても病気で治療が受けられるし、楽もいろいろありますが、お釈迦様が生きた時代には病気は死に直結するものでした。
 そして「死」。どんなに健康で病知らずの人も、死から逃れることはできません。王様も貧乏人も、善人も悪人も、どんな人にも例外なく死は訪れます。

 

「老」「病」「死」の前に、1番目に「生」が来るところなんかが、鬱の私にはグッと来るものがあります。仏教さすがだな!と。

 

 

さて、残りの4つです。今度は四文字熟語が続きます。

 

この四苦に加え、もう4つ、人間には避けることができない苦しみがあるとお釈迦様は言います。
 その1つ目が「愛別離苦」。これは愛する者と別れる苦しみです。これは恋人や夫婦が分かれるといった男女の関係だけを言っているのではありません。親や兄弟、愛する友人なども含んだ「愛する人」と別れる苦しみです。人間は死を避けられない以上、どんなにいい関係を保っていたとしても、いつかは別れを経験することになります。
 2つ目は、「怨憎会苦」。これはちょうど愛別離苦とは逆に、怨み憎んでいる相手と会わなければならない苦しみです。こんな奴には会いたくないと思っていても、社会生活を営んでいると、嫌な相手にも会わなければなりません。
 3つ目は「求不得苦」。これは求めるものが得られない苦しみです。人はさまざまな欲を持ちます。家が欲しい、お金が欲しい、物だけでなく恋人が欲しいと望むこともあります。でも、どんなに頑張ったとしても、そのすべてが得られるわけではありません。
 4つ目は、「五蘊盛苦」。これは総括的なものですが、その他のさまざまな精神的な苦しみのことです。
 最初の4つの苦しみを「四苦」、そこから派生した4つの苦しみを「八苦」、合わせて人の避けられない苦しみを「四苦八苦」と言います。

 

私のお気に入り(?)は六苦目の、「怨憎会苦」です。怨み憎んでいる相手と会わなければならない苦しみ。私にはすごく分かります。私は、一部の女子からばい菌扱いをされていました。

なので、この怨憎会苦というのは、苦しいことをものすごく実感していたわけです。


それにつけても、やっぱり、「四苦四苦」、もしくはただの「八苦」で良い気がしますが・・・・・・・・・

高校部活最後の日

「これでもう最後か・・・終わってみれば早かったな。」

 

大学卒業の日

「大学4年間、あっという間だったな・・・。」

 

夏休み最後の日

「楽しい時間はあっという間に終わっちゃう・・・。」

 

私もよくこんなことを口にしてきました。

 

私はいつも、本は読んで「なるほど」と思った点をブログにメモした後、すべて捨ててしまいます。読んだ知識が保存できていれば、本自体は用済みだと思っています。もちろん、そうじゃない本(ジャイアントキリングなど)も、家にはたくさんありますが。

 

 

この本は、読んだ後も、もう1回読むかも・・・と思い、家にとっておいてある数少ない本です。

 

 

著者はこのように言っています。

 

・私は、ライフログとは「人生を再体験するためのトリガー(引き金)」だと思っています。自分が生きてきた、自分だけの人生。これは何ものにも替えられない、かけがえのないものです。しかし、それを「記憶」しておくだけでは、思い出はどんどん風化し、失われていってしまいます。ライフログを残しておくことで、この記憶の風化を限りなく小さくすることが可能なのです。
 

過去を振り返れば、楽しかったことはたくさんあります。しかし、思い出す記憶は少ない。きっと、思い出すきっかけがないからなんじゃないかと思います。

 

Aくんが言った面白いことや、Bくんの身体を張ったボケ、フットサルで勝ったこと、競馬で的中したこと。

 

いろいろあったでしょうが、やっぱり思い出せません。

 

でも、その場所に行ったり、そのボケの原型をテレビで見たりすると、きっと思い出せるんです。要はきっかけ一つで、思い出は保存できると思うのです。

 

それが、著者の言うライフログです。一言日記をつけたり、写真を撮るだけでも、思い出を思い出すきっかけは残せるでしょう。

 

著者はこのように提案します。

 

・お勧めしたいのは、何か一つだけ徹底的に意識して、記録するということです。一カ月程度、一つのことを徹底して意識し実行すれば、いつの間にかそれは習慣になってきます。習慣を一つ一つ増やしていくことで、やがてさまざまなライフログを残すことができるようになります。

 

私は今、鬱病を患っています。毎日、何かは必ずしているのに、仕事をしていないという負い目から、自分は何にもしていないという虚無感に襲われることが多々あります。

 

だから、鬱病でも自分はこんなことをやってきたじゃないか、ということを振り返られるように、その日にやったことを手帳に書くことを始めました。

 

 

今は、何の役にも立っていませんが、虚無感にまた襲われたり、来年以降仕事に復帰したときに、その日にやったことや感じたこと、息子がこんなで面白かった、などなど、手帳を見ながら思い出せるのではないか、と思います。

 

著者はこのように言っています。


・自分が成長したどうかは、他人と比べてもわかりません。過去の自分と比べた、自分自身の変化こそが成長です。記憶は主観的で曖昧なため、過去は都合よく歪曲されてしまいますが、客観的な自分の記録を残すことで、他でもない自分の人生をより良い方向へ導くことができるのです。

 

記録を振り返ることは、成長にもつながるようです。今は「ふーん」という感じですが、記録を続けることによって、実感できたらいいな、と思います。
 

私は、東○○○○大学出身、つまり略せば東大出身です!

 

さて、嘘は良いとして、東大生のノートはどのようなものだったのでしょう。

 

 

ちなみに東○○○○大学出身の私のノートは、だいたいいつも書きかけで、やっぱルーズリーフ派になろう、いやいやノートのが使いやすい、気分転換にノートを変えよう等々、使いこなし切れた試しがありません。

 

0歳の息子に、東大に行かせたい!なんて願望はありませんが、東大生がどのように私と違うノートを書いていたかどうかは気になります。

 

そこで、こんな本を読んでみました。

 

 

一人のノートの例が書いてあり、このようなポイントが書かれていました。

 

○東大生のノートを見てみよう
・「黒板の内容」「先生のお話」「キミが考えたこと」を書く

 

おそらく、多くの子どもたちは、「黒板の内容」のみをノートに書いていると思います。しかし、東大生たちは「先生のお話し」「キミが考えたこと」も、ノートに書いているそうです。

 

つまり、彼らは小学生のうちから、高校大学のような講義式の授業にも対応できるようなノートの取り方をしているようです。さらに「キミが考えたこと」も書くということは、その時思ったことなどの感情も残ります。

 

感情を残すというのは、記憶に残る確率が高くなると思います。人間が覚えているものはほとんどが、楽しかったこと面白かったこと悲しかったこと苦しかったことなどではないでしょうか。

 

感情の記録を残すことによって、記録は記憶へと変わりやすくなるでしょう。

 

さて、私は今鬱病で仕事を休んでいますが、いちおー教師です。

 

高学年を担当した時など、このように声かけができるのではないでしょうか。

 

「黒板に書いてあることだけでなく、先生のお話や、キミが思ったこともノートに書いていいからね!」

 

このように声かけをすることで、教え子から東大生が多数輩出、なんてことになるかもしれません。ならないかもしれません。

今、私は鬱病でお仕事を休んでいます

 

0歳の息子がいて、一緒に寝ているので、寝るのは9:30~10:00頃。そのため、4:30頃に自然と目が覚めてしまいます。

 

仕事を休んでいるので、当然1日の使い方は自由。しかし、自由なため、ともすれば一日中ゲームをしてしまうなんて怠惰な生活もあり得ます。

 

さて、1日を充実したものにするために、自分はどうしたらいいのか、というのが少しずつ分かってきました。

 

○朝イチの仕事選びは慎重に
・このような事実を踏まえてみれば、正常の範囲内に心理状態があれば、人は作業の始まりには作業量が多くて自然のいうことになる。したがって、一日の仕事が始まる時点においては、すぐに終わる簡単な仕事から始めて徐々に乗っていく、ということを考えるより、初頭努力を利用して一気にある程度の仕事をこなしてしまう方が、精神活力を有効に用いることができそうだ。

 

私は昨年鬱になった時は、自信回復プロジェクトとして、TOEICを受験しました。

 

今年は、もうTOEICはいいので、漢字検定と歴史検定を受験しようと思っています。

 

私の1日は、朝起きたらまず、煙草を吸います。その後で、だらっとすると、その日1日が、ずーっとだらだらした1日になるのです。朝1番に漢字検定の勉強をすると、その後歴史の勉強、ブログを書く、腹筋など、1日が流れるように進んでいくのです。しかし、朝の1つ目のタスクをなかなかこなさないでいると、1つ目に臨む最初の1歩がなかなか踏み出せず、その日1日が憂鬱な1日になってしまいます。

 

1を2にするのはさほど難しくないのですが、0を1にするのには労力が要ります。だから、朝1番に、気合を入れてやることリストの中身を0から1にすることが、とても重要になってきます。

 

 

そこで、仕事でも仕事をお休みしていても、朝1番に少し大変なことをやることによって、1日を充実したものにする確率が高まると思うのです。

 

今だったら、煙草を買いにコンビニに行くのも朝。TSUTAYAに本を返しに行くのも朝。とにかく朝に1発動くようなタスクを入れようと思います。